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10月7日(日) no.5



 
ONE CUT
これからもっと話を深めていきたい
映画製作、女性運動と友情
「山形を味わいつくした監督達」
「ロバート・クレイマーに捧げます」
針生一郎氏、山形来たる
ヤマガタ・ドクス・キングダムでの、その他のテーマ
うれしい「再会」
日本パノラマ『ちょっと青空』小林茂監督
アジア千波万波
『落ちていく凧』
シャオ・メイリン監督インタヴュー
アジア千波万波
『MAYA』
関根博之監督インタビュー



ONE CUT

これからもっと話を深めていきたい
この作品は、これからの過程の第一歩目だと思います。(在日韓国人としての自分の事を)田中さんに全部分かってもらえたとは思っていませんし、私が在日である事は、この映画だけで終わる話でもありません。彼女は私にとって家族に近い存在で、十分に分かり合っている分、お互いの中の分からない部分については、触れないでおく友情だったかと思います。田中さんが(在日の問題を)どう思ったかもまだ掴めていないところがあるので、これからもっと話を深めていきたいです。
(『ていちゃんのルーツ』ていちゃんの言葉)



映画製作、女性運動と友情
ソハ監督は、女性映画集団バリトで、ビョン・ヨンジュ監督らと映画を通して運動をしてきました。そのなかで彼女は読書が好きという理由で、理論の分野担当になりました。その時10年後には監督も映画を作ると約束しました。その間、映画研究と批評をしてきました。10年が過ぎ、約束通り監督自身が女性の表現を集めた映画を撮りました。映画、女性運動、そして友情を培ってきた監督の言葉が会場内にしっとりと響きました。
(『居留−南の女』上映会場)



「山形を味わいつくした監督達」
酒蔵見学から始まった「山形を味わう探検隊」ツアー。店頭ではお目にかかれない6年ものの秘蔵の酒に、午前中だというのに舌鼓を打ちっぱなしの15人の参加者達。おとなし目だったオズギュル・アルク監督もこれにはニコニコ顔。次のお豆腐屋さんでは、出来たての厚揚げをほおばりながら「山形は素敵! お寿司もおそばも好き」と話してくれたケ・ウンギョン監督。その横でお醤油を手にみんなに振舞う“お醤油娘”海南友子監督。お茶会での正座が妙にはまっていたメへルダード・オスコウイ監督。最後は、青空の下で食べる芋煮やおそば、秋の味覚と共に映画の話で盛り上がると思いきや…、なぜか出るのは食べ物の話が主だったりして(笑)。このときばかりはあんなすごい映画を撮っている方々とは思えないぐらい普通の人で、美味しいものの前では思わず笑顔。これって世界共通なんですね!



「ロバート・クレイマーに捧げます」
YIDFFネットワーク企画上映『良き友、そして良き人々…』の上映終了後、マサ監督への質疑応答があった。作品には、4年前に審査委員長を務めたクレイマーの、作品からは滅多に窺えない私的な姿もあり、質問の中にはクレイマーに関するものもあがった。上映には彼の妻であるエリカ・クレイマーも顔を覗かせ、会場は和やかな雰囲気だった。
(『良き友、そして良き人々…』上映会場)



針生一郎氏、山形来たる
立ち見も続出する深夜とは思えない熱気に包まれた上映終了後、大浦監督の質疑応答の中、美術 ・文芸評論家の針生一郎さんは紹介され、壇上に立った。「インタビューを受けていたときは、一体これが映画になるのかと思いましたが、大浦監督の様々な映像に満ちた、素晴らしい作品になったと思います。でもこの映画は僕ではない。このイメージはあくまでも大浦監督のものです」その後、作品中と同じく凄みのある針生さんの語りを我々は聞くことが出来た。
(『日本心中』上映後)



ヤマガタ・ドクス・キングダムでの、その他のテーマ
フィクションとドキュメンタリーを混合して使う事に関する論文については、すでに多くが話されてきました。インターナショナル・コンペティションやアジア千波万波の映画でも、フィクションとドキュメンタリーの両者の境目の映画がいくつかあって、非常に面白いです。多くの人々が、「これは本当なのか? 本当? それとも単に映画のためにセットされたのか?」と尋ねるからです。このような質問に意味があるのか、自分自身に問いかけるのもいいでしょう。これも我々が尋ねる多くの質問のうちの1つとなります。
(ヤマガタ・ドクス・キングダム、ケース・バカー)

