オウム真理教の内部から日本を描いた『A』の続編『A2』を完成された森達也監督に早速お話を伺った。インタビューにはプロデューサーの安岡卓治さんも同席した。
Q: 何故続編を撮ろうと思ったのですか。
MT: 『A』という作品には満足していたし、偶然が作った作品の様なところがあったので、続編などを作って馬脚を露すのが嫌だと思っていたのですが、小渕内閣時代に、盗聴法等通る筈もなかった法案が成立していく中で、日本の社会が、日本人が、オウムの事件の頃よりも急速に劣悪化しているという危惧を感じていました。それで、作品にするつもりではなく足立区のオウム施設に一度行ってみると、やはりいろんなことが起こるので、それに引きずられるように撮影を始めていくと、(『A2』で描かれている)藤岡での信者と住民の交流にびっくりしました。『A』は社会との断絶、その剥き出しの姿がテーマだったのですが、『A2』は、剥き出しなものはより酷くなってきていても、その中で必死にコミュニケーションを取ろうとする人がいる、それが人間の本当の姿なのでは、というテーマでいけるのではないかという考えがもたげてきて、作品のコアになりました。今回は群像劇になるだろうとは最初の頃から考えていました。
Q: 日本がオウム的になってきているというか。
MT: ええ。一人一人は良い人間である筈なのに、集団になると自分の頭で考える事をせず思考停止してしまう、という傾向が特に日本人には強い。オウムについて考えることは自分達について考えることなのに、こちら側が考えるのを止めちゃったじゃないですか。何故ガスを撒いたのかということだって誰も回答を得ていないのに、これはまずいことだと思います。オウムの信者の方がまだ考えてますよ。僕らが想像力を失ってきていて、何でも善と悪、正と邪みたいな二元論で考えてしまう。本当はその間のグレーゾーンに人間らしさがあるのに。今度のテロに対する反応にしても、皆一律で報復支持のようになってしまってる。アメリカの方がまだ個人が意見を発信してますよ。アフガニスタンの国境を閉鎖しましたけど、支援物資がなくなると何万という人間が餓死しますよ。そういう事を考える力がなくなってきている。日本はそれで半世紀前に大失敗しているわけですからね。
Q: 信者と接するのに抵抗はありましたか。
MT: 僕は鈍いのかな、靴下が汚いのが少し嫌だった位で。あまり抵抗はなかったです。出家する位ですから、真面目で不器用な人たちですよ。同じ人間ですからね、一線を超えて接すれば分かり合えるのは当然なんですけど、今は当然を当然と思えなくなっている。
Q: 森監督の作品は、社会的な問題から自分の内面を問う事が多いのですが、題材を選んだ時からそれは意識してるのですか。
MT: ナルシストなんですよ(一同笑い)。題材は直感で選ぶのですが、後に残った作品はそうした傾向が強いですね。社会を形成しているのは個人ですから、ロジカルに考えていけばそれは当然のことだと思います。大事なのは、やはり好奇心ですね。理論や思想でなく、自分の感覚や思いに忠実に作品を作っていけば、どこかで社会とつながっていくと思う。具体的な方法論とかではないですね。ドキュメンタリーはどうしても政治的な側面で語られることが多いのですが、このジャンルのまだまだ未開拓の可能性がもっと多くの人に伝わって欲しいと思います。
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