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10月6日(土) no.4



 
ONE CUT
踊る亀井文夫
クレイマーだったら
言葉は関係ない
パレスチナから…来場はできなかったけれど
ヤマガタ・ドクス・キングダムまであと二日:
 シンポジウムの最新情報
ロバート・クレイマー特集
『マイルストーンズ』

エリカ・クレイマーインタヴュー
インターナショナル・コンペティション
『A2』
森達也監督インタビュー
アジア千波万波
『集集大怪獣』
林泰州(リン・タイジョウ)監督インタビュー



ONE CUT

踊る亀井文夫
歌い踊るマネキン。雷に恐れおののく原始人。大宇宙の彼方を漂う飛行船。亀井文夫特集で上映された、これまで顧みられることのなかった(そして多分今後顧みられることもない)PR映画の怪作群は、社会の不正と闘い続けた男が、企業広報部との折衝に於ても己のやりたいことを貫き通したタフガイであることを、(そんな男を許容した、現在では考えられない、当時の日本のおおらかさと共に)我々に伝えてくれた。
(「亀井文夫特集」を観て)



クレイマーだったら
家族の境界の中だけで物語を語りたかったため、主人公バブの母と姉にのみ出演してもらった。またバングラディッシュの口承物語の手法を使って表現したいと考えた。もし私がロバート・クレイマーだったら、映像なしで、バブが家族に送ったテープの声だけで作品を作っただろう。
(『移民者の心』ヤスミン・コビル監督)



言葉は関係ない
自分のアイデンティティーを表現するために、出身地であるタイ北部を作品の題材にした。自分の子供時代を描いたものでもある。この作品には言葉が出てこないが、真実を伝えるには映像が最も素晴らしい手段だ。
(『時の行進』ウルポン・ラクササド監督)



パレスチナから…来場はできなかったけれど
ハサン監督挨拶中止にもかかわらず立見でぎっしりの『ニュースタイム』。上映前に読み上げられた監督のメールのコメントでは「ラマラでは撮影開始の1年前から今日まで占領・戦争状態が続いているが、映画に登場する人々はまだ住み、銃撃、殺人、闘争に疲弊している」ことが伝えられた。上映後の観客からは「子供達があっけらかんとしているのに、ぎりぎり一杯の状態にいる緊張感が伝わってきて、明るい画像でユーモアのある映画なのに切なく悲しかった」というコメントが寄せられた。
(ハサン監督のメール/観客のコメント)



ヤマガタ・ドクス・キングダムまであと二日:シンポジウムの最新情報
Q: ヤマガタ・ドクス・キングダムのセミナーはどんな展開を見せていますか? 月曜日のプログラムのトピックが何になりそうか教えて下さい。

ケース・バカー: 今までの感じだと、実験映画におけるデジタルビデオの使用がトピックとなりそうです。それについて詳しい人がかなり来ていて、いろいろ面白い話をしてくれそうです。また若い映像作家もたくさん話してくれそうで、それがこのダイアローグ対話となるはずです。我々が目標とするのは、リラックスしてダイナミックなディスカッションなのです。
次の最新情報については、明日のデイリーニュースをご覧になって下さい。


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道標としての『マイルストーンズ』:
直感を信じて
 ロバート・クレイマー特集
エリカ・クレイマーインタヴュー


『マイルストーンズ』は、闘争の年月が潰えたあと、若者たちが自身の生き方を模索する映画だ。熱病のあとの倦怠の中、手探りで何らかの繋がりを希求する若者。人と人の繋がりについて、エリカ・クレイマーが語る。

繋がらない連なり/コミュニケーション

ある夜、ロバートと二人で星を見ている時、私はある星に魅了されました。彼に示そうとしましたが、あの時私達は決して同じ星を共有できなかった。でも何も壊れなかったのです。人生とはそういうもの。共有できないことを共有する、コミュニケーションはそういうものだと思います。

