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2012-03-05 | 「子どもの映画教室」開催!@山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー

 2月18日にフィルムライブラリーで開催された映画教室。3回目となる今回は、映写のしくみを体験しながら学びました。また、35mmフィルムを使って、贅沢なシネカリ(ダイレクト・ペイント)フィルムを制作! 

 短い時間ではありましたが、賑やかで充実した映画教室となりました。参加してくださった皆さん、どうもありがとうございました。 子どもたちの想像力と集中力によって作られた「映画」をご覧ください。

「描いてみよう、映してみよう、動かしてみよう」制作作品(MOV形式動画、30MB)

 


2012-03-05 | 惜別 時枝俊江さん、布川徹郎さん

 2011年も映画人の訃報が続きましたが、年の暮れからこの2カ月の間に、さらに多くの名監督、名優が鬼籍に入りました。残念なことに、日本のドキュメンタリー映画史に大きな足跡を残したベテラン記録映画作家の方々も、相次いで逝去されました。

 時枝俊江さんは、岩波映画製作所の草創期である1951年に岩波に入社。1984年にフリーに転じて以降も、記録映画監督として多くのすばらしい作品を残されました。いくつかの作品がキネマ旬報の文化映画ベストテンに選ばれ、1977年製作の『絵図に偲ぶ江戸のくらし』は翌年の文化庁芸術祭大賞に輝いています。

 山形映画祭では、1991年の特集にて『町の政治』(1957)を、続く1993年に『夜明けの国』(1967)を上映しました。また昨年の映画祭で上映した『昭和の家事(2009、小泉和子監督)でも、製作に関わっておられました。2003年5月発刊の『Documentary Box』#21 では、元岩波映画監督の今泉文子氏によるインタビューを掲載(のち『ドキュメンタリー映画は語る――作家インタビューの軌跡』(2006年、未来社)に収録)。時枝さん自身が、岩波入社前から近年の『昭和の家事』(原題:『家事の記録』)にいたる長い足跡を、作品それぞれの思い出を織り込みながら振り返った貴重な証言記録となっています。興味のある方はぜひお読みください。 「日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 19:時枝俊江

 時枝さんの一世代後の映画作家である布川徹郎さんは、学生運動の高揚期に早稲田大で制作活動を始め、井上修氏らと日本ドキュメンタリストユニオン(NDU)を結成。以降、国内のみならず東アジアや中東の最前線で精力的に映画製作を行ってこられました。小川紳介や土本典昭ら先達者による自主映画運動の姿勢に飽き足らず、より革新的な社会変革の場を創造することをめざし、今日に至るまで、NDSら若手製作者集団とも共闘しつつ刺激的な製作活動を続けてこられました。

 山形映画祭では、NDUの70−80年代の作品を数多く上映。1995年の特集では『鬼ッ子・闘う青年労働者の記録』(1970)、『沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー』(1971)と『幻の混民族共和国』(1976)、1997年には『パレスチナ1976−1983 パレスチナ革命からわれわれが学んだもの(1983)、そして2005年の特集「日本に生きるということ」では、『倭奴へ(1971)と『アジアはひとつ(1973)を上映しています。また、2007年の映画祭では、マルチスクリーン・プロジェクト『ニッポン劇場 ―海を方法とした映像を―!(2007)を上映し、山形にもお越しいただきました。

 時枝俊江さんは1月26日に、布川徹郎さんは2月9日に永眠されました。お二方の山形映画祭への多大なるご支援に感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)