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バーバラ・ハマー 追悼

サンクタス

Sanctus

アメリカ/1990/英語/カラー、モノクロ/16mm/19分

監督、脚本、撮影、編集、製作:バーバラ・ハマー
音楽:ニール・ロルニック
提供(日本国内):イメージフォーラム

『アッシャー家の崩壊』(1929)のジェームズ・シブレイ・ワトソン博士とそのチームが撮影した人体のX線写真を再撮影。不可視と可視の間で臓器を守る骸骨が動き、変容し、増殖し、色と光を得ていく。身体が持つ生と死のユーモラスで、ミステリアスな姿をあらわにする瞑想的な作品。



ナイトレイト・キス

Nitrate Kisses

アメリカ/1992/英語/モノクロ/ 16mm/67分

監督、脚本、撮影、編集、録音、製作:バーバラ・ハマー
音楽:スタシュ・レコード
提供(日本国内):イメージフォーラム

長編ドキュメンタリーの断片が、レスビアン・ゲイ文化の失われた痕跡を求めて、浸食された感光乳剤とイメージを探求する。レスビアン映画のパイオニアであるバーバラ・ハマー初の長編が、禁じられた歴史、見えない歴史を発掘する映像を通して、4組のゲイとレスビアンのカップルの鮮烈なイメージを紡ぎ出す。アメリカ初のゲイ映画『Lot in Sodom』(1933)の歴史的な映像が、この忘れ難いドキュメンタリーに織り込まれている。



 今年3月に亡くなったバーバラ・ハマーは、長い間、ただ一人のカミングアウトしたレズビアンの映像作家だった。1968年から前衛的な短編作品の制作を始めた彼女が、長編『ナイトレイト・キス』で世界各地の批評家から絶賛を集め、95年にYIDFFで審査員長を務めたことの意義は大きい。YIDFFで同作が上映されたのはもちろん、翌96年にイメージフォーラムから短編『サンクタス』とともに配給され、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭での上映を経てビデオ化もされた。

 バーバラは、97年には出品作家としてYIDFFに参加。このとき私は字幕と通訳を担当したが、当時58歳にしてスパイキーなショートヘア、ライダーズ・ジャケットとジーンズ姿のバーバラを、地元の同世代に見える女性たちが追いかけをしていた様子は微笑ましく、印象に残っている。映画祭後には、中野のレズビアン・バイセクシャル女性たちのスペース「LOUD」のためのチャリティ企画として、東京都写真美術館ホールで『テンダー・フィクションズ』を上映した。バーバラが東京での上映を望んだことを受け、私が組織したボランティアの実行委員会によって、プロの映写技師の協力とYIDFF、イメージフォーラムの許可のもと実現した、日本のレズビアン・コミュニティで前例のないイベントだった。

 顔と名前を出してレズビアンとして活動する人すら数人であった当時、バーバラの作品は、レズビアンである自分の興味や主張を追求することと、異性愛者、特に男性が仕切る世の中で、彼らからも高く評価される作品を作ることが両立することを、私(たち)に強く印象づけた。たとえば『ナイトレイト・キス』は、一言でいえば「20世紀の同性愛者の埋もれた歴史をスタイリッシュなモノクロ映像で描く」作品だが、当事者の回想、理論家や作家のテキスト、古い映画のフッテージ、アーキヴィストの証言、ヘイズ・コードなどを、時代や国の違いを超え、縦横無尽に再構築している。ドキュメンタリーでありつつ、「ひとつの真実」を示すことなく、観客自身が主体となって思考し、感じることを求める重層的な作品である。

 バーバラはいなくなってしまったが、彼女の作品は残る。山形で、あるいは世界のどこかで、より多くの観客が彼女の作品に触れることを願いながら、本稿を終えます。

溝口彰子(ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ研究)


バーバラ・ハマー

1960年代後半から、8mmで映画を撮り始める。その後、レズビアン・フェミニズムと出会い、実験映画や社会的メッセージの強い作品を発表。50年以上に渡る活動は、クイア映画のパイオニアとして認知されている。ハマーは、当初からフィルムとビデオで制作をしていた映像作家で、レズビアンの歴史、人生や表象に光をあてていく画期的な実験映画作品群を発表。1992年、初の長編ドキュメンタリー『ナイトレイト・キス』で国際的な評価を得、YIDFF '95で審査委員長。『テンダー・フィクションズ』(1995)は、YIDFF '97インターナショナル・コンペティションで上映。1939年ハリウッド生まれ。2019年に亡くなるまでニューヨークで活動した。