English
YIDFF 2023 日本プログラム

日本原 牛と人の大地
黒部俊介 監督インタビュー

聞き手:庄司勉

主人公の牧場で働きながら撮る

庄司勉(以下、庄司):まず、この作品の主人公である内藤秀之さんに会いたくなった理由は、何だったのですか?

黒部俊介(以下、黒部):岡山大学医学部に入学したが、医者にならずに自衛隊と戦うために岡山県北部の奈義町で牛飼いになった人がいることを、知り合いからたまたま聞いたのがきっかけです。それが内藤秀之さんでした。どんな人だろうと思って最初手紙を書きましたが、返事が来ず、ドライブがてら岡山市から車で2時間半かけて、牧場に直接行ったんです。するとあっさり「手紙は読んだんだけど、ごめんよ、よう来たね」と迎えてくれました。すぐに「演習場の中見る?」と言われ、ついていくと、内藤さんは、演習場の中でさつまいもや牛の牧草を作っていました。内藤さんの軽トラに乗っていくと、自衛隊の車両とよくすれ違うのですが、まさか演習場の中に部外者が入れるとは思いませんでした。結局、3時間ぐらい中にいて演習場のことをひとしきり聞いたあと、内藤さんが「せっかくだから、牛の世話とかやってみるか?」と言ったので、2か月間ぐらい、私が牛の世話をすることになりました。その後、内藤さんの奥さんの早苗さん、次男でナレーションを担当した陽さん、長男の大一さんと、ひとりずつ関係ができていきました。陽さんとは、はじめは玄関越しで話していたのですが、ある時「家、入ってみますか」と言ってくれたんです。彼は同年代の人が来た、という眼で見ていたと思うのですが「あなたの来た目的は何ですか」とか「好きな食べ物なんですか」といった会話をしているうちに、泊まってもいいということになりました。陽さんの部屋は結構きれいで、寝泊まりできる関係になるまでに2か月。その後「ちょっと生活を撮らせてもらっていいですか」という感じで撮り始めました。

庄司:映画のパンフレットに「反基地闘争」の文字がありましたが、実際の作品を見ると、こんな穏やかな反基地闘争があるんだ、と思いました。そもそも入会権が、こうして基地の中に生きているということが驚きでした。

黒部:入会地の中では畜産と米作りが主なので、演習場の中から水を引いて、それで田んぼを作っています。水源地に連れて行ってもらうと、この演習場は自衛隊のものだけではなく、ここに住む人たちの生活の場なんだということが、ひと目でわかりました。闘争というと「憲法を守れ」と叫ぶとか、集会をやるとか、そういったイメージがありますが、ここでは全くそういうものが見えなくて、それが面白いと思いました。

 あと私自身は牛の世話も面白かったんで、両方を撮ってみたいと思いながら、何をテーマにするかを探りながらの撮影になると思っていました。牧場って、1年間のスケジュールが人間と同じなんですよ。出産も十月十日ではありませんが、牛もほぼ同じサイクルで、スケジュールが人間に近いのです。だから当初は1年間ぐらいで撮影しようと思っていました。

庄司:作品のいろんなところで、ユーモアのあるシーンをうまくつないでいる印象があるのですが、自然にそういった編集になったのですか。

黒部:何を撮るかを決めて撮るというよりは、自分も働いている合間に撮るスタイルだったので、インタビューがすごく少ないと思うんです。サイロを積んで、持ってきたのを下ろして、エサを食わせて。内藤さんに「次は何やって」とか言われて。誰かに呼ばれたら、田んぼに行って稲刈りをするとか。そういうふうに動いていると、私もくたくたになってしまうし、内藤さんもクタクタになるんで、クタクタになったところでダベって話す感じでした。

 牛舎って低いんです。僕、わりとタッパがあって、しゃがまないと頭をガンガンぶつけるんです。牛も狭いところにギュウギュウにいるので、人の通る働くための道と牛の道と分かれていますが、牛舎が古くなってきているので、牛が結構逃げるんですよ。そうすると追えるのが僕しかいないのです。結構怖いし、牛と綱引きをしても負けるんで、そのへんは注意しながらやっていました。

