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    Doctor Ma's Country Clinic
    马大夫的诊所

    - 中国/2008/中国語/カラー/ビデオ/215分

    監督、撮影、録音、編集、製作、提供:叢峰(ツォン・フォン)

    馬先生の東洋医学の診療所は甘粛省の山間の村にある。不作続きで、働き手は男女問わずに建設現場、農作業、炭鉱……と出稼ぎにいく。風邪をひいた子どもをつれてくる母親、労災をかかえる様々な男女に加え、別の村からも来訪者が絶えない。体の痛みを訴える診療所は、さながら人生の待合室のごとく、互いに生きることの苦楽を分かち合い、カメラもじっと耳を澄まし目を凝らす。表情豊かに語られる様々な人生や死生観を編み込み、1枚のタペストリーが織り上がる。



    【監督のことば】 初めてその診療所に足を踏み入れたとき、私は時間が逆流しているかのような感覚にとらわれた。部屋のしつらえも、患者たちの顔つきや身なりも、今という時代とはまるで関わりがなく、ただ過去に繋ぎとめられているかのようだった。その空間の中で、私はどういうわけか自分の子ども時代を思い出した。私の故郷はそこから2,000kmも隔たっているというのに。

     正式に撮影を始める段階になって、私は馬先生にこう相談した。「実は、撮りたいのは先生ではないんです。先生の診療所の患者さんたちなんです」。撮影を始めて数日のうちに、私は自分が診療所の人びとに受け入れられ、少しずつ「診療所の内部」に入り込めるような感触を持った。さしずめ、私は診療所の患者たちにとって最も無益な存在だ。だから私の撮影に際しての原則は、たとえ見栄えのいい画面が撮れなくても、カメラの位置取りのために診療の邪魔はしないということだった。そうすれば患者さんに影響を与えないで済む。

     診療所では、死や苦悩を語る人々のあまりの熱心さに、私の心は激しく揺さぶられた。幾度か、カメラを持つ私を人々がぐるりと囲み、口々にその痛ましい歴史を語ることがあった。私はそれを聞きながら自分の感情を表に出さぬよう努めていたが、内心では居心地の悪さとやり切れなさをぬぐうことはできなかった。

     2008年、私は新作の撮影のため、再び黄羊川を訪れた。馬先生の診療所は別の場所に移っていたが、私はそこにもたびたび顔を出した。ある日私が診療所にいると、かつて雪の日に孫につきそわれて診療所に来た、すでに目の見えなくなったおばあさんが姿を見せた。彼女は、一段と老けこみ、衰弱し切った様子で、わずかな肌の輝きも失われていた。その終わりのときが間もなく訪れようとしていたのだ。


    - 叢峰(ツォン・フォン)

    1972年、中国河北省承徳生まれ。1995年から2000年まで中国気象局国家気象衛星センターに勤務した後、2002年から2005年まで週刊新聞『国際先駆導報紙』の文化欄の編集を担当。2002年、詩集『Invisible Train』を出版し、写真作品は同年の平遥国際写真フェスティバルにおいて、新鋭作家のセクションである中国新撮影に選定された。2006年には長編詩『Masmediacspoeshitry』をSubJamより出版。2005年よりドキュメンタリー映画の制作を始める。