特別招待作品 |
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映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事
Cinema Is about Documenting Lives: The Works and Times of Noriaki Tsuchimoto-
日本/2007/日本語/カラー、モノクロ/ビデオ/94分/英語字幕版
監督、編集:藤原敏史
撮影:加藤孝信
監督補:今田哲史
インタビュー:石坂健治
音響監督:久保田幸雄
企画、製作:伏屋博雄
製作会社、配給:ビジュアルトラックス
水俣を撮り続けている土本典昭監督。水俣前の『ある機関助士』(1963)や『ドキュメント路上』(1964)の撮影について語る土本監督を写し、『水俣 ― 患者さんとその世界』(1971)、『不知火海』(1975)などの映像を織り交ぜながら、現在の水俣を訪れる監督を追う。以前の映像に現れた患者の現在、そしてまだ終わっていない(はずの)水俣の歴史に思いを馳せ、記録することの意味を問い続ける監督に向き合って、新しい世代の作家が刻もうとするのは……。
【監督のことば】土本典昭についての映画を作ろうという時、与えられた素材に過去に土本典昭が撮った映画と、その記憶を背負った土本典昭の現在の顔があった。そして30余年前に土本が撮った水俣の映像があり、現在の水俣と、そこを歩く土本典昭を記録する僕のキャメラ。
キャメラは残酷な機械だ。フレームまでは決められるが、そのフレームが切り取ったなかで、生のありようはそのまま記録される。冷徹な機械の目(キノ・グラース)には、土本が映画を撮った時代と現代のあいだに流れた取り返しようのない時間と、時代の変化が刻印されている。
その過ぎた時代を、昭和45年生まれの僕自身はほとんど知らなかった。だからこの映画を、土本が初めて水俣を撮った昭和40年に初めて親になった父と母、そのふたりを含め日本の戦後を作って来た大人たちに捧げたい。
藤原敏史 1970年、横浜生まれ。東京とパリで育ち、早稲田大学文学部、南カリフォルニア大学映画テレビジョン学部で映画史、映画製作を学ぶ。1994年から映画批評を執筆。共編著に『〈社会派シネマ〉の戦い方』、『アモス・ギタイ イスラエル/映像/ディアスポラ』(ともにフィルムアート社)。訳書に『「市民ケーン」、すべて真実』、『バスター・キートン自伝』(ともに筑摩書房)、『映画監督という仕事』(フィルムアート社)など。2002年にアモス・ギタイの映画『ケドマ』の撮影現場を撮ったドキュメンタリー『INDEPENDENCE』で監督デビュー。その後、神奈川県逗子市の池子米軍基地問題を扱った『フェンス』(2007)とドキュメンタリー演出を続ける一方で、大胆な即興演出を駆使した初の劇映画『ぼくらはもう帰れない』を2006年ベルリン国際映画祭フォーラム部門で上映、世界的な注目を集める。 |