特別招待作品 |
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真壁仁と小川紳介
農民詩人真壁仁と小川紳介とが出会ったのは、記録映画『峠』の製作を通してであった。
詩碑『峠』が、蔵王連峰の中腹お清水の森に建立され、盛大な除幕式が行われた。この機会に地郷に生きる農民詩人真壁仁の思想とその姿を記録しておかねばと、製作を頼んだものであった。
それまで小川プロが牧野村に移住してからも、ふたりの間では直接の往き来はなかった。
『峠』のタイトルは真壁仁の代表作からとった題名ではあるが、彼は自作詩を朗読することによって、自らの生き来し方、来たるべき前の途への決意を表してくれた。それはまさに、真壁仁の昭和史そのものでもあった。
この自作詩朗読を、色川大吉氏は、「そこにあるのは羞恥をうかべたひとりの知識人ではなくて、ふてぶてしいまでにたくましい土着の農民詩人である」と、評してくれた。
この映画は、小川紳介の真壁仁への親愛の情から始まっている。映画『峠』ばかりではない、小川紳介の作品はどれもが人間愛から出発し、人間愛に到り着く。いうまでもなく、牧野村の人びとに対しても、その愛と情念は変わることがなかった。
真壁仁は、終焉間近い病床から両手を差しのべ「小川さん、これからもいい仕事をして下さい」と、小川さんの手を握りしめて離さなかったのが今も眼に浮ぶ。ふたりの涙が、ぼとぼと、病室の床を濡らしたことも。
木村迪夫
小川紳介 1936年、東京生まれ。1960年、岩波映画製作所と助監督契約を結び、東陽一、岩佐寿弥、黒木和雄、土本典昭らとの勉強会「青の会」に参加。1964年、フリーになる。監督第1作『青年の海』(1966)や『現認報告書』(1967)などを自主制作。全共闘運動の盛り上がりの中で全国の大学、職域などで支持を得た。1968年、小川プロダクションを旗揚げし、成田空港建設反対運動を描く、「三里塚」シリーズ製作に没頭。農民の側に立って映画を作り続けた。1974年、山形県上山市牧野に移り住み、米作りをしながら農村を見続け『ニッポン国古屋敷村』(1982)と『1000年刻みの日時計 ― 牧野村物語』(1986)を発表。1989年の第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭発足の準備委員として奔走、映画祭を成功に導いた。1992年2月7日逝去。 |
YIDFFオープニング上映
牧野物語・峠
Magino Story--Pass-
日本/1977/日本語/モノクロ/16mm /43分
監督:小川紳介 撮影:奥村祐治
録音:瓜生敏彦 ミキシング:久保田幸雄
出演:真壁仁 製作:飯塚俊男、伏屋博雄
製作会社:小川プロダクション
提供:アテネ・フランセ文化センター
「峠は決定を強いる所だ、峠には決別のための明るい憂愁が流れている……」これは昭和22年に詩誌「至上律」に発表された詩人、真壁仁の作である。真壁氏は山形在住の詩人であり、小川を山形に向かわせた重要人物のひとりであり、小川に「真の百姓の顔」を発見させた人物である。当時70歳を迎えた真壁を記念して詩碑が建立されることになった。小川はこれをモチーフに『峠』を撮る。それは小川自身の「三里塚」との「決別のための憂愁」でもある。一方、詩人真壁にとって『峠』は戦争体験と戦後の新しい生きる道との“峠”であった。詩人は農耕の神である蔵王にまつわる神話と、遠からぬ過去の「水争い」について老人から聞きながら、村の農業史を解き明かそうとする。それは真壁にとって百姓として、そして詩人として「自己史を日本の農業史として書こう」という強い意志の表明でもある。小川は、藁の傘と簑を着用する真壁の姿を克明に描写することで詩人=百姓としての誇りをカメラに捉え、彼自身の“峠”をも越えたのである。