トム・ジョビンの光
The Light of TomA Luz do Tom
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ブラジル/2013/ ポルトガル語/カラー/デジタル・ファイル/85分
監督:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
脚本:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス、ミウーシャ
撮影:マリツゥア・カネカ
編集:アレクサンドル・サジェーゼ、ルエレーン・コレア
録音:ジョルジ・サウダーニャ
音楽:パウロ・ジョビン
原作:エレーナ・ジョビン
出演:エレーナ・ジョビン、テレーザ・エルマニー、アナ・ロントラ・ジョビン
製作:マリシア・ペレイラ・ドス・サントス, マウリシオ・アンドラーデ・ラモス
提供:Regina Filmes
*アテネ・フランセ文化センターと共催上映。
アントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)の妹エレーナが1996年に出版したジョビンの伝記『アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男』を基に、ジョビンが愛した3人の女性(妹エレーナ、最初の妻テレーザ、二人目の妻アナ・ロントラ)がジョビンを語る。彼女たちの記憶とジョビンの美しい歌声が響き合い、熱帯雨林への思いなど、彼の知られざる面が明らかになる。同世代のボサノヴァの創始者アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたペレイラ・ドス・サントス監督の遺作。
現実からフィクションへ……
1999年に東京日仏学院(当時)でネルソン・ペレイラ・ドス・サントスが大島渚と感動的な対面を果たした際に議題となったのは、タイトルに掲げたこのテーマだった。『乾いた人生』の上映も併せて行われた、そのときのことだ。
彼はその初期作品を、やがて軍事独裁がブラジル映画に重い影を落とすことになる以前、ブラジルがまだ幸福だったクビチェック政権の時代(1956−61年)に撮っている。それらはみなドキュメンタリーであり、このジャンルをとりわけ好んだ彼は、終生その嗜好を手放しはしなかった。フィクションでもドキュメンタリーでも、彼が手がけた作品は私たちを内的な旅に誘い出し、カメラ片手にブラジルの、その歴史と人民の核心へと招き入れる。シネマ・デュ・レエル映画祭10周年を機に1988年に刊行された書物において、彼は、自分にとってフィクションとドキュメンタリーは「同じコインの裏表」であると述べている。そしてまた、その両方の経験がなかったら『乾いた人生』を撮ることはできなかっただろう、とも。
ラテンアメリカにおけるネオレアリズモの草分け的存在であり、シネマ・ノーヴォの父とされる彼は、果敢に政治参加する映画作家として社会を告発する意志に突き動かされながらも、決して教条主義に陥りはしなかった。ネルソンは、限りなく鷹揚でありつつ、感受性が豊かでユーモアにあふれた、魅力的な人物でもあったのだ。
1999年に山形映画祭とアテネ・フランセ文化センターに招かれ、はじめて現実の日本に足を踏み入れた彼にとって、日本はすでに自身の夢の一部をなしていた。しかし彼はそれ以前に、自身が生まれ育ったサンパウロ、日本人が数多く住むこの街で、そのコミュニティと緊密な関係を築いていた。
のちに東京の神楽坂を散策した彼は、そのとき、日本人の老人と間違えられ道を訊かれてしまった、なんてことまで語っていたものだった。日本人の繊細さと洗練に対する感受性を持ち合わせていた彼にとっても、今回の山形映画祭で捧げられるオマージュは、大いにその心を打つものとなったことだろう。
1928年サンパウロ生まれ。フランスの高等映画学院IDHEC(現FEMIS)に入学。帰国後、1955年に『リオ40度』で長編デビュー、現地ロケで一般の人々を出演させる手法で頭角を表わす。1960年代から70年代、シネマ・ノーヴォが盛り上がるなか、『乾いた人生』(1963、YIDFF '99)でその運動の代表的な映画作家としての評価を確立。“シネマ・ノーヴォの良心”とも称される。74年以降は大衆映画を模索する一方、ブラジルにおける民主主義のあり方を歴史的に問い直すなか、『奇蹟の家』(1977)、『監獄の記憶』(1984)などを発表。YIDFF '99で審査員長を務めた。『主人の館と奴隷小屋』(2001)はYIDFF 2001上映。常に時代情況にコミットしながら制作と運動を続けてきた気骨の映画作家である。2018年4月に89歳で死去。