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YIDFF 2025 YIDFFネットワーク企画上映
魂のきせき
小林茂 監督インタビュー
聞き手:井上瑶子

伝わらない苦さ、痛みと生きる姿を撮る


 登場される方は主に、森永都子さん(以下みやさん)、にのみやさをりさん、高橋和枝さんの三人で、さらに監督ご自身もお出になっていますね。性暴力、暴力をテーマとする映画を撮ることを決めていかれた経緯を教えてください。

 みやさんは、若い頃に一緒に水俣病の支援活動をしていた50年来の友人です。彼女が40歳のとき、子どもが学齢期に達するので実家のある佐賀に戻り小学校に連れて行ったときに、教師からの性暴力を思い出しフラッシュバックを起こしました。以後PTSDを発症し苦しんできました。僕も電話で「死にたい」というような声を聴きながら30数年間過ごしてきました。また、性暴力は「魂の殺人」と言われること、トラウマは一生ついてまわることなど、本で読みました。

 2011年頃に写真家の、にのみやさをりさんが実名で性被害について連載されている記事を読んで、みやさんの相談相手になってもらいたいと知り合いになりました。にのみやさんは国立くにたちの喫茶店で、年に一回写真展をされていたんです。僕も何度かお邪魔したことがあったので、2016年の秋、案内はがきが届きました。「事情によりここでの展示は最後になります」と書かれていたのを見たときに初めて、「ああ、映画にしなきゃ」って思ったんですよ。それと同時に、「いや、待て」と。この難しいテーマで映画を制作したら大変なことになるぞと。でも一回頭に浮かんだことを否定するのはよくないなと。とにかくやれるだけやってみようかという気になって、それで、にのみやさんに撮影のお願いに行きました。12月の写真展のときには、撮影の小田香さんに一人で行ってもらったんですが、映画の冒頭部のシーンに残っています。

 高橋和枝さんは、不登校や引きこもりを経験し、2001年、そういう人たちのフリースクール「スプーンフィールド」を長岡市に開設したという新聞記事を見て、僕が訪ねたのが最初でした。2017年、新潟市内の映画館で性被害をテーマにした劇映画が上映されたときに、たまたま高橋さんに出会い、話をしたら「自分も当事者です」と。映画への協力を申し出てくれて、撮影も少しずつ始めました。

 コロナ禍をはさんで8年間、スタッフのみなさんと撮影するなかで、小林監督の構想は当初思い描かれたものから変わっていかれたのか、あるいは変わらなかったのかなど、いかがでしょうか。

 この映画制作のベースにあるのは、みやさんなんですね。トラウマ、PTSDが重くて苦しくて、自殺未遂を繰り返していました。みやさんも「苦しさを伝えてくれ」と言うし、当初その苦しさみたいなものが表現できればいいのではないかと思ったんです。にのみやさんも高橋さんも、PTSDを抱えて生きています。けれど結論から言うと、その苦しみを映像のなかで具体的に表現することは難しいと思い至りました。というのも例えば『阿賀に生きる』(1992)でも、水俣病患者の苦しみを、手が震えるとかそういうことで描いたとしても伝わらない、というのが僕の実感でもあるので。それは、薬害スモン被害の実相を追いかけた撮影のときもそうでした。だから、一人一人の痛みというものは、そんなに簡単に表現できたり、伝わったりするものじゃないと。それならばそうした経験や痛みを抱えながら生きる姿を淡々と撮っていくしかないんじゃないか、というふうに思うようになりました。

 小林監督は暴力の被害という意味で当事者として映画のなかに立たれています。

 僕自身が映画に出るきっかけになったのは、男性でベテランのドキュメンタリー監督がこういうテーマに挑むというだけで、かなり拒否感がある、という声が聞こえてきたときです。まず僕とみやさんの関係をしっかり描かないと理解してもらえないと思い、私もカメラの前にたちました。

 また、80年前の戦争が、戦後、どんなふうに影響しているか、自分なりに学習しました。戦争の暴力は戦後になって家庭に入って、DVになっていった。家庭内での暴力の一環として性暴力もあるんですね。男たちは戦地でのことをしゃべることができず、お酒を飲んで暴力をふるう。それは子や孫にまで影響を及ぼす、と。まさに僕の家族の事例でもあって、激しい夫婦喧嘩を毎日見て、嫌でしたね。トラウマ治療が専門の小児科医の友人が、「小林くん、それは面前DVといって虐待の一つなんだ」と。そうやって父親のことを考えていくと、父親も家族も戦争の被害者だったのだろうと思うようになりました。

 スタッフから「小林さんも過去と向き合うべきじゃないか」という意見が出て、僕も自分のことも交えて表現していかないといけないなと思って、覚悟をもって故郷に向かったんですね。

 日本の性暴力被害において、加害者の大多数は被害者と面識がある人物であり、家庭内や知り合いによる被害の割合は非常に高い。だから戦争のことと性暴力には関係性があるということは映画のなかで言いたかったんですね。

 写真の存在も映画のなかではとても印象的でした。

 にのみやさんの写真を編集で秦岳志さんが入れてくださっているんですけど、セクションごとに写真が入り、何かが思い起こされて、それが写真によって定着していく一つの切れ目にもなっていますね。僕も写真をやっていたので、現像液のなかで画像が浮き上がる不思議さがわかります。にのみやさんの暗室作業のシーンをなんとか撮ることができました。その写真がにのみやさんの娘さんの幼い頃の写真で、現在の成長した娘さんのシーンに繫がっていく。そこまで、ご家族で協力していただいたことに深く感謝しています。

 また、みやさんの詩も映画に入っていますが、みやさん自らの声で読み上げてほしいと思ったのですが、それも実現できて、よかったと思います。

 高橋和枝さんの講演のシーンもやはり心に残りました。

 あれは性被害を初めて告白する高橋さん覚悟のシーンです。最初はそういう話をするとは思ってもいなかったので僕も本当にびっくりして聴いていました。僕ならもっと近くで撮影したのではないかと思いますが、小田さんのカメラは、彼女がしゃべっているときに5、6メートルくらい離れて、ちょっと距離を置いているんですね。おそらく小田さんは、目と身体で高橋さんを応援していたんじゃないかと思うんです。そういう距離感は小田さんの優れた特性だと思います。

 映画の主題歌である「にじ」と「わらべ唄」の歌は、結華さんという方が歌ってくれています。ある発表会で、彼女の歌を聴いたのですが、ものすごく衝撃を受けました。当時、結華さんは小学二年生でした。小学校の低学年というのは、大人社会のことも理解できるのに、何も抵抗できないような年代ではないかと、自分の経験から思うのです。その微妙な心の風景が声に表れているように思えて、声はどんどん変化しますから、すぐに録音しなければと、録音の川上拓也くんに頼んで、結華さんの家のリビングで録音したのです。

 この映画では、我々スタッフ一人一人が映画に登場している方と交流しているので、僕とだけの関係性で成り立っているわけではありません。また、撮影中や編集中も被写体の方と意見を交わしながらやってきました。そういうなかで、サバイバーである本人が映画に登場する覚悟を少しずつ固めてくれたのではないかと思います。

 僕はね、まだ、この映画が表現していることを摑み切れていないようなところがあります。今回山形での上映が最初ですけど、みなさんがどういうことを思われるのかを聴きながら、この映画のテーマをこれから掘り下げていきたいと思っています。

採録・構成:井上瑶子

写真撮影:今泉秀夫/担当:桝谷頌子/2025-10-10