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YIDFF 2011 公開講座:わたしのテレビジョン 青春編
多知さん一家』『海女
市岡康子 ディレクター インタビュー

実録・「ノンフィクション劇場」の作り方


Q: 牛山純一さんとの出会いについて、教えてください。

IY: 「ノンフィクション劇場」に配属されたその日から、3時間も演説をぶたれたんです。ツヴァイクの『人類の星の時間』という短編集を例に「この番組は、ごく普通の庶民の“星の時間”をすくい取るのがテーマである」と。ほとんど洗脳ですね。しかもその日にすぐ企画の話までされて「常磐炭田から集団就職で東京に来る子どもたちがいるけど、やってみないか?」って。大急ぎで汽車に飛び乗って、必死で撮りましたよ。結局お蔵入りでしたけれど。いい画はあっても、カットだけでは作品にはならない、と学ばせていただきました。

Q: 「ノンフィクション劇場」の現場は、どういうものでしたか?

IY: 例えば『多知さん一家』でいえば、まず牛山さんが「多人数家族をやってみない?」と口火を切るんですね。それは高度成長や、核家族化という時代の流れに対するアンチテーゼとしておもしろい、という彼の観念なのですが、それを具体化するのが私の仕事です。

 いくら頭で学問してもダメ、というのが牛山さんの方針なので、ポンと現場に出されたら、あとは自分で頑張るしかない。東京じゅうの小学校にアンケートを出したり、なんとか試行錯誤するわけです。四畳半に11人の家族なんて、夢にも思わないような多知さん一家に出会った時は、心が弾みました。これが「多人数家族」というものか、と。

 でも、子どもが9人といっても、普通の家庭です。誰がいじめたとか、泣いたとか、叱られたとか、毎日そんな話ばかりで、これを撮っても作品にする自信はありませんでした。すると牛山さんは「君がそんなにいいと言うなら、撮ってみたらいいじゃないか。相手にどれだけ心を注げるかとか、君が素敵だと思っているとかいうことは、とても大事なことなんだよ」なんて言うのです。この手のアドバイスに、ずいぶん助けられました。

 「ノンフィクション劇場」の頃は、牛山さんはラッシュを全部見ていました。編集して、定尺近くまでいっても、なかなかOKを出さない。母親と子どもの魅力的なアップがワンカット入るまで、再撮影をさせられました。そういうところで、手綱を締めていたんですね。核心を把握するということに、とても力量がおありになった方でした。

Q: 「ノンフィクション劇場」は、大島渚監督や土本典昭監督なども演出をされていますが、どのような存在でしたか?

IY: 私から見ればもう大先輩。離れたところで仰ぎ見る感じです。土本さんは、一度だけ『ある国鉄乗務員 ―スト中止前夜―』の現場でご一緒しました。豪華メンバーを各地に配置して、撮れたものから作る、という贅沢な作品で、牛山さんも監督たちに「ワンカットしか使わないかもしれないけどやってくれ」というお願いをしていました。土本さんは品川機関区の担当。『ある機関助士』を作っていらしたから、よくご存知なんですね。私は野田真吉さんの助手で、品川駅の管轄でした。そこで土本さんの仕事ぶりが見られたのです。土本さんは、決起集会に参加すべきかどうか迷っている主人公の青年を、使嗾(しそう)しちゃうんですよ。「君は行かなくちゃダメだよ」って。相手はその気になって飛び出して、そこをパーッと追いかける。私、それを見て、すごい人だなって感心したことをよく覚えています。自分が同じことをやろうとは思わなかったですけどね。

(採録・構成:佐藤寛朗)

インタビュアー:佐藤寛朗、橋浦太一
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信/2011-10-01 東京にて