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10月8日(月) no.6



 
今、私たちに出来ることは何か
ONE CUT
観客の質問から発展した、
 審査員ハルトムート・ビトムスキー監督のことば
DIRECT EXPERIENCE
障害者の問題は健常者の問題
映画で自分を確認する
お客さんが泣くともらい泣き
亀井文夫へのオマージュ
インターナショナル・コンペティション
『ヴァンダの部屋』
ペドロ・コスタ監督インタビュー
アジア千波万波
『種まき』
アヴィック・イラガン監督インタビュー
「パワー爆発! インド産超強力強精剤」
アジア千波万波 ティーチイン通訳 川口隆夫
編集後記



今、私たちに出来ることは何か


今日未明、米英によるアフガニスタン、タリバーンへの軍事攻撃が始まった。これ以上“紛争”が激化しないことを祈っていた中での出来事を、大変残念に思う。今映画祭でも、「CHANCE!」の平和運動をはじめ、平和を訴える様々な動きがあった。アフガニスタンの人々のみならず、世界中の人々の“ごく普通の日常”が、“悲劇的な日常”になってしまうかもしれない。今、ここで、自分たちにできる事は何か、もう一度考えてみる必要がある。
(編集部)


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ONE CUT

観客の質問から発展した、
審査員ハルトムート・ビトムスキー監督のことば

ドキュメンタリー映画にいつもついてまわるジレンマだが、楽しかろうが悲しかろうがそのままに捉える。そして自分が深く興味を持っているものを主題とし、それに魅惑されながら題材を生かしていく。しかしその反面、ドキュメンタリー映画のフィルムメーカーとして、色々な角度から世界に対して「NO」を明らかにするというやり方も別にある。だから、このように一見、矛盾しているようなふたつのことを包みこみながら作品を観ていただけたらありがたい。
(『B-52』上映後の質疑応答にて)



DIRECT EXPERIENCE
『ルート1』上映後、 暗闇にライト1本で照らし出されたバール・フィリップスが、ダブルベースで演奏を始めると、場内は呼吸をするのも憚られる様な緊張感に支配された。演奏というよりも格闘する様に弾き出されるその即興音楽は、まるで地上に音楽が誕生する瞬間に立ち会ったかの様であった。「人間は知性に頼りすぎる。本来大事なのは眼前のものを直接経験することであって、頭で定義することではない」とバール・フィリップスは語る。



障害者の問題は健常者の問題
自分の人生の一部が、プロの人の手によって映像になることはすばらしいことで、とても感謝しています。今の日本の社会では、障害者がどんな風に生活しているかが一般の人にはほとんど分かりません。身近な人に伝えていくのが、障害者と健常者の距離を縮める一番確実な方法だと思っています。
(『ちょっと青空』佐藤マサヒロさんの言葉)



映画で自分を確認する
身近な人たちに話を聞いてこの作品を作ったことは、人と話すことが苦手だけれども好きな自分にとって、意味のあることでした。1999年という空虚な時代を撮ることで、空虚だけど、自意識過剰な自分を確認できたと思います。
(『ダイアローグ1999』井上朗子監督)



お客さんが泣くともらい泣き
「自分で作った作品だが何度見ても泣いてしまう」という『空色の故郷』のキム・ソヨン監督。
上映会場では質問が相次ぎ、会場前で監督と写真撮影をするという盛り上がりようでした。韓国から大阪芸大留学中の方にコメントをもらった。「この映画を見る機会があったことが嬉しい。もっとたくさんの人が見てこの悲劇に共感し、スターリン時代に行われた強制移住の調査がなされることを望む」



亀井文夫へのオマージュ
「優れた作家は経済観念を持っていない。全ての感覚がフッテージの編集に向けられてこそ、芸術的な作品を生み出せる。そうした亀井さんの素晴らしさの一面が理解できました。」
(発言者・白石洋子さん)

「(自分に対する)亀井さんの薫陶もあったかもしれません。でも、僕は主体的にエコロジーの問題に到達せざるを得なかった。亀井さんに貢献できたと思ってます。根底は、二人とも“生物みなトモダチ”なんですね。」
(講演者・菊地周氏)


