エイブンとともに歩んだ“いい時代”
Q: 粟村さんと栄文さんとは、どのような関係でしたか?
AK: 作る時はそれぞれの立場は崩しませんが、要するに仲のよい友だちです。編集者という立場で言うと、彼の作品は9割以上やっていますね。
彼は私よりひとつ年上で、はじめ(福岡RKB毎日放送の)製作現場にはいなかったんですが、先輩が立て続けに賞を穫って絶賛され、好きなことができるのを、若き日の栄文は、歯ぎしりしながら見ていました。その頃から、自分のやりたいことをやりたい、という意識が強かったんですね。
Q: 粟村さんから見た栄文さんの人物像は、どのようなものでしたか?
AK: 出たがりだし、嫉妬深いし、自虐性があるし……ちょっと神経質に見えません? 私がいちばん感じていたのは、孤独。寂しがりやなんです。そのくせ、周囲から何かを言われる、ということが好きではありませんでした。私なんかが言うと、素直に聞くんですけどね。
『まっくら』の頃、私とRKB毎日放送の課長とプロデューサーで、飲みながら、賞の結果を待っていたことがありました。ところが、いくら経っても栄文が来ない。翌日、どうしたの?と聞くと、「ひとりでストリップ劇場に行っていた」って。話せる人と話せない人とが、はっきりしていましたね。
Q: 栄文さんの取材方法には、どんな特徴がありましたか?
AK: 直接本人ではなくて、周囲から入り込んでいくことに長けていました。『祭りばやしが聞こえる』では、的屋の親分に取材していますが、まず台所で奥さんと親しくなってから、少し経って親分を口説いていますよね。その人を落とす攻め方を持っていたんでしょうね。手紙も猛烈に書いたし、電話もしょっちゅうしていました。
いちど番組に出演された方とは、亡くなるまで付き合っていました。栄文はお年寄りが好きですから、時が経つと、先に亡くなられていくんですね。それが寂しい、とよく言っていました。
作品もさることながら、歴代の社長には、ものすごく気に入られていました。可愛がられる、 というキャラクターもあったんでしょうね。
Q: 一緒に作品を作る上で、印象に残っていることは?
AK: 番組を作る時の下調べ。これは日本のドキュメンタリーを作る人でも、3本の指に入るでしょう。調査に6割か7割を費やしました。スタートの時は私も相談されましたが、企画が決まると、ひとりで幅を広げていく。その間、彼、サラリーマンのくせに、ほとんど会社に来ないんです。
撮影が終わると、シーンと内容を全部書いた紙を壁に貼って、ああでもないこうでもないという貼り替えを、編集のために相当な期間やりました。実際の作業より、時間をかけていましたね。
インタビューには、ものすごく集中しました。当時、フィルムは尺が限られますから、画より音のほうが長く録れるんです。すると栄文は、インタビューを言葉でつないで作ってしまうんです。画が無いもんですから、私はえらい手間ひまかけましたよ。冗談じゃないというぐらい。
森崎和江さんが書いた文章を、勝手にはさみで切って前後したこともありましたね。俺と森崎さんの仲だからいいんだよ、と言って。森崎さんも怒るんですが、笑いながら「栄文ちゃんなんかもう知らない!」って。いい関係だったんですね。私も、いい時代に仕事ができたなって思っています。
(採録・構成:佐藤寛朗)
インタビュアー:佐藤寛朗、岩井信行
写真撮影:広瀬志織/ビデオ撮影:鼻和俊/2011-10-09