道標としての『マイルストーンズ』

ロバートが『マイルストーンズ』で伝えようとしたのはそういうことです。あの頃の私達、『アイス』以後の私達は、破壊することに飽き、自分を再構築しようとしていた。一人一人が自分の生活を取り戻そうと試みていた。銃をおき、今度は国家についてではなく、自分自身に向けて革新的な問いを発し始めたのです。ロバートは分断された自分と世界を一つの流れに繋げることができるか、という問いを発し、観る者を揺さぶろうとします。イメージや情報で善悪の判断を押し付けることはありません。この映画は、登場人物と同じ世代の日本の若い人たちが観ても,共感できるでしょう。これは歴史ではなく、普遍的な、生きている道具なのです。今、ここで、自分を見つめるための。自由な探求への道標です。ロバートは「過程」の冒険者だったのです。

「自分」と「直感」を巡る冒険へ

自分を知るためには、直感を大事にしなくてはいけません。私達の感覚には、匂いや、触感、音、ありとあらゆる情報が届く。誰もが同じ情報をインプットされるけれど、受け取り方はそれぞれです。直感というのは、全ての情報は真実だと受け入れ、全ての人は特別だと感じること。情報は、成長への正しく、美しい道を指す標識です。自分の内なる声、直感に、心を透明にして耳を傾けることができれば、自分の場所が見つかるはず。決して簡単ではありませんが、困難を乗り越えることによって私達は自分の限界から自由になることがきっとできるでしょう。皆さんに、『マイルストーンズ』と対話し、ロバートを通じて、自分自身を見つめて欲しいと思います。

◆『マイルストーンズ』の上映は10/7(日)14:00から遊学館ホールで行われます。
◆本日遊学館ホールの『ルート1』上映後(17:30頃)、バール・フィリップスさんのライヴがあります。

採録・構成 七尾藍佳


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オウムについて考えることは
自分について考えることである
 インターナショナル・コンペティション
森達也監督インタヴュー



 オウム真理教の内部から日本を描いた『A』の続編『A2』を完成された森達也監督に早速お話を伺った。インタビューにはプロデューサーの安岡卓治さんも同席した。

Q: 何故続編を撮ろうと思ったのですか。

MT: 『A』という作品には満足していたし、偶然が作った作品の様なところがあったので、続編などを作って馬脚を露すのが嫌だと思っていたのですが、小渕内閣時代に、盗聴法等通る筈もなかった法案が成立していく中で、日本の社会が、日本人が、オウムの事件の頃よりも急速に劣悪化しているという危惧を感じていました。それで、作品にするつもりではなく足立区のオウム施設に一度行ってみると、やはりいろんなことが起こるので、それに引きずられるように撮影を始めていくと、(『A2』で描かれている)藤岡での信者と住民の交流にびっくりしました。『A』は社会との断絶、その剥き出しの姿がテーマだったのですが、『A2』は、剥き出しなものはより酷くなってきていても、その中で必死にコミュニケーションを取ろうとする人がいる、それが人間の本当の姿なのでは、というテーマでいけるのではないかという考えがもたげてきて、作品のコアになりました。今回は群像劇になるだろうとは最初の頃から考えていました。

Q: 日本がオウム的になってきているというか。

MT: ええ。一人一人は良い人間である筈なのに、集団になると自分の頭で考える事をせず思考停止してしまう、という傾向が特に日本人には強い。オウムについて考えることは自分達について考えることなのに、こちら側が考えるのを止めちゃったじゃないですか。何故ガスを撒いたのかということだって誰も回答を得ていないのに、これはまずいことだと思います。オウムの信者の方がまだ考えてますよ。僕らが想像力を失ってきていて、何でも善と悪、正と邪みたいな二元論で考えてしまう。本当はその間のグレーゾーンに人間らしさがあるのに。今度のテロに対する反応にしても、皆一律で報復支持のようになってしまってる。アメリカの方がまだ個人が意見を発信してますよ。アフガニスタンの国境を閉鎖しましたけど、支援物資がなくなると何万という人間が餓死しますよ。そういう事を考える力がなくなってきている。日本はそれで半世紀前に大失敗しているわけですからね。

Q: 信者と接するのに抵抗はありましたか。

MT: 僕は鈍いのかな、靴下が汚いのが少し嫌だった位で。あまり抵抗はなかったです。出家する位ですから、真面目で不器用な人たちですよ。同じ人間ですからね、一線を超えて接すれば分かり合えるのは当然なんですけど、今は当然を当然と思えなくなっている。