庄司:内藤さんのような活動をされていると、地域で孤立するというか、異端視されるタイプの人も多いと思うのですが。

黒部:政治的にはものすごく保守的な地域だと思うんです。日本の田舎って、子どもがそのまま田んぼを引き継いで家を守っていく意識が強かったと思うんですが、いまはみんな跡取りがいないんです。そういう中で内藤さんは、養子で入ったにもかかわらず、70歳を過ぎても牧場をずっとやっている。内藤さんの住んでいる集落は昔15軒ありましたが、今は2軒しかなくて、ずっと経営を地に足着けてやり続けている内藤さんは、地域で尊敬されていると思うんです。みんなが相談に来たり、話し合って決めることも多いので、そういう時は内藤さんも誰かに相談したりする。そういう関係を見ていると、ちゃんと村のリーダーとなっていて、イデオロギーを超えて尊敬されていると感じました。

入会地の実態

庄司:入会権の話ですが、全国的に見て、日本原のように自衛隊の演習地の中に入会地というか、農地があるケースは珍しいのですか?

黒部:ところどころにあります。言葉の問題になってしまいますが、内藤さんやそこに住んでいる人たちにとっては「入会地」ですが、国は入会地をそもそも認めたくなくて、彼らの視点による言葉になってしまう。演習場自体は国有地ですが、買収するとき、その土地にずっと生きてきた人たちの権利や生活権が強いんで、自衛隊も、戦前の陸軍も、入会地を認めざるを得なかった、という形なんですね。

庄司:それが面白いですよね。

黒部:これだけしっかりあるところは珍しいのではと思います。演習地内に神社もあります。自衛隊から見れば、神社を外に移転してほしいと思うんですよね。でも土地の人にとっては神社というのはシンボルで、お宮参りでも必ず中に入るんです。普段の生活の中で、人生の節目節目も含めて、あの場所に入っていくことがずっと続いているのは、珍しいのではと思います。

庄司:演習場に入る時、監視体制はあるのですか? 柵のところになにか仕掛けてあるとか?

黒部:柵のところには監視カメラがついていますね。ただゲートはたくさんあって、演習場はすごく広いので一か所だけでないのです。映画に出てくるゲートは内藤さんの家から一番近くて、よく使っていたのです。柵によっては無いところもあるのではないかと思います。

庄司:地区の人であれば誰でも入れるのですか。

黒部:許可証があれば入れます。それもここ数年の話で、自衛隊から毎年許可証が出て、カギを渡される。もともとはそういうカギもありませんでしたが、いまは形式上「自衛隊が管理しています」という形になっていて。自衛隊に断らなければ入れないわけではありません。ただ日米合同演習で米軍が来るときは、なんと言えばいいのか、現地でも感覚が違いますよね。米軍の訓練は一方的な通達で、いつからやります、何人ぐらいで行きます、というペーパーだけで、自治体も何が行われるかがわかっていない。報道陣には少し公開しますという時もあるけど、治外法権という感じです。だから米軍に対して住民は不安な気持ちがあると思います。今、PFAS(有機フッ素化合物)の問題がいろんな基地でありますけど、私が日本原で一番危惧しているのは、あそこの山の水が汚染されたら、奈義のお米とか、牛の飲む水とか、生活用水とか、全住民が被る被害になります。ただ、それをどうやって調査するのかが、すごく難しくなるんじゃないのかなと。自治体としては、自衛隊がいることで交付金をもらっていることもあります。自衛隊に関する調査はできても、米軍の単独訓練の場合、何をするのか、どうやって対応するのかという仕組み作りが、条例でも多分ないと思います。

庄司:米軍の単独訓練を撮影するタイミングは、今回はありませんでしたか。

黒部:単独訓練はできれば撮りたいと思っていたのですが、コロナの影響でできませんでした。反対運動自体ができなかったんです。あのときは、みんなが自粛して、集まってデモをするとか、抗議活動が完全にストップしてしまいました。紙で抗議文は出したと思うのですが、実際に何の抗議もしなかった。結局、細々とでも続くものがなくなると誰も監視しなくなるので、それが常態化すると、反対する気持ちも生まれず、大きな事件でも起きない限りは、訓練は恒常化していくのかなという印象を個人的には持っています。

食と農と、人の関係

庄司:作品のもうひとつの大きな柱が、食と農の関係です。まず低温殺菌が特色の「山の牛乳」が継続できなかった理由は?

