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YIDFF 2023 インターナショナル・コンペティション

日々“hibi”AUG
前田真二郎 監督インタビュー

聞き手:村山匡一郎

15秒のルール

村山匡一郎(以下、村山):『日々“hibi”AUG』のコンペ部門選出、おめでとうございます。前田監督は山形国際ドキュメンタリー映画祭とはご縁がありますね。

前田真二郎(以下、前田):ありがとうございます。映画祭に初めて出品したのは1999年ですね。「日本パノラマ」部門で『INOUE SHINTA PROJECT OF SHEPHERD 1999』という作品が上映されました。20代の頃から参加してきたので、ヤマガタに育てられたというイメージもあります。

村山:その後、2005年に「私映画から見えるもの」特集に『日々“hibi” 13 full moons』、2011年には「アジア千波万波」に『羊飼い物語/新宿2009+大垣2010』(鈴木光と合作)と「ニュー・ドックス・ジャパン」に『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW Omnibus Vol. 1“2011年4月”、 Vol. 2“2011年5月”』、2017年、2021年の「日本プログラム」にも『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』シリーズが選出されています。そして今回はコンペ部門という具合に、映画祭とは本当にご縁が深い印象を受けます。

 2005年に上映された『日々“hibi” 13 full moons』があり、本作は「日々シリーズ」の一編といえるかと思いますが、『日々“hibi”AUG』はご自分では何と呼んでいますか。

前田:「ヒビ・オーガスト」と呼んでいます。『日々 “hibi” 13 full moons』は2004年の1年間を撮ったものですが、本作は、もっと長い年月をかけて1本の映画を作るという目標を立てて毎年8月に撮ったものです。その2004年の12か月で作った前作を意識して、8月を12年間撮る計画でしたが、作品の終わり方に納得できなかったことから、1年ずつ増えていって、何とか15年目の2022年に完成しました。

村山:『日々“hibi” 13 full moons』の場合は、ワンカット15秒というひとつのルールがありますね。今回も同じですか。

前田:そうです。15秒です。『日々“hibi” 13 full moons』と同じように、月の運行に合わせて撮影する時間帯をズラしながら、毎日15秒を繋いでいきました。違うのは、もう少し鑑賞者に開いた作品にできないかと思って音楽をつけたりモノローグを足したりしたことです。

村山:確か2013年と2018年は音楽がついていますね。また2016年ではジョージ・オーウェルの『1984年』についての前田監督のモノローグが重ねられています。

前田:2013年、2018年も他の年と同様に同時録音していましたが、今回まとめるに当たって、全体の構成から判断して音楽に差し替えました。2016年は、連日15秒のドローン撮影で繋いだ年でしたが、その空中でのノイズ音が気になってたんですね。そのまま使うかどうか迷ったのですが、思い切って『1984年』についてのモノローグを挿入することにしました。

村山:いわば再構成しているわけですが、「日々」の15秒のカットを月の運行に合わせて撮影することについて、もう少し具体的にお話しいただけますか。

前田:半月の日は朝の6時、新月の日はお昼の12時、次の半月の日は夕方の6時、満月の日は夜中の12時という具合に決めていたのですが、大体、毎日撮影する時間帯が45分ずつズレていきます。今日は1時から2時の間、次の日は2時から3時の間に撮影するといった感じですね。生活的にはちょっと大変になります。

村山:確か2009年かな。冒頭で寝坊してしまったというカットがありますね(笑)。

前田:ええ、そうです。撮影のルールで少し混乱するのは、満月の日は夜中の午前0時に撮るのですが、次の日のカットはその1時間後の午前1時に撮ることになるということです。24時間経過した午前1時ではないんです。日付としては次の日なのですが、同じ日に連続して撮影しているように感じるので、その部分は見ていてちょっと違和感を抱くかもしれません。

村山:例えば、2008年の大木裕之さんが出てくるカットですね。

前田:満月の日のカットで終電逃したとか言っていて、次の日のカットも大木さん……。あれは午前0時のカットとその1時間後に撮った次の日のカットが繋がっているわけです。

村山:「日々」の15秒の映像は、その時間帯にどこにいるかによって、内容にかなり変化が生じると思いますが……。

前田:毎日、あらかじめ設定した時間帯に撮影するという緩やかなルールに従うことにしました。これは偶然性を作品に取り入れることを狙ったものです。そのことで、通常では撮影しないような場所も記録できました。一方で、特定の人に会いに行ったり、撮影を計画的に演出した日もありました。このようなルールの設定は、個人の日常生活を正確に記録することよりも、私たちの生活における多様なビジョンを映画にすることが目的でした。