Q: 森監督の作品は、社会的な問題から自分の内面を問う事が多いのですが、題材を選んだ時からそれは意識してるのですか。

MT: ナルシストなんですよ(一同笑い)。題材は直感で選ぶのですが、後に残った作品はそうした傾向が強いですね。社会を形成しているのは個人ですから、ロジカルに考えていけばそれは当然のことだと思います。大事なのは、やはり好奇心ですね。理論や思想でなく、自分の感覚や思いに忠実に作品を作っていけば、どこかで社会とつながっていくと思う。具体的な方法論とかではないですね。ドキュメンタリーはどうしても政治的な側面で語られることが多いのですが、このジャンルのまだまだ未開拓の可能性がもっと多くの人に伝わって欲しいと思います。

採録・構成 河角直樹


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ドキュメンタリーを
人々の近づきやすいものに
 アジア千波万波
林泰州(リン・タイジョウ)監督インタヴュー



ドラマも一つのドキュメンタリーだと思うんです

 様々な映像作品がありますが、一つの言葉で決めてしまうのはおかしいと思うんですね。ドラマ、ドキュメンタリー、アニメなどの分野に分かれていますが、本来は表現方法に枠はないのだから。例えばドラマも一つのドキュメンタリーだと思うんですね。それはなぜか? 俳優達が演じている、そしてその周りにカメラマン、大道具など、大勢の人がかかわっている。それ全体がドキュメンタリーだと思うんですよ。だから、ドキュメンタリーの枠をこえてこれから色々なことをしてみたいと思います。きっと実験的な作品になっていくんでしょうね。

ドキュメンタリーの新しい形式

 台湾で地震が起こりました。この映画を社会に発表したとき、被害に遭った人達からは本当に批難の声が上がりました。作品は、アニメ風の軽いタッチにはなっているけれども、地震の本当に恐ろしい記憶を甦らせてしまったからです。
 一方、ドキュメンタリーの新しい形式であるとの声も上がりましたね。ドキュメンタリーには社会問題など難しい内容や暗い内容が多いために、近づきにくいものというイメージが有るように感じるんです。しかし、アニメという軽いタッチのものを使う事によっていろいろな人が近づきやすいものになると思うんです。ドキュメンタリーは暗いもの、というイメージを打破したいです。

もう、この子達の自然な姿は撮ることはできないんです

 作品の完成後、子供達にもビデオを見せました。そうしてみると子供達が画面に映っている自分達のまねをするんですね。まるで自分達が俳優であるかのように。
 映像を見る前は、子供達は動かない自分の画像、つまり写真しか知らなかったんですよね。ところが今回画面の中で動けることを知ったんです。彼らの中で革命が起こったのでしょうか? 彼らはカメラを意識して、ビデオの自分達をまねするんです。そのようなことから、今では、以前のような自然で素朴な動きを撮ることは出来なくなってしまいました。とても残念です。

インタビューをしての感想

 林泰州さんはご夫妻で映画を制作しています。とても優しく話される方で、インタビューをしているときも、とても親切に対応してくださいました。『集集大怪獣』の内容について伺っているとき、子供達の話になりました。撮影は彼らの家族の肖像を残そうという目的から始まりました。が、地震があり、子供達の様子の変化に気付きました。直接被害に遭っていない彼らは、本当に被害に遭った子供達の中に馴染むことがなかなかできなかったということを話してくださいました。林さんは子供達のことを気にとめて、お話を伺っているときも暖かさにあふれた方だと思いました。 
 ドキュメンタリー映画を変えたい。インタビューをして、その熱い思いに大変引きつけられました。確かに、彼のビデオはアニメを取り入れて、明らかに他の作品にはないおもしろいものになっていると思います。さて、次はどのような映画を作ってくれるでしょうか?ドラマ、アニメ、ドキュメンタリー…、あらゆる可能な限りの表現方法を使って新たな映画をつくってくれることを楽しみにしています。

採録・構成 今野喜久代


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