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「映画は裁判の場ではない」
 インターナショナル・コンペティション『ヴァンダの部屋』
ペドロ・コスタ監督インタヴュー


スラムに住む人々

ヴァンダとその家族は、確かに悲惨でネガティヴな状況に置かれている。だから、彼らをいかにも堕落した人々として撮ることはできるだろうし、そこにそれなりの音楽をつければ、人々の期待するようなネガティヴな映画が出来上がるだろう。しかし、人生とはもっと複雑なもので、安易にポジティヴ、ネガティヴ、あるいは善悪といった判断を下すことは出来ない。映画は警察署や裁判所ではないのだから、私はその複雑さを、ありのままに提示したかった。ヴァンダとその家族は「生活を向上させたい、犬のような生活をしたくはない」という基本的に純粋な思いで生きている人たちなので、彼らを裏切るような映画にだけはしたくないと思っていた。

この映画を語ること

あなたがこの映画を好きになってくれて、何かを語ることは構わないが、私はこれをいわゆる普通の映画と同じような形で語りたくはない。なぜなら、この映画は一つの死にゆく映画の部類に属するものであり、それはまた同時に、ヴァンダたちの死にゆく街の物語でもあるからだ。それらを殺すのが、資本といった制度であるわけだが…。いま、世間ではテロがどうだとか言っているが、普通の映画と同じように語らせようとするあなたの行為こそ、私が作っている映画を殺すテロリズムだと思う。

ヴァンダと私

私は以前、大きなプロダクションで35mmの映画を撮った。そこには軍隊のような制作方法、ヒエラルキー、細かに決められたスケジュールがある。しかし、私はそのどれもが好きではないので、何か違うやり方、もっとこつこつと、辛抱強いやり方で映画を撮りたかった。自分は力を持った指導者が嫌いだし、そうはなれない。一方、ヴァンダとその家族は実際にスラムに住んでいる人々であり、何か必要なことがあれば助けてくれて、お金がなければお金を貸してくれた。したがって、彼らは出演者ではなくスタッフであったともいえる。そして、このような被写体と私の根底にある信頼関係もまた、やはり今の映画から死にゆきつつあることなのだ。

小津を忘れてはいけない

すでに述べたような複雑さを複雑さのまま語るという点において、この映画は小津から強い影響を受けている。小津の映画は、はじめステレオタイプから入り、そこから徐々に複雑な世界を描いていく。このことは若いときに彼の作品を見てから私なりに消化されているし、私の中に残っている。そして、この小津から綿々と続く道をこれからも歩み続け、人々の役に立つ映画を撮ることが大切だと考えている。

『ヴァンダの部屋』の上映は10/8(月)19:20からソラリス2で行われます。

採録・構成 小手川大介


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自分自身の発見を大切にしたい
アジア千波万波『種まき』
アヴィック・イラガン監督インタビュー


昨年5月、アヴィック・イラガン監督は録音のエレン、撮影のニールと共に撮影のため来形した。その際に、私は肘折での撮影に同行した。制作の現場に立ち会うことが出来た私は、完成した映画を見て予想だにしなかった作品の構成に驚かされた。どのような葛藤があってこの作品が生まれたのだろうか。イラガン監督にお話を聞いた。


Q: “フィリピンの花嫁”という社会的なテーマを取り上げていますが、むしろそのテーマに関心を持っている自分自身を描いている事に驚きました。なぜこういった作りにしたのですか?

AI: 私はどちらかというと、今回のように実験的な作品を作る事を心掛けています。私はもともとシアターグループに属していて、ナレーションの入った一般的なドキュメンタリー映画の制作を習っていました。しかし、私が作る映画に関してはそれらを全部断ち切って、新しい、創造性のある、もっと個人的な感情を表現する手法を試みたいと考えており、なるべく今までの伝統的な手法に捕われないよう注意しています。前・中・後といったまっすぐな構成の作品ではなくて、どこから始まって、どこで終わりなのかが見当もつかない、ミックスされた作品にしたいと思っています。