黒部:後継ぎがいなかったんです。「山の牛乳」の経営者は実は私に「継いでくれ」と言ったのですが、あの製法では牛乳1本、400円出してくれないと採算には合いません。雪印などの大企業はわかりませんが、酪農は、今はもうやるだけ損というか、全部赤字になってしまう。体によい低温殺菌牛乳ですが、当たり前の温度で殺菌するという手間暇をかけている。よく考えると人間の赤ちゃんも、母乳を殺菌しませんよね。そのように手間暇をかけたものには、それなりのお金を出さないとやっていけないのですが、そういう仕組みができていないのです。

庄司:内藤さんが有機農法の一環で、畑に牛の糞尿をまくシーンは初めて見ました。低温殺菌牛乳もそうですが、あのような農業のかつての豊かな部分を記録し、いろいろ農を考えることのできる映画でもあるかなと思いました。

黒部:確かにあれは嫌がる人が多いんです。臭いがすごいし、その割に収量がすごく多くなるわけでもないし、土にとってもどこまでいいのか、正直分からないのです。あそこは有機農法をやっている元自衛隊員の人の土地で、有機農法をやる人というのは、いろんなことにトライするんです。だから、元気のある人が農業でトライするときに、畜産をやっている内藤さんに声かけるのです。農畜連携と言うか、そういった関係ができているのはとても素晴らしいことだなと個人的に思います。

庄司:登場人物のみなさんが非常に魅力的で、寛容な人が多いように感じました。

黒部:私もみんなによくしてもらいました。内藤さんの息子みたいな扱いで、撮影をしている人、というよりは、同じ農業に携わる人、という扱いだったと思います。どこ行っても仲間という感じで、その場に一緒にいさせてもらえてありがたかったです。

 内藤さんの日本原での闘いは、生活の中からの闘いなので、デモをするときだけファイターになる感じではなく、生活の全部が行動と切り結ばれている人だったので、デモだけ別、という感じはなかったです。農業の問題も、生活に根付いた人がやっている運動なので、個人的には違和感はなかったかな。

庄司:長男の大一さんが、自衛隊員と対峙するシーンもものすごく印象に残りました。

黒部:大一さんに対しては、普段は話さない自衛隊員の人も、わりと話していましたよね。抗議活動は、大体はシュプレヒコールして、こっちの要求の紙を渡して終わりなんですけど、あの場面では、大一さんがしゃべってくれたんです。おそらく撮影もあったからだと思います。自衛隊員も弱々しい感じで、かわいそうというと変な言い方になるんですが、大一さんもああいう話をすると思わなくて、やっぱりひとりの人間として向き合っているなと感じました。

庄司:障害を持つ次男の陽さんをナレーションに起用した理由は? 起用の際の葛藤とか、反対意見はおありになったんですか? すんなりいった感じですかね?

黒部:正直、ナレーションできるのかな、という懸念はありました。陽さんは、お父さんが反対運動をしていることで引きこもりがちになったと周囲に思われるなところがあったので、映画の中でも、その話を使おうと思っていたのです。陽さんも「お父さんを苦しめても嫌じゃな」と発言されていたので、陽さんをナレーションに起用する構想は、自分の中では、割と早い段階からありました。ただ障害の特性として、集中して文字を読むのが難しいところがあったので、ふたりで話しながらやって、乗り切りました。陽さんも楽しかったみたいで、岡山で上映した時、舞台挨拶に来てもらったんですが、ビシッとお話を話されていました。本人も、それをきっかけに携帯電話を持つようになって、いまはLINEを毎日やっているみたいです。

庄司:撮影後、みなさんはお元気ですか?

黒部:映画でも字幕を出して触れていますが、撮影がコロナで終わって、そのあと、内藤さんが2021年に白血病で倒れました。それで長男の大一さんが家に戻って、ひとりでほぼ牛の世話をやりました。大一さんが1年間踏ん張って続けたので、酪農はやめてしまいましたが、牛を繁殖、出産して育てる仕事は今もずっと継続しています。大一さんは、牛のサイクルを把握されていて、いつ種をつけるかなどをしっかり学ばれて、牛飼いとしてできるようになっていると思います。僕なんか、たかが1回出産を撮っただけですが、その前に死産があって精神的に参りました。せっかく1年間育ててきた牛が死んだら、100万ぐらいの損失になってしまうので、そういうのが許されない世界なのです。ただ、家族型農業をやっているところは、正直かなり厳しいと思うし、多頭飼いしているところも倒産が出ているんで、畜産は、もう、ちょっと未来が見えない状況ではないでしょうか。

映画を1本作ってみて

庄司:黒部監督は、この『日本原』が初監督作品ということですが、これから新しいこと、取り組みたいテーマはありますか?

