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YIDFF 2023 インターナショナル・コンペティション

ある映画のための覚書
イグナシオ・アグエロ 監督インタビュー

聞き手:新谷和輝

1989年の思い出

新谷和輝(以下、新谷):あなたが山形に帰ってきたのは2017年以来でしょうか。街に何か変わったところはありますか?

イグナシオ・アグエロ(以下、アグエロ):あまり変わっていないのではないでしょうか。私が初めて山形を訪れたのは1989年の第1回映画祭の時でしたが、当時はまだ街に外国人観光客や西洋人が少なかったので、通りを歩いているとあちこちで人々が振り返って私を珍しそうに見るのです。映画祭に来ていた年配の女性たちはみな着物を着ていました。それから何度も山形に来ていますが、いつも楽しみにしています。

新谷:100人の子供たちが列車を待っている』が1989年の映画祭に出品されて、『氷の夢』1993年、『サンティアゴの扉』が2013年、2017年は審査員だったので……。

アグエロ:今回で5回目です。第1回の映画祭に参加して、それから4回も山形に来ている監督は他にあまりいないんじゃないでしょうか。

新谷:1989年の映画祭ではどんな監督たちと一緒だったんですか?

アグエロ:ネストール・アルメンドロス、ロバート・クレイマー、それからヨハン・ファン・デル・コイケンもいました。みな私より年上の偉大なシネアストたちでした。そのとき私はまだ若手で、あまり有名ではなかったです。

新谷:それからずいぶんと時間が経ちました。今回の映画祭での上映はいかがでしたか? 観客からの反応はどうだったのでしょう。

アグエロ:非常に満足しています。大きな会場で私の映画を見てくれたのは、特別な観客たちでした。彼らは映画にとても興味を持ってくれて、上映後には長い時間話すことができました。中には私の過去作を見てくれていた人もいて、『100人の子供たちが列車を待っている』について話してくれました。それから、矢野和之(元映画祭事務局長) さんと再会して、挨拶できたことも嬉しかったです。彼とは第1回映画祭からの知り合いですから。

新谷:1989年の映画祭の記憶がまだ鮮明に残っているんですね。

アグエロ:『100人の子供たちが列車を待っている』は、第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭の最初の日、しかも一番最初の上映作品でした。たしか午前10:00にスタートしたと思います。その時のことはよく覚えているのですが、私は少々イライラしていました。

新谷:どうしてですか?

アグエロ:上映の際に会場内の緑色のライトが壁に反射してしまって映画が見づらかったのです。上映後にスタッフに伝えると次の上映からはライトを消してくれて、足元の誘導灯も覆ってくれました。映画が上映される場は真っ暗でなくてはなりません。

新谷:それは『100人の子供たちが列車を待っている』に出てくるアリシア・ベガの教えとつながりますね。

アグエロ:その通り。映画には暗闇が必要なのです。

『ある映画のための覚書』が撮影されるまで

新谷:今回の作品、『ある映画のための覚書』の話に移りましょう。この映画には原作がありますね。今作の主役となるギュスターヴ・ヴェルニオリーが書いた『アラウカニアでの10年1889〜1899年』という本です。私も部分的に読みましたが、率直な文章で当時のチリについて記されているように思います。この本に出会ったのはいつだったのでしょうか?

アグエロ:10年前に読んで、すぐに惹きつけられました。ユーモアが随所にあって、ヴェルニオリーの人柄がよく表れています。この時代のチリの自然に資本が侵入していった歴史について、証言はたくさんあるはずなのですが、本はほとんどありません。この本はヴェルニオリーがチリでとったノートや手紙に基づいていて、彼がベルギーに帰国したあとに出版されました。当時のアラウカニア地域の日常生活や人々の様子、鉄道の建設の過程などが魅力的に描写されていて、ぜひ映画にしたいと思いました。

新谷:それで脚本に取りかかったのでしょうか?

アグエロ:脚本を書こうとしたのですが、うまくいきませんでした。歴史フィクション映画にするなら大規模なチームと予算が必要になりますが、それは無理でした。どうしようかと思って、舞台となるアラウカニアを歩いているうちに段々とアイデアが浮かんできました。少人数の小さなチームにすること、なるべく役者は使わないこと、主要な登場人物はヴェルニオリーひとりだけにすること、などです。そのような小規模の体制で撮影に臨みました。たとえば、「銀行へ!」と言って労働者がデモをするシーンがありますが、あれは撮影現場に行ってから、プロデューサーやカメラマンなど撮影スタッフ自らが労働者となって行進したら面白いのではないかと思いついて撮ったものです。

新谷:自分が映ると聞いたチームのみなさんの反応はどうだったんですか?

