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YIDFF 2025 日本プログラム
あなたのおみとり
村上浩康 監督インタビュー
聞き手:若林良

肉親だからこそできた、自由で遠慮のない撮影


 村上監督はいつの時点で、お父さんの「おみとり」を映画にしようと思われたのでしょうか。

 動機としては、看取りにあたってより主体的に取り組むモチベーションを作ろうと思ったことです。順序だててお話ししますと、父の病状が末期になり、家で看取らなければならないとなった時に、母といろいろと話す必要に迫られたのですが、重い話であるだけに些細なことで言い合いになったりして、ストレスがたまってきていました。加えて、実家は仙台なのですが、僕は東京に暮らしているので、行くのにも時間とお金がかかり、それも面倒になってきていたんですね。どうやって看取りのモチベーションを維持するかと考えたときに、思いついたのがこの経験を映画にすることでした。自分は映画を作っているのだから、映画制作として取り組めば多少は前向きになるだろうと考え、まずはカメラを回し始めました。

 とはいえ、実際に映画にできるかはわからないところもあったのですが、撮影を始めると、「これは映画になる」と感じ、看取りが楽しくもなってきました。実際に撮影を開始したのは、序盤に登場する訪問入浴のシーンからですが、介護スタッフさんたちの仕事ぶりに感動したんです。狭い台所に浴槽を作り、父の体を洗ってくれたのですが、その手際がすごく良くて、心打たれたんですね。画としても印象的でしたし、これからこうした経験をする人たちがどんどん増えていくだろうとも思いました。

 実際の介護の現場を見て、映画にすることを決められたということですね。

 そうですね。また、看取りにかかわってくれる看護師さんやヘルパーさんなどの話を聞く機会も増えて、そこから高齢化社会の現実への興味も増してきたことも大きかったですね。いわば、父の姿を通して、高齢化社会が抱える様々な課題が描けるのではないかと思うようにもなったんです。

 加えて、最大のモチベーションは、「人間の死を間近で見られる」と思えたことです。現在は家族でも、人の死を見るのは難しいですよね。ほとんどの人が病院や施設で亡くなりますし、病院で面会ができないまま、ある日亡くなったという知らせが来ることも珍しくはないでしょう。そんな中、父を自宅で看取るとなって、言葉は悪いですが、いい機会だとも思ったんです。父がどのように亡くなるか、家族にどのような波紋が生まれるかを、映画の作り手として捉えようと思いました。

 撮影を開始した時の、ご両親の反応はいかがでしたか。

 親子とはいえ、父と母に撮影を拒否されたら、さすがにごり押しで続けようとは思っていませんでした。とくに父の場合、死に瀕した自分の姿を撮られるとなると、いい気分はしなかったでしょう。しかし、結果から言えば、二人とも撮影を拒むことはありませんでした。

 父は撮影を開始した段階では、カメラをちらりと見るようなことはありましたが、特に何も言うことはありませんでした。母にしても、僕に問いただすこともなかったんです。もちろん、父は衰弱しており、母は余裕がなかったから僕に何も問わなかったとも言えるのですが、一方で、二人はカメラを前にしても、普段のふるまいを変えることもなく、いつも通りにふるまっていました。そのような二人に触れて、息子である僕も自然に撮影を続けることができたように思います。

 当たり前ですが、ドキュメンタリーを撮る中ではどこかに遠慮があります。基本的に、撮らせていただく人は自分とのへだたりがある「他者」ですので、どこまで踏み込むかは、探り探りで進めているんです。しかし、今回はそうした遠慮がいい意味でなく、だからこそ自由な撮影が可能になりました。

  肉親だからこそ、リアルな撮影が可能になったということですね。

 そうですね。ただ、単に「リアル」と片づけられることには、抵抗したいとも思います。『あなたのおみとり』については、「リアルな介護がここにある」と言われることは多いですし、介護のプロの方からもそう言われます。ただ、作品には「リアル」ではなく、実際は「演出」とも呼びえる場面が多いんです。