黒部:もともと映画学校で映画を学んだのですが、自分は映画の道には向かないと思っていました。いろんな同級生と出会い、ひと通り映画作りのスタイルを学んだのですが、企画を前面に打ち出す姿勢が自分には難しいと思っていました。何かを決め打ちで撮るのが苦手で、今回もいろんなテーマが入っていますが、たとえば「自衛隊とは何か」みたいなテーマで映画を作れ、といわれたら作れない。「学生運動とは何だったのか」と言われても、自分は作れない。いろんな要素の結晶体として映画を出すならありですが、企画書を出せと言われて、それをどうの撮るのかと言われたら、たぶん茫然自失してしまう。

 今回は内藤さんが、私との関係性のなかで、息子さんも障害があっても仲良くしてくれてナレーションをやってくれるとか、いろんな要素を映画の中に出せたんです。今後も何を撮るかを決めるというよりは、人とのコミュニケーションの結果カメラが回る、というんですかね、例えば牧場の人だったら、牛の世話をして関係を作って、こいつは動けるな、と認めてもらって、自分が興味を持った人と関係を作ったときに、すっと自然にカメラが回して話をして……というやり方が、一番自分に合っているのかなと思います。

 でも一方で映画を作るなら、人間としての芯もなければならないし、そういう意味では内藤さんを見習いたいなと思います。例えば内藤さんは普段は声高に憲法9条がどうとか言わないですけど、講演の時とかは、ビシッとそういう話をする。芯がありつつ、懐深い。謙虚さもあるというんですかね、そういうのに憧れますし、生き方として尊敬できます。そういう人間になるために、映画を使って自分も成長していけたらと思っています。

庄司:劇場公開されて1年ぐらいたちますが、映画への反響を、どのように受け止めていますか?

黒部:いろんな要素が入っている映画なので、つかみ所がなかなか無いのかなと感じています。そもそも「日本原」という地名を誰も知らなくて。読み方も。自衛隊と闘っている映画というけど、そんなに闘っているシーンは出てこないんで、私も説明をするときに、どういうふうに説明したらいいのか難しい映画ですよね。例えば沖縄の辺野古でしたら、どういう問題を抱えているのかはっきり言えるのですが、日本原基地というのは、今、すごく大きなイシューがあるわけではないので。

庄司:山形映画祭で上映されたことについてはどう思いますか。

黒部:これはもう妻のプロデューサーのおかげです。僕が家を離れて何かをやっていることは妻も知っていましたが、どういうことをやっているかは全く知らなかったんです。 1年後、自分で編集して妻に見せたら「面白い」と言ってくれて、そこから妻がプロデューサーとして、映画をちゃんと売ろうと言って、配給会社の東風さんに相談したら「プロの人に相談して、しっかり編集をやりましょう」と言われて、それで秦岳志さんという編集の方を紹介してもらって完成をさせた、という流れです。今回日本プログラムで上映されたのは、寝耳に水というか、ちょっとびっくりして……。内藤さんは、映画にはあんまり関心が無いのですが、山形という土地には、米沢牛もあるからいろいろ思いがあるみたいで、上映を喜ばれました。「酪農家が見るのか」と言われて、牛つながりの映画祭だと思っていたみたいです。自分も夢を見ているような感じでした。

採録・構成:庄司勉

写真:細川巧晴/ビデオ:加藤孝信/2023-10-09

庄司勉 Shoji Tsutomu
山形テレビでドキュメンタリー番組を制作。主な作品:「その時、私は14歳だった 〜 戦時下の性暴力と心の傷」(第37回ギャラクシー賞選奨)「妖怪を見た男 〜 近代建築界の巨人伊東忠太の世界」「希望の一滴〜希少難病に光! ここまできた遺伝子治療」(第13回日本放送文化大賞準グランプリ)など。