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イントロダクション


映画祭に行こう

 前回の映画祭が終わってからのこの2年間、いま此処に集った私たちはいったい何をしていたのか。ある人は世界の何処かで映画を作っていただろう。またある人は、いたるところで自分が向き合うべき日ごとの現実をかみ砕くことに専心していただろう。私はといえば、きたるべき映画祭を仲間とともに準備する合間、大小様々な山に囲まれた地形に入り組み散らばる山形の町や村、そして、そこにつながる路上を努めてうろついてきた。

 映画祭の仕事とは、映画と人を出会わせることだし、それは取りも直さず自分が「映画」を発見することだ。私の場合、映画の祭りの時空からいろんな意味で離れた処や人々と改めて出会いながら、互いの間でどうやったら映画が共有できるのか、いわば映画の成立の実際を細々と試すことから自分の仕事を始めたいと、山形県内を歩き回っていたのだ。

 ドキュメンタリー映画は、いったいどこから来るのか。決して、流行り文化の渦から思い余って飛び出して来るだけではあるまい。むしろ誰もが予想しない土地の何気ない現実の深みから聴いたこともない歌を奏でる映画が立ち上がることが嬉しいではないか。そしてそんな映画を、映画祭からいちばん遠いところに運んでみたいという衝動を感じて来た。好きな映画を、知らない町の遠くの人々に還してみたい。現実から生まれたものを現実に恩返しするように。そしていつか、遥かにやって来た映像の素顔に触れた人たちは、「素敵な映画が集まるお祭りがあるんだって、いいなあ、いちど行ってみようかね」と思ってくれるかもしれない。私は、コップから水が溢れ出すそんな瞬間に立ち会いたい。虚ろな顔に好奇心が溢れ出す瞬間を見たい。眠っていた感覚が溢れ出す瞬間を味わおう。

 「そうだ、映画祭に行こう」、そんな感覚を大事に大事に胸にしまって、山形に来てくれて、ありがとう。待っていました。

山形事務局長 高橋卓也

 


コモンズを探せ!

 今年の特別招待作品『こつなぎ ― 山を巡る百年物語』に出てくる「コモンズ」という概念が興味深い。村落共同体などが山林原野を総有し、伐木・採草・キノコ狩り等の共同利用を慣習的に行う権利を行使する「入会(いりあい)」の英語である。誰にも私有、占有されない土地であると同時に、コミュニティにはその山を荒廃や乱開発から守る義務がある。

 今年第11回目の映画祭を開催するにあたり、映画祭とはそのような有機的な場であることをあらためて考えたい。広告代理店が仕切る工業製品のような一過性のイベントと違い、20年間の紆余曲折の軌跡そのものがそのアイデンティティであってほしい。新旧の葉や枝が生え変わり、台風や猛暑を耐えぬいた幹が傷んだり、木陰にキノコが生えたり、思いがけない美しい花が急に咲いたりする。山、あるいは森としての存在は変わらねど、その表情は季節ごと、その年ごとに違う。そのような生きた共有地としての映画祭であれば理想だ。

 この20年間で、上映される映画の技術的な制作・上映環境は激変し、世界とのコミュニケーションの手段・手法は飛躍的に効率化し、しかし素晴らしい映画は作られ続け、紹介したい作品はどんどん生まれている。佐藤真監督や土本典昭監督が亡くなっても、その作品が土壌となって、次の芽を導く。映画祭を運営するスタッフも、時代時代に応じて、さなぎが蝶になり、セミが脱皮するように移り変わってきた。そして映画祭は2年に一度のイベントという枠を大きく踏み出し、年間を通じた活動に満ちてきている。

 山形の金曜上映会であり、東京の定例上映会「月刊ヤマガタ」、フィルムライブラリーの数千本の映像資料、貸し出しを待つ三百数十本の収蔵作品、海外に日本ドキュメンタリーを紹介していく活動、山形県内の各市町村に映画を広げる活動、学童保育所や引きこもりの子どもたちのスペースで行う映像ワークショップ。今年はアーティスト・イン・レジデンスを初めて実施し、作品づくりの発信地としても存在感を見せる。ボランティアやインターンが数多く出入りし、「森」の手入れに加担してくれる。

 今年の映画祭プログラム自体にも「コモンズ」の精神がちりばめられている。「コモンズを探せ!」が今年のキーワードである。(ヒント:宣言、ギー、島、フェンス、ユートピアなど)

 生きている映画の森、「入会地」としての山。その年々の色合いを楽しみ、日常からの浄化を求めてキノコ採り。今年も「コモンズ」を多くの方が訪れてくださるよう、願っています。この映画祭をここまでの森に育ててくれた、スポンサー、映画作家、スタッフ、ボランティア、そして観客の皆さんに感謝いたします。

東京事務局ディレクター 藤岡朝子