アグエロ:事前になんとなく伝えてはいましたが、皆喜んでいましたね。あのシーンはその場で段取りをしました。できあがった作品で見ると、主人公のヴェルニオリーは作品世界の中にいるのですが、画面が切り返されると私たちスタッフと一緒に行進している。これこそ映画的な遊びだと思います。我々撮影クルー自らが映画そのものになり、映画を発明していきました。ユーモアや新鮮さを大切にしようと考えていました。ありきたりの規則から逃れること、それに反抗することが前提にありました。

映画の声をめぐって

新谷:作中の声も一筋縄ではいかない遊戯的な表現だと思います。原作ではほとんどヴェルニオリーの一人称で語られていましたが、映画では彼の言葉が様々な人々の複数の声によってヴォイス・オーヴァーで読みあげられています。

アグエロ:複数の声というよりは、ひとつの声だと思っています。たしかに作中では、私やプロデューサーの声、ヴェルニオリーを演じた役者が話すフランス語やスペイン語によってテキストは読まれています。しかし、それらはみなヴェルニオリーのひとつの声なのです。彼の声を様々な人々が表現しているということです。もしくは、声の響きを変えているといえるかもしれません。ヴェルニオリーの声は、私やプロデューサーの女性といった立場のちがう人々によって再現されることになります。

新谷:声についてさらに聞きたいのは、この映画で印象的なマプチェ語の語りのシーンについてです。この場面はどのようにして撮影されたのでしょうか。

アグエロ:ミゲル・メリンがマプチェ語で話すシーンは、だいたい10分間あります。この映画は全部で100分間で、その10%をこのシーンに費やしているわけですから、非常に重要なパートです。ただ、このメリンの場面はもともと想定していたものではありませんでした。最初は彼の父親に話を聞こうと思っていたのです。その父親はもう100歳を超えていて、撮影が終わって少ししてから亡くなってしまいました。はじめに彼にインタビューをお願いしたのですが、断られてしまったのです。

新谷:どうして断られたのでしょう。健康上の理由ですか?

アグエロ:いえ、それはマプチェとしての彼の信念のためだと思います。白人とは決して話したくなかったのでしょう。とにかく彼は拒否しました。しょうがなく彼がいた小屋を出て、隣の家に行きました。そこにいた息子のメリンに経緯を話して、代わりに話してくれないかと頼みました。そこで彼が語った言葉が映画で使われています。

新谷:あの語りはワンテイクで撮られたのか、それとも何度かテイクを重ねたのでしょうか?

アグエロ:ワンテイクでした。非常にリラックスした形で、自然とあの語りが生まれたのです。彼は大学で教えている聡明な人物ですが、政治的に分かりやすいメッセージに落とし込むのではなく、とても素直に自身の記憶とマプチェの歴史について語りました。話をしている間メリンは馬の肉を焼いていて、話が終わるとそれを私たちに振舞ってくれました。マプチェ語でそのようにして彼の話を聞くことができたのは幸運でした。私たちのチームはマプチェ語の証言を撮るために3年ほどあちこちで人を探していましたが、なかなか探し求めていた声と出会えなかったからです。みなカメラの前ではつい演説的になってしまうのです。メリンにたどり着くまでとても時間がかかりました。

犬と鉄道からチリを映す

新谷:映画を分かりやすく単純化するのではない仕掛けや映像は他にもありました。たとえば、突然鳴るノックの音や、かつて駅があった場所で佇んでいる犬です。これらの存在によって、映画に深みと謎が生まれていたように思います。

アグエロ:あの犬は私も大好きです。雨が降る寒い駅で、棄てられたようにぽつんと凍えている犬。あの可哀想な犬を見て、「これこそチリだ。チリの映像だ」と感じました。この場面は脚本に書かれていなくて、その場に偶然あったものを映画に取り込みました。あの犬がカメラを見つめている姿が美しくて、そこには言葉で語りつくせない何かがあると思いました。かつての駅舎と線路の脇でずっと待っている犬が、私たちや観客に向けて語りかけているように見えます。

新谷:この映画はチリの鉄道建設の歴史について描いていますが、あなたの映画ではよく鉄道が登場しますね。鉄道を撮ることにこだわりがあるのでしょうか?

アグエロ:『100人の子供たちが列車を待っている』では、映画教室が行われている場所をプラットフォームのように見せようと、列車が到着する音を使いました。

新谷:あの映画のタイトルの意味は……?

アグエロ:リュミエールが撮った列車を意識しています。100人の子供たちが100年間映画館に行くのを待ちわびている、とでも言えましょうか。鉄道も映画もどちらも同じ時期に発明されたもので、これらの間には深い関係があります。鉄道についての映画を撮ることで、映画史や植民地主義など様々なテーマを映すことができます。この映画を見てもらえると分かるように、それはチリの歴史や国土について語ることでもあります。チリは非常に細長い形をしているので、ひとつの路線しか建設することはできません。

新谷:これが私の好きなやり方 2』には日本の新幹線が登場しました。

アグエロ:鉄道とは時間であり、時間とは映画です。さらにそれは資本主義の産物でもあります。同時に、鉄道は大人にも子供にも人気があります。鉄道を映画に映すことは、純粋な喜びなのです。

新谷:最後に山形の観客に向けて何かメッセージはありますか?

アグエロ:これまで5回山形を訪れてきましたが、また帰ってきたいです。もう若くないのであと何回来られるか分かりませんが、少なくとも2回は来られると思っています。この映画祭に参加することで私は映画人として認められ、他の映画人と知り合うことができました。山形は私にとってとても大事な映画祭です。山形を訪れると、映画祭のスタッフといつも友人のように挨拶を交わせるのです。

新谷:また山形でお会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました。

採録・構成:新谷和輝

写真:シン・チェリン/ビデオ:大下由美/2023-10-07

新谷和輝 Niiya Kazuki
ラテンアメリカ映画研究者。字幕翻訳や上映会企画、映画祭予備審査員なども行っている。主な論文は「「主観的転回」から「記憶の共同体」へ ――2010 年代のパトリシオ・グスマンと イグナシオ・アグエロの作品における 映画作家の主観の表現――」など。出演作に『にわのすなば GARDEN SANDBOX』がある。