ヤマガタ・ドクス・キングダムは、10/8(月)10:00から21:00まで、市民会館小ホールにて開催。

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うれしい「再会」
日本パノラマ
『ちょっと青空』
小林茂監督 寄稿

 アジア千波万波で『村の新しい一歩』を見た。'95年の本映画祭で上映された『村の新しい学校』の続編である。監督のホン・ヒョンスクさんをはじめ女性スタッフたちとその時に知り合いになっていたので、また会えることを楽しみにしていた。

 小規模の小学校を統廃合する国の政策に対し存続運動をする村の様子を記録したのが前作。本作はそれを更に深め、村人たちの自然を大切に生きる人生が強く描かれている。廃止反対運動をする村人の心の奥底がこちらに伝わってきて、前作の土台のようにもなっている。四季のとらえ方もうまい。ホン・ヒョンスク監督の成長を見るようだ。

 本映画祭は、「アジアの作家たちを育てる」ことを一つの目標にしているが、そのプロセスをホン監督が示してくれたように感じられてうれしい。

 さて、彼女は山形に来られなかった。代わりに彼女の夫でありプロデューサーのカン・ソクピル氏が来た。結婚して2ヶ月前に赤ちゃんが誕生したことを、カン氏は赤ちゃんを抱くホン監督の写真を高くかかげながら報告してくれたのである。

 ホン・ヒョンスク監督が、子どもの成長とともに、これからどんな作品を作っていくのか一ー本映画祭の楽しみの一つとなろう。

日本パノラマ 『ちょっと青空』監督 小林茂


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「糸の切れた凧はどこへ?」
アジア千波万波『落ちていく凧』
シャオ・メイリン監督インタビュー


原題を直訳すると、「糸の切れた凧」という意味で、シャオ監督自身の根無し草のような心情を象徴しているそうです。

Q: この映画を撮るきっかけは?

HM: 環境による影響が大きいです。フランス北部は寂れた工業地帯で炭鉱も多く、私を含めた移民の人々や、その二世が、たくさん住んでいます。第一次世界大戦の頃は中国人が14万人もいたということを聞きました。今まではモダン・アートをやってきましたが、フランス北部のさみしい雰囲気が私のノスタルジックな感情を掻きたて、フィルムを撮り始めました。私のいた学校にロバート・クレイマーが1年間、講師としてやって来たのも大きいです。「あなたがフランスにいて、故郷への想いがつのっているのなら、それをフィルム作品にしてみたら?」と言ってくれました。この作品を作った2年前は、一度国に帰ろうか、このまま留まろうかと悩んでいた時期でもあり、自分探しをしてみようと思いました。

Q: 作品に登場する、中国人移民二世の張さんとは血縁関係はないのですよね?

HM: はい。張さんと私の祖母という、二人の登場人物のシチュエーションは、私自身の連想であり、私の自我の投影されたものでしかありません。張さんのお父さんは炭鉱で働き、私の祖父もそうでした。また、張さんがお父さんと一緒に働いたのと同様、私の祖母も祖父と共に炭鉱の穴に入りました。後半部分、フランスか台湾か分からないほど映像が交錯していますが、共通の経験として撮りたかったのです。

Q: 雨や山の緑、水田、列車などの映像がとても美しかったです。それらはやはり記憶を呼び起こすものですか?