記録と記憶

村山:『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』もそうですが、何らかの日常の断片をつないでいく印象は、日記映画の系譜にあるように思われます。前田監督の作品は、そこにインストラクションというか、指示やルールを明確に作って制作されている。

前田:日記はもともとルールに従うことで何かが作られていくといった作品形態の原点といえるものだと思いますが、日記映画のアプローチをされた個人映画作家の方々は、ルールというものをかなり意識されていたのではないでしょうか。例えば、ジョナス・メカスでいえば、フィルム1本に何フィートというような制限があるなかで作っており、鈴木志郎康監督の『15日間』(1980)もルールというものを意識されていますね。

村山:確かに一種の枠で限定しないと、どこか不定形なものになってしまいますね。

前田:15秒という設定は自分が見つけたのですが、ルールを用いた映画というのは、僕の発明ではなく、例えば、大木裕之監督の初期作品「松前君シリーズ」は、元旦から10日間の撮影で作る即興映画ですが、この作品からは大きな影響を受けています。

村山:日記映画も80年代ぐらいまではフィルムで撮っていたため、フィルムの長さというのがひとつの必然的な制約になってしまうことがありますね。前田監督の場合、フィルムで制作したことはあるのですか。

前田:作品として発表したものはないですね。

村山:ビデオからデジタルですね。そういうデジタル的なものがルールを設定していく上でひとつの要因になったということはありませんか。

前田:私は90年代からフィルムではなくビデオカメラで映像作品を作り始めましたが、特にデジタルの時代になると、時間的には無制限に撮影可能になり、しかもそれらの撮影されたカットをコンピュータで管理できるようになったわけです。そういう時代だからこそ、何らかのルールをベースにした手法が必要になったように思います。初期にコンピュータによって規則的に自動編集させる作品を制作しましたが、実際に自ら設定したルールに従って撮影を行う最初に作品となったのが『日々“hibi” 13 full moons』です。

村山:映画では岐阜の大垣から翌日は東京の渋谷へというように説明抜きで空間の転移がよく見られますが、そうした無関係な空間がぶつかり合うという意味ではモンタージュの根幹にかかわるようでたいへん面白いと思います。

前田:昨日撮影したショットを思い浮かべながら、今日撮影すべきモチーフを探すことになるのですが、前のカットに繋がる次のカットを考えながら毎日を過ごすことになります。極端に場所が違うものは非常に強いモンタージュになるので、あえてそれを繋いだり、あるいは逆に昨日と同じ場所に行って同じカメラ・ポジションで撮ったりと、試行錯誤しながら毎日撮影していました。

村山:演出しているわけですね。その意味でまさに映像作家の個人映画ですが、例えば監視カメラでもある意味で同じようなものができるわけですよね。

前田:そうですね。指定した時間に自動的にカメラが撮影するというようにしたら、理屈では15秒ずつ繋げることはできますが、きっと違うものになるでしょうね。

村山:その演出ですが、撮り直しを含めて、月の運行の幅のなかでですね。

前田:はい。1日に1カットしか撮らないのですか?とよく聞かれますが、迷う日は何カットも撮っておいて、あとで一番良いものを選ぶこともあります。長めに撮ったカットから相応しい15秒を選ぶこともあります。

村山:カメラはどんなものを使っていますか。

前田:最初の作品『日々“hibi” 13 full moons』は、あえて使いにくいノートパソコンに内蔵されたカメラで撮影しました。本作『日々“hibi”AUG』はHDVというビデオテープで撮影できるカメラを最初の数年は使っています。制作を開始した2008年は、ハイディフィニションと呼ばれるHDフォーマットのカメラが普及し始める時期で、その後、ハードディスクのカメラに替えたり、一眼レフのカメラやスマートフォンを使ったりと、最後の方はさまざまなカメラで撮影しています。

村山:『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』の場合、映像と言葉、また時間の変化という点でズレがあり、そこに記憶が入ってきます。それに対して『日々“hibi”AUG』は、記憶ではなく記録が問題になっている印象がします。記録は記録される(あるいは記録された)時間と密接にかかわっていると思いますが、時間についてはどう思われますか。

前田:時間をテーマにした作品を作りたいと長年考えていました。時間とは何だろうということも含めて、時間を感じてもらいたいという意識は、『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』よりも『日々“hibi”AUG』の方が強かったかもしれません。ただ、記録と向き合うことを考えて制作したことは事実ですが、記憶の問題は切り離して考えられないように思います。私の記録した日常風景は、毎年の社会の出来事やニュースも含みながら、歴史も扱っています。観客の皆さんはきっと、ご自身の記憶や思い出を重ね合わせて本作を見ることになるはずです。その意味で『日々“hibi”AUG』も記憶に関わる映画だと思います。

