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ニッポン国VS泉南石綿村

Sennan Asbestos Disaster

- 日本/2017/日本語/カラー/DCP/215分

監督、撮影:原一男
編集:秦岳志
整音:小川武
音楽:柳下美恵
製作:小林佐智子
ポストプロダクション・プロデューサー:島野千尋
配給:太秦株式会社

明治の終わりから石綿(アスベスト)産業で栄えた大阪・泉南地域。肺に吸い込むと長い潜伏期間の末に肺ガンや中皮腫を発症するアスベスト疾患の責任を求めて、工場の元労働者と家族、周辺住民らが国家賠償請求訴訟を起こす。一審で勝訴するも国は控訴を繰り返し、長引く裁判の間に原告は次々と亡くなっていく。原一男監督の23年ぶりの長編ドキュメンタリーである本作は、最高裁判決までの8年以上にわたる原告と弁護団の闘いを支援者として丁寧に記録する一方、映画作家として被害者、家族らの揺れ動く生の感情をカメラの前に引き出し、裁判終結までの痛切な闘争のドラマをしたたかに描き出す。



【監督のことば】これまでの映画作りにおいて、個々のテーマや表現方法が決して易しかったわけではない。それは当たり前のことだが、今回はかつてなく難しかった。カメラを向ける対象はハッキリしているものの、テーマは一体何だろうか、作品に込めるメッセージは何だろうかと、8年間の撮影期間中、五里霧中。撮影が終わってもなお、答えは見つからなかった。編集に2年間の試行錯誤を経て、作品の構成が固まり、尺が決まり、全体が見えてきて、やっと自分がこだわってきたテーマはこれだったのだと実感できた。

 ドキュメンタリーとは、それぞれの時代の中で生きている庶民の喜怒哀楽の感情を描き、その時代の意味を摘出し問うことである。私は『全身小説家』までの自分の作品を“昭和のドキュメンタリー”と位置づけている。ということは、23年ぶりの長編となる今作は“平成のドキュメンタリー”ということになる。だが、平成という時代に描くべきこととは何か? と問うことがこんなに困難であるとは思ってもみなかった。

 今、ニッポン国の民主主義が未曾有の危機にある。昭和20年、本土各地が大空襲を受けているとき、避難中の防空壕で生を受けた私は、敗戦後に導入された民主主義の下で育った。その民主主義が、一部の権力者の暴走で破壊されようとしている。こんな時代だからこそ、ニッポン人として今なすべきことは何か、私たち自身が問われている。今回の作品は、まさに平成のニッポン人の自画像を描いたものである。


- 原一男

1945年6月、山口県宇部市生まれ。東京綜合写真専門学校中退後、養護学校の介助職員を勤めながら障害児の世界にのめり込み、写真展「ばかにすンな」を開催。1972年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立。同年、障害者と健常者の“関係性の変革”をテーマにしたドキュメンタリー映画『さようならCP』で監督デビュー。1974年、原を捨てて沖縄に移住した元妻・武田美由紀の自力出産を記録した『極私的エロス・恋歌1974』を発表。セルフ・ドキュメンタリーの先駆的作品として高い評価を得る。1987年、元日本兵・奥崎謙三が上官の戦争責任を過激に追及する『ゆきゆきて、神軍』を発表。大ヒットし、日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レールのグランプリなどを受賞。1994年、小説家・井上光晴の虚実に迫る『全身小説家』を発表。キネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位を獲得。2005年、ひとりの人生を4人の女優が演じる初の劇映画『またの日の知華』を発表。YIDFF '93では審査員を務めた。後進の育成にも力を注いでいる。寡作ながら、公開された作品はいずれも高い評価を得、各地の国際映画祭でレトロスペクティブが開催されている。