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  • ニッポン劇場 ―海を方法とした映像を―!

    Nippon Theater--Toward Film Inspired by the Sea

    - 日本/2007/日本語、ほか/16mm、ビデオ/約70分/4面マルチスクリーン

    製作:マルチスクリーン・プロジェクト 
    協力:NDU 
    提供:プラネット映画資料図書館

    『沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー』など70年代に乱舞したNDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)の主要スタッフである布川徹郎が大阪を拠点に活動を始めて以来、映画の未来を信じる意欲的な侍たちが集まってきた。従来の1画面の映画ではなく、複数の画面によるマルチスクリーンで未来を切り拓こうと、京都、大阪で上映を積み重ねてきた。その成果をもとに山形映画祭で新たな飛躍を実現しようと意気込んでいる。匿名性の集団なので個人名に意味はないが、今回のYIDFFヴァージョンのスタッフは以下の通り。

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    スタッフ:石田みどり、金稔万、佐藤零郎、白石佳子、田井中唯、布川徹郎、安井喜雄、吉田一郎



     マルチスクリーンって何? なぜ4面マルチスクリーンなのか?

     私たちがマルチスクリーン・プロジェクトによる大阪新世界界隈のドキュメンタリー撮影を開始したのが2003年であり、NDU作品を京都のJazz Spotと大阪のBarで行った「NDUレトロスペクティブ」隔週上映と併走しての活動であった。

     大阪は「人類館 事件」以来の新世界界隈をドキュメントした、3面マルチスクリーンで、タイトル『それって縁日ですか? それを準備している処なんです』は京都造形大学で上映され、日本列島を旅するテント芝居・曲馬館をドキュメントした『風ッ喰らい 時逆しま』を背景としていた。上映を終えた、プロジェクトの若いひとりが「(大阪万国博覧会以来の)マルチスクリーンの実験の時代は終わりました、これからが本番です」と……えっ、3面マルチの『パレスチナ urgent call』(1982、東京東武百貨店)も『第3世界へ』(1984、東京都美術館)なども、転形期の実験だったと!? そして昨年、果たせるかな“本番”は、新たな〈主体〉の登場を待って大阪「PLANET+1」で上映することができた。タイトルを決める間も無い、ドラムス生演奏と共に、3面スクリーン4画像の空間だった。

    【映像の時代背景】

     1969年、ベトナム戦争に対する日本に於ける反戦青年の群れをドキュメントした『鬼ッ子 ― 闘う青年労働者の記録』(1968、YIDFF '95)を撮り終えた頃、米軍政権下沖縄で全島ゼネストが提起され、米軍占領下の戦後日本で提起された「2・1ゼネスト」、言葉だけで知っているゼネストは流産する……。沖縄に渡航するには渡航許可書(ビザ)が必要であり、その不許可(処分)に対しては、密航で『沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー』(1971、YIDFF '95)をして対応し得た。1973年、民族の先島列島・八重山群島を島伝えに民族(宮古島民・朝鮮人・台湾人・日本人)の歴史を背負ったドキュメンタリー『アジアはひとつ』(1973、YIDFF 2005)は、「海征かば」を日常の背景に山渓に幽閉された台湾原住民の「もう一度、戦争がしたい」で終えた。以降、国境をテーマに国民国家の正史から遮断された人たちの群れを追ってきた。『倭奴へ 在韓被爆者・無告の二十六年』(1971、YIDFF 2005)、『太平洋戦争草稿』 (1974)、『bastard on the border 幻の混民族共和国』(1976、YIDFF '95)、『パレスチナ 1976−1983 パレスチナ革命からわれわれが学んだもの』(1983、YIDFF '97)、『出草之歌 台湾原住民の吶喊・背山一戦』(2005、YIDFF 2005)、そして、現代棄民化政策に抗して『長居テント村に大輪の舞台が立った』(2007)など。

    【均質化した日本の風景に、越境者たちの祭りを――】

     〈日本文化の創世期「人間的なるものが最も開花した中世期」は、海は開かれていた〉。2002年、靖国神社で台湾原住民の“祖霊奪還”の戦いに遭遇する。

     2005年の山形映画祭で、在日特集「日本に生きるということ――境界からの視線」を担当した安井喜雄によって、『アジアはひとつ』と『出草之歌』が上映され、「在日」の歴史空間は日清・日露戦争以来の百余年へと遡行していった。

     「戦後」日本国境の四海の海は七色の彩りを持って、国民国家とは何かと問いかけて来る。

    マルチスクリーン・プロジェクト