Q: 彼女たちを撮っている、イラガン監督自身の悩みや苦しみを映画の中からは感じましたが。

AI: 私は政治的に主張するという事を進歩的な大学で教わりました。だから私は今まで“アジアの花嫁”と呼ばれる人に対して、批判的な立場をとってきました。彼女達は被害者なのだという見方、貧しい出の彼女達がお嫁さんとして山形に来ることが、自分の生活を良くする方法だと信じて彼女達は来たのだという見方、人身売買だという見方をするなど、ネガティヴなものとしてずっと考えていました。そして彼女達は何も知らされないまま、山形に連れて来られたのだと思っていました。しかし、彼女達の事を知るにしたがって、彼女達自身が事情をよく理解した上で、自ら決断したのだという事が分かってきたのです。私達は彼女達を一方的に被害者だと決めつける事もできなければ、彼女たちを山形に連れてきた(嫁として迎える)男達を非難する事もできないのです。

Q: 異国の知らない男の元へと嫁がされるという状況の中で、なぜ花嫁達はあのように明るく幸せなのだと思いますか?

AI: 国外に出る事は国内での生活が良くないからであって、彼女達は自分が日本に来て幸せなんだよ、と見せたい気持ちがあるのではないかと思います。本当はちょっとだけ、幸せなのかも知れません。彼女達が日本に来るのは大きな犠牲を払っているはずなんです。文化的に全然違うところに連れて来られた事自体、犠牲なわけです。そういった事を思い出させないで彼女達にインタビューすると、「ここに来て幸せだ。お金もあるし、家もあるし、子供もいるし、そのお金もフィリピンにいる家族に送金できる程幸せです。」と、みんな口々に言ってくれます。でも「あなた本当に幸せなの?」と聞いた時に、“リアルハッピー”という答えが返ってくるとは思いません。

 

次の作品は本作でも登場するマチルデさんを撮った作品になるという。また山形で監督と新作に会えることが楽しみだ。

採録・構成 小川知宏


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「パワー爆発! インド産超強力強精剤」
アジア千波万波 ティーチイン通訳 川口隆夫 寄稿


「仲間からいつも距離を置いていたスーが、ある晩突然、『恋人とはうまくいってる?』と声をかけてきたんだ。とても嬉しかった。数年後、良くない噂を耳にした僕は彼に会いに出かけた。何度か会っているうちに、彼は少しずつ自分について話し始めたんだ」

 と話す「友人、スー」のニーラジ・バシン監督は、しかし、「僕は体は男だけど内側は女なんだよ」と言うスーの話をどう受け止めたのだろうか。その答は、はにかみ屋の監督の口からよりは、愛らしいスーの姿に魅せられたようなカメラの視線に何より強く表れていたことに気が付いて、ハッとした。

 インド作品のうち3本までが「男性のセクシュアリティ」を見つめている。

 男だけが集まるバザールで強精剤の叩き売りをする男、あるいは肉体を鍛え上げるレスリング道場の男達…。性の衝動が色濃くありながら、それを消費の直前で塞き止め、内面のエネルギーとして問い直そうする「パフォーマンス」は、ラーフル・ローイ監督の極めて微妙なスタンスが驚くほど革新的だ。

 性の幻想が渦を巻く煙のように立ち篭めるアマル・カンワル監督の「夢の王」は、 字幕の翻訳もしたのに実はまだピントを合わせきれないでいる。日曜日の上映後のティーチインで何を切り口に質問しようかと、これを書きながら考えている。

 社会的な因習も宗教上の制約も決して弱くはないインドにおいて、同時期に、性、しかも男性の性を、外へではなく自己の内面へ向かうエネルギーとして捉え直そうとする3作品。一体インドで何が起きているのだろうと思うと同時に、自分に対するこの上なく刺激的な問いとして受け止めたいと思う。

アジア千波万波 ティーチイン通訳 川口隆夫


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編集後記
小川紳介とクレイマー


 1989年の本映画祭のどこかで2人はすれ違っているのだろう。小川監督がクレイマーらの「ニューズリール」について、強烈に語っていた記憶があるので、意識していたはずだ。だが、2人が話しあったりしたという記憶も記録も、ない。今年も彼らの志を継ぐ者、あるいは、関係する作品が並んだ。それらを観て、今年、今は亡き2人が会場ですれ違うとしたら、何か密かな会話がなされただろうか、などと想像する。映画も映画祭も続くものである。またお会いしましょう。

桝谷秀一


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