 まず、はじまりについて。本作は母からの、父の看取りを家ですることにしたという電話からはじまりますが、あの電話の音声は、母からの連絡をあらかじめ予知でもしていない限りは、普通は録れるものではないですよね。ですから、あの場面は同時に撮ったものではなく、のちに母に再現をしてもらったものです。また、父の死の翌朝にトンボが飛んでくるシーンにしてもそうですね。トンボの大群そのものは実際に父の死の翌朝に家に飛んできたんですが、それを映画に入れ込むうえでは、必然としての演出(僕はそれを創意工夫と呼びますが)を加えています。トンボが飛んでくるシーンに先立ち、母が「トンボは死者の魂を運ぶという言い伝えがある」と口にするシーンがありますが、それは僕が調べ、そのうえで母に言うように頼んだんです。ただトンボが飛ぶシーンを入れても、全体からは浮いてしまうので、このような前提を作ることで、トンボのシーンに必然性が出るようにしたんですね。ある意味、すべてのドキュメンタリーは偶然撮影できたものが素材となっていると思いますが、その偶然を作品の中で必然に変えていくこと、それが僕のドキュメンタリー映画制作の核となっています。

 さらには、本作では庭の生き物を映すシーンもありますが、その中にも創意工夫を施しています。たとえば、大きなカタツムリが出てきますが、あれはインドネシアのバリ島で撮影したもので、別な機会に撮った素材を、本作で活用したんですね。加えて音声としては、同じくバリ島で収録した鳥の鳴き声なども入れています。これらは庭にある「生」の豊饒さと、「死」に向かいつつある父の対称性を強調しようという狙いで入れました。つまり父の寝ている部屋の外には極楽浄土のような死後の世界がすぐに迫っているというイメージを、映画を見る人に無意識に感じ取ってもらいたかったのです。

 今のお話とつながるかもしれませんが、本作は編集も巧みだと思います。最初、お母さんが献身的に介護をされていることもあり、ご両親は強い絆で結ばれた夫婦なのだなと思っていたのですが、中盤になり、実は夫婦仲はあまり良くなく、まったく口を利かない時期もあったことがわかります。そこから見え方もがらっと変わりました。

 それもまた創意工夫です。僕は両親が仲が悪いということをあらかじめわかっていたわけですが、観客にはそれをおいそれとは明かさず、中盤ではじめて関係性の種明かしをする。それによって、観客にはまた新たな感情が生まれるわけですね。中盤でこうした転換点を作るのは、じつは劇映画のシナリオにおけるセオリーの一つです。僕は若い頃は劇映画の監督を志望しており、そのためにシナリオも一生懸命に勉強したんです。結果的に今はドキュメンタリーを作っていますが、その中でも劇映画のシナリオの構成方法については、かなり役に立っています。僕はドキュメンタリーの作り手は、むしろ劇映画から構成の創り方を積極的に学ぶべきだと考えています。

 村上監督の作品は『東京干潟』(2019)や『蟹の惑星』(2019)など、基本的に高齢者の方が主人公ですね。今回は監督にとって一番身近な高齢者が主人公ですが、高齢者に惹かれることに何か理由はあるのでしょうか。

 僕の映画の特色は、高齢者と水辺が出てくることですね。後者に関して言えば、最初の海のシーンや、父が風呂に入るシーンなどにそれはあてはまります。また抽象的には、これは三途の川を舞台にした映画なんだ、と言えたりもして(笑)。そして高齢者と水辺は、実は強いつながりを持っています。水は生命の起源であり、生物が集まる場所、また文明が生まれたのも水辺からです。一方で、高齢者は残された時間は多くなく、死を意識せざるを得ない存在です。生と死を対比して見せるために、高齢者と水辺がモチーフになっているところはあるかもしれません。これから制作する映画も、そのような要素は踏襲されていくと思います。

採録・構成:若林良

写真撮影:大下由美/担当:佐藤寛朗/2025-10-14