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イントロダクション


立ち続ける

 映画の活動にかかわって30年になる。移動用映写機を車に積んでいろんな地域を回る。その土地の方々と出会い、上映会の計画を練り、映写空間を作り込んだりと様々な共同作業をする。気持ちが通い、彼らが暮らす地域の文化や自然にも自ずと興味が深まる。そして様々な年代の人たちが入場チケットを握りしめて愉し気に映画を観に来てくれる姿を、上映会を作った仲間と一緒に出迎える。やがて会場は暗くなり、私は映写機を回し、スクリーンに光が灯る。

 楽しんでくれるといいな。それが深いものであればいいな。映画という船に乗って、見知らぬ人たちと出会って、話して、メシ食って、酒飲んで、喧嘩したり、喜んだり、すこし人生が変ったり。単純で、情熱的で、何でもありで、どこか大らかな自主上映と移動映写の世界。人の中に入ってゆく映画。結局、自分がやってきたことは、こういうことだった なと今は感じている。

 そうやって地域を巡るうち、敗戦の年(1945)にすでに学童向けの映画教室が開かれていたという話を聞いたことがあった。

 今回の映画祭を迎える前に、ずっと気になっていたそのことを一度確かめておきたいと思い立ち、3ヶ月ほど前、手がかりを得てある人を訪ねた。

 米沢市にお住まいの元美術教師・高森務さん、106歳。

 高森さんは杖をついて、多少照れた表情で玄関先に私を出迎えてくださった。

 統制された戦時下の教育体制から解放され、高森先生は教師仲間とともに、新しい視聴覚教育として、芸術や文化に触れる活動にすぐ取り掛かった。映画上映に熱心だったのは故・青山弥市先生だった。高森先生は、針金と紙粘土で作った「青空雲右衛門」という老人の等身大の人形を文楽のように操って、パフォーマンスを行った。映画は、米軍による民主化政策として普及した「ナトコ映画」もあったようだが、青山先生は浜田広介の童話を元に、8ミリ映画を作って上映していたという。実は戦中生まれの雲右衛門は、出征兵士が乗った列車の窓にその顔を突っ込んでは、元気で帰ってきてくれと言って回った。

 敗戦後、映画や人形どころじゃないという空気の中、こんなときだからこそ必要だと始めた高森さんたちの映画と人形劇の巡回公演は、行く先々の地域や学校で大好評を博す。また先生たちは、この活動を通して、遊びと学びの拠点・児童館の建設を求める運動を展開したり、親子が思う存分遊べる遊園地を造ろうと市会議員を動かして株式会社を作ったこともあったという。その後も、人形劇団の旗揚げ、子ども新聞の発行、児童文化協会設立、親子劇場の発足など様々なことに、 たゆみなく挑戦された。

 時代の変革期に奔走した先生方の活動は、世代交代しながら実は今も続けられている。そして何より、高森さんの動きも止まっていない。先生はいまだ現役の画家である。そして雲右衛門は、ときどき小学校を訪れては子どもたちを楽しませ、ときには地域の敬老会で、自分よりもずいぶん若い老人たちを和ませている。

 天安門事件やベルリンの壁の崩壊など、その後の世界を変えた出来事が起こった1989年に、まるで生まれ合わせたように始まった山形国際ドキュメンタリー映画祭も、多くの人々に支えられて四半世紀を迎える。しかし、感慨に浸っている場合でもない。今や、いつが変革期なのか分からないほど、世界中から紛争の知らせが届く。一方で、あふれかえる情報の中で、私たちは生きていることのリアルを失いがちだ。そんな時代も、この映画祭が立ち続ける。そんな時代にこそ、この映画祭が立ち続ける意味が深まるのかも知れないと感じる。

 どうでしょう、雲右衛門さん。

山形事務局長 高橋卓也

 


また今年もありがとうございます

 2年に一度の映画祭の運営には、不都合が多い。

 スタッフや関係者の人生はさまざまで、一所にとどまらない。

 業務の進め方や作業の段取りは、すっかり頭から消えてしまう。

 でも動き出しながら記憶をたどっていると 、四季が2回めぐる間に忘れていたことを思い出す面白さがある。

 2年前の今頃、日本がどういう空気だったのか。

 2011年、巨大な震災と原発事故に見舞われ、価値観の根本的な見直しが文化芸術、経済社会、暮らし全般でテーマになった。より速く、多く、安く、便利に、を合言葉にした効率主義と高度のシステム化の「正論」に追い立てられていたのか、と気付いた人たちは、それぞれに声をあげたり、人生を変えたりした。自分はどう感じていただ ろうか。

 あのささやかでつかのまの「日本の春」から2年。木犀がまた香り始め、オリンピックやアベノミックスの打ち上げ花火のまぶしさから目を移して、山形映画祭に足を運ぶ。忘れないための、ヤマガタ。発見するための、ヤマガタ。

 2013年。山形の今が、過去と、世界と、分かちがたく結びついていることをあらためて体験する、そんな映画祭を約束したい。

 プログラムは、縦横無尽につながっている。『ベトナムから遠く離れて』(マルケル)を見たら『アフガニスタンから遠く離れて』(特別招待)を見てください。『蜘蛛の地』(コンペ)の北朝鮮国境地帯と『標的の村』(アジア千波万波)の沖縄東村の高江、『チョール国境の沈む島』(コンペ)のガンジス川に共通するものは? オリンピックを考えるなら『不思議なクミコ』(マルケル)と『北京陳情村の人々(ディレクターズ・カット)』(倫理)をぜひ。『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督と『殺人という行為』のジョシュア・オッペンハイマー監督の対談も見逃せない。小川プロの『現認報告書』(特別招待)で描かれる羽田闘争の学生たちと、『怒れる沿線:三谷(さんや)』(アジア千波万波)の農民の直接抗議行動は、〈アラブの春〉とどう重なるのか?

 今年も映画祭が無事開催できるよう、力を尽くしてくださった多くの皆様へ、感謝をこめて。ありがとうございます。

東京事務局ディレクター 藤岡朝子