HM: まず雨は、物事と物事との繋ぎ目になってくれました。台湾の基隆は「雨の港」と呼ばれる所で、そこで私は育ちました。それで作品を作るときも、雨が降り出すと作業を始めることが自ずと多いです。また炭鉱は、炭鉱夫の記憶、忘れ去られてしまった記憶を暗示しています。それから列車は、フランス北部から出て行く列車と、祖母の住む故郷の列車を撮っているのとがあります。ある意味彼らがどこかで交叉しているということを暗示しています。この3つが作品の中でポイントになっています。それと、神の視点というものがあるとすれば、上からぽんと見下ろしてくれているようなイメージがあって、おそらくこの景色の中で私の祖母も80年生きてきた、彼女もまた景色の一部であると私は捉えています。だから歴史の要素は入っているけれども、「歴史」としてではなくて景色として撮りたかった。この映画はテンポがのろいので、きっと耐えられない観客がいらっしゃるのではないかと心配しました。でも祖母がゆっくり歩くのを映すことは、彼女が景色の中で生きているということを表現するために、必要なリズム感でした。

Q: 火事で思い出の品々がすべて失われたそうですが、形のあるものと記憶との関係についてどう思われますか?

HM: もしかすると自分の意識に残った記憶というものは、実は形のあるものよりも具体的なのかもしれない。目に見えるものよりももっと具体的な、目に見えないものとは、つまり心、物に対する感情だと思います。

『落ちていく凧』の上映は10/8(月)20:00からミューズ2で行われます。

採録・構成 綿貫麦


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「生々しさが現れるとき」
アジア千波万波『MAYA』
関根博之監督インタビュー


Q: 関根さんというと、東京の大都会に潜む廃墟を撮るというイメージがありますが、今回はどうして神戸は摩耶山の中腹に佇む廃墟を選ばれたのですか。

sh: 私が廃墟を撮り始めたのは87年からで、それから5、6年間はある程度良いスタンスで撮り続けましたが、その後作品をつくることが出来なくなり、とにかく映画をつくらなければまずいなという状態の時、ある雑誌の記事で神戸の「摩耶観光ホテル」を知ったのです。そこは建物と周りの山との環境が織りなす大自然の動きが凄く、撮る方としてはたまらない素晴らしい風情がありました。

Q: 『MAYA』では音が想像力を掻き立ててくれます。音についてどのようにお考えですか。

sh: 撮影に行った時に、目で見たものと、耳で出会ったことが非常に強烈にあったんです。やはり撮影時に撮った印象を、どれだけ編集してスクリーンまでもって行けるかということは映画の表現の中でかなり重要な考え方だと思うのですが、現場の音を録っておけば、それは絶対に使えるはずなんです。そういうことにようやく気が付いて、今回は最初から音をしっかり録ろうと思って録音機材を持って行き、そのおかげで『MAYA』っていうのは完成しました。

Q: カメラの動きがとても心地よく感じました。あのような動きはどうしたら生まれてくるのでしょうか。

sh: 一番参考になるのはタルコフスキーの映画で、手持ちの撮影ではありませんがあの動きは物凄く微妙な動きをしており、じわーっとレールの上を動いているわけです。手持ちで何とかそういう動きができないかと思い立ったのです。あとはやはり肉体です。映像も肉体表現なんだと私は常々言いたくて、マヤ・デレンの『カメラのための振付けの研究』という映画を観てから、肉体の延長線上にカメラを持ってきたらこれは絶対に凄いはずで、踊るように撮れれば誰も観たことのない映画になるはずだと思ったのです。

Q: 映し出されるものの質感がとても生々しく伝わってきます。通常私達が見ることの出来ないものの姿が立ち現れているように思うのですが。

sh: それはまず、そのように見られる時間、環境があったということです。あとはいかに一番美しく見える瞬間に遭遇するか、その時間を選ぶということもあります。今回は雨の日を待って行ったということが幸いしました。それと場の作用です。とにかく肉体とか総てをひっくるめて宇宙の中の地球のある一点にいるということを意識することは、何かを表現する時にすごく必要なことで、廃墟がそういうものを新鮮に呼び覚ます場所だと思います。また、8mmって本当に曖昧で一コマは小指の爪もないのに、そこからこれだけの生々しさが出るのは、フィルムという化学変化、絶対に時間と絡んでこなければできない現像システムがあるからなのでしょう。それとレンズから映写されてスクリーンに映るという空間性がなければ、きっと出てこない何かしらのものもあるはずです。映画の技術の歴史の中で、映画の醸し出す生々しさを敢えて出すための何かしら秘訣が、この映写システムの中に歴然とあるはずです。

『MAYA』の上映は10/8(月)20:00からミューズ2で行われます。

採録・構成 佐藤和代


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