未知なるものを見ること

村山:松本俊夫編集『美術×映像』(美術出版社、2010年)という本のなかで前田監督は「『星座』撮影日誌」というエッセイを寄せられています。そこで「日々シリーズ」について次のように書かれています。「何かしらの規則を設定することで、日常に潜む未知なるものと遭遇する可能性を高めること、同時に、それに反応する身体情報を映像におさめることが狙いであり、撮影者にとっては「見るということ」のトレーニングでもあった」と。この「未知なるものとの遭遇」という点では、いかがでしたか。

前田:毎日「未知なるもの」を探していました。作品のためのルールのおかげで、遭遇できたものは、たくさんあったように思います。

村山:「何が見えるか」というのは単純ではないし、まだ言語化できないような一種の感覚的なものを含めて、今まで自分の感覚にはなかったようなものが浮かんでくることも当然あるでしょうね。ただ観客からいうと、そのルールはわからないわけです。そのため、『日々“hibi”AUG 』を見る場合、ルールについての情報を最初に知っているかどうかで見方が違ってくる気がします。その点についてはどう思いますか。

前田:『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』では、ルールを先に文字情報で提示したのですが、『日々“hibi”AUG』に関しては年号だけしか提示していません。1日、ワンカット15秒ずつを繋いでいることや、撮影する時間帯が変わっていくことなどは、全員が気がつかなくても良いという判断で、ルールが一番大切なものということではない、というスタンスでした。

村山:最初はルールの情報を知らないで見たため日記映画の系譜に繋がる印象を受けたわけですが、ルールを知ることによって、コンセプチュアルな作品として別種の見方と意味が与えられました。ルールを知っているかどうかで、観客の受けとめ方はかなり変わるように思われますが……。

前田:この作品は、作者の明確なテーマやメッセージを伝えるためのドキュメンタリーとは異なり、「ほとんど意味がないような風景」が連続して繋がっていく過程そのものを作品としています。コンセプトを確かめながら見る楽しみもあったかもしれませんが、そのことよりも、あくまでもルールは作品を実現するための工夫であって、鑑賞者の皆さんには、カットの連続を各々の記憶と重ねて見てもらうだけで十分だと考えました。

村山:意味のないような風景が展開していくのは面白いのですが、見終わった後、映し出された現実には、観客にとって、どういう意味があるのだろうかというのはやはり気になります。前田監督にとって、カメラの前の現実はいかなる意味を持っているのでしょうか。

前田:私にとって現実世界は、見れば見るほど不確かで、とらえどころのないものです。人間の視覚の曖昧さ、不確かさを痛感します。私がカメラで撮っている風景のなかには、不気味とまでいえないまでも、その存在の危うさを浮かびあがらせようと意識したものもありました。

村山:現実は不確かですものね。だから現実にカメラを向けることによって、作り手は自分の世界に取り込もうと試みる。

前田:リュミエール兄弟の映画を鑑賞した当時の観客は、樹木が風で揺れているのを驚きながら発見したという話がありますが、現代の観客にそのような体験をどのようにしたら引き起こすことができるのだろうか、そんなことを考えながら撮影し、カットを繋いでいきました。

村山:例えば、何年だったか、小雨の日に傘をさした人が向こうからカメラに向かって歩いてくるカット。画面全体に霧がかかったようにグレーっぽくなっていいなと感じて、それだけで記憶に残ってしまうわけです。そんな言葉にならない感覚が膨張していくのが映像の魅力ではないかと思いますね。

前田:まさにそうだと思います。

村山:今日は長い間ありがとうございました。

採録・構成:村山匡一郎

写真:佐藤寛朗/ビデオ:加藤孝信/2023-08-22
*本インタビューは映画祭前にZoomで行われ、一部抜粋版はYIDFF 2023映画祭公式ガイド「SPUTNIK」No. 4にて掲載。

村山匡一郎 Murayama Kyoichiro
映画評論家。山形国際ドキュメンタリー映画祭にて1993〜2017年までコンペ部門の選考委員を務め、YIDFF 2005にはアジア千波万波部門の審査員。同映画祭理事。編著に「映画は世界を記録する ドキュメンタリー再考」(森話社、2006年)、「ドキュメンタリー;リアルワールドに踏み込む方法」(フィルムアート社、2006年)など。