ドキュメンタリーの在り方
Q: 12年前を振り返るとどのような思いですか?
羅興階(LH): 振り返ってみると、私たちがドキュメンタリーを撮り続けて行く際に、山形国際ドキュメンタリー映画祭は聖地だったわけです。この先、この仕事を続けていくかを考えたときに、映画祭に出品されたのは大きな後押しになりました。
王秀齢(WH): 私も12年前に山形に来ることができたのは、素晴らしい機会だったと思います。また現在、このような機会を与えていただいたことを大変嬉しく思います。小林村(Hsiaolin Village)の映像を見てもらいましたが、当時、われわれは小林村で被災した人々の気持ちに寄り添ってきました。3月11日に日本で起こった東日本大震災の、ハリウッド映画の一場面のような津波が町を飲み込んでいく報道映像を見ると非常に辛く、被災した人々のことを思うと大きな悲しみを感じます。
Q: この12年間の活動を教えてください。
LH: この12年間、私たちはずっとドキュメンタリーを撮り続けてきました。環境問題、労働問題、農業問題といったテーマです。というのも、12年前に小川紳介監督の精神に出会い、小川監督はそれらの問題に常に目を向けドキュメンタリーが果たすべき社会的役割を提唱していました。その精神は私たちを大いに励ましました。大先輩の小川監督に学ぼうと思いながらこの12年間ドキュメンタリーを作り続けてきたわけです。私たちは依然として、小川監督の提唱するドキュメンタリーの在り方を追い求めているのです。
Q: あなた方と小林村の人々との関わりについて教えてください。
LH: 私が88大洪水に向かいあったとき、まず思ったのは彼らを助けたいということが第一で、カメラで撮影するのはその次のものでした。ただし、私はドキュメンタリストとして撮影しなければならないという使命感がありました。彼らと共に生活して歩みを見守り、付かず離れずの関係で陰ながら寄り添うようにしてきました。この作品のDVD版権で得た報酬は、彼らの復興のために使って手助けしています。
Q: この映画を見ると、現在の東日本大震災の復興のことを思わざるを得ません。復興の過程のなかで、様々な矛盾や対立が起きてきている。この映画はそういったことに対して、我々の思考を深める機会を与えてくれていると思います。また、この作品はとても悲劇的な内容であるにもかかわらず、ある種のユーモアがありどこか楽観的であることに感動しました。日本の監督が撮影した災害の映画には、ユーモアが見られないと思います。このユーモアは監督の個人的なものなのか、それとも、台湾人の民族性なのでしょうか?
LH: 私自身に特別な力があるという訳ではなく、その地域にカメラを持って入ると、彼らのなかに溶け込んでいくわけです。彼らと一緒に食事をし、酒を飲み、共に生活することによって彼らの一員になれたからではないかと思います。
Q: 1999年の台湾のドキュメンタリー映画の状況と、いまの現状はどう違いますか?
LH: 当時に比べると、ドキュメンタリー人口が増えています。とりわけ、ドキュメンタリー作家を養成する学校、あるいは大学のコースができています。そこから毎年優秀な学生が社会にでて、ドキュメンタリストとして仕事をしており、非常に発展している状況だと思います。
Q: タイトルに第一部とありますが、第二部はありますか?
LH: はい、あります。それは2011年の末か2012年のはじめに完成の予定です。
(採録・構成:奥山心一朗)
司会:阿部マーク・ノーネス/通訳:秋山珠子
写真撮影:ミラー・レイチェル/ビデオ撮影:山村真澄/2011-10-10