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YIDFF 2023 日本プログラム

キャメラを持った男たち ―関東大震災を撮る―
井上実 監督インタビュー

聞き手:マーク・ノーネス

記録映像の危うさ

マーク・ノーネス(以下、ノーネス):まず監督のキャリアについて聞きたいのですが、映画の世界の出発点は何でしたか。

井上実(以下、井上):最初は映画に関わるつもりはなかったです。カトリック信者なので、神父になろうとしていました。ですが、映画が好きで高校時代からシネクラブ活動をやっていました。その時に出会った高岩仁さんの新作の上映を仕掛けていくということで名古屋から東京に呼ばれました。まさか作る側に立つとはその時は考えもしなかったです。さまざまな監督たちの出会いもあり、映画作りが面白そうだなと。それが最初です。ドキュメンタリーの方が好きというのは珍しいので、むしろ珍しいものに首を突っ込みました。

ノーネス:私は日本のドキュメンタリー史を研究しているので、地震の映像はたくさん見ています。まずあの映像自体のストーリーを話してくれますか。

井上:関東大震災のフッテージは比較的その存在も知られていますし、プロダクションでもサマリーカット集のような形で結構持っています。資料としては特殊なものではない。我々はアーカイブ映像を使う時に、これがどうやって撮られのか、どういう経緯でここにあるのかということをよく知らないまま使ってしまいます。その一番象徴的なものが関東大震災の映像でした。

 関東大震災の映像に対して気になることがふたつあって、ひとつは自分の失敗談なのです。浅草十二階の塔(凌雲閣)は震災直後は半分ぐらい残っていました。それをダイナマイトで壊したわけです。ところが30年ぐらい前の助手の頃、地震で壊れた映像だと思い込み使ってしまいました。その映像を先輩たちに見せたら「お前はバカだ。何を使っているのだ」と。

ノーネス:象徴的なので使いやすいですね。

井上:ステレオタイプ的なカットを見せれば、それが関東大震災になるわけです。私のミスリードが次の世代にも受け継がれてしまうような事をやってしまったわけです。反省しています。そこにはフッテージを取り扱う際の危うさがあります。

 また東日本大震災直後の科学技術振興機構からの依頼で地震に関するPR短編映画を作る機会がありました。筑波の地質学の先生へインタビューした際、関東大震災の話題がでました。紙資料、写真、はがきなどを机に広げて見せてくれたのですが、映像はなかった。「なぜ映像は使わないのですか?」と聞いたところ「映像は信用できない」と。学術研究者にとっては、しっかりとしたデータに基づいた資料でなければ使えない。典拠にはならないと。すごくよくわかるし、一方で映画屋としてはなんだかなあと。動く映像ならば炎がどう動いて燃え広がっていったか、どのようにインフラが整っていったのか、避難や復興する人たちが動くものとして映っている。確かに映像は薄っぺらいものかもしれませんが、それを有効に活かすことができないなら、もったいない。

 最初にこの話を記録映画保存センターからいただいた時にこの2つが大きかったです。自分の失敗と映像をうまく活かしきれていない現状。この2つが共通していることはデータがないことです。裏付けがないことを調べて映画としての資料にすることができるなら、私がやる意味があるだろうなと。

ノーネス:その2つ目に関しては皮肉的に感じます。というのは井上さんの作品の一部に白井茂の『南京』(1938)のフッテージを使っていますね。かなり詩的な映像です。震災から15年間の間にドキュメンタリーの美学がかなり変わりました。震災の映像は本当に記録としてだけ撮影された。

井上:にもかかわらず後年の我々はそれをサマリーとしてしか使っていません。今を生きる映画屋さんとしてはがんばらなくてはなと。

民間と国立機関のコラボ

ノーネス:白井(茂)さんは文部省の映画や劇映画などで知っていましたが、それ以外の人たちのことはあまり知りませんでした。他の方たちは知られていたのでしょうか。

井上:特定できたのは3人だけです。国立映画アーカイブのとちぎ(あきら)さんや大澤(浄)さんたちの調べによるとかなり人数がいたようです。白井茂の場合は本にも書いていますし、詳細に語っている音声も残っています。残りの2人は国立アーカイブが調査して判明しました。

ノーネス:とちぎさんは今年の春に会った時100周年の企画として震災の映像を調査して修復し保存していると教えてくれましたが、国立アーカイブの企画でしたか。

井上:これは記録映画保存センターの企画で、センターはアーカイブに短編記録映画を潤滑に保存してもらうために中間的な手続きをする団体です。保存というのは大事ですが、映像を冷蔵倉庫で眠らせておいて、活用しない。映像は財産なので、保存されているものをどう活用していくかということでアーカイブ映像を使った映画制作をやってきたわけです。

ノーネス:国立映画アーカイブの役割はなんでしたか。

井上:震災100年という大きな節目を迎えるのにあたり、日本における歴史的な映像、彼らにとっても財産である映像を今の時代にどう届けるのかという試みだったわけです。

ノーネス:もうひとつの団体、神戸映画資料館がありますね。山形映画祭との長い関わりがあります。どのような経緯で?

井上:それまで映画資料館にフィルムを借りることはあっても保存センターと映画資料館との直接的なコラボはなかったのですが、資料館の安井(喜雄)さんのところの最大のメリットは、保存をメインにしている国立アーカイブと違い、映像やカメラなどを比較的シンプルな手続きで借りられることです。アーカイブは国の機関ですので、手続きが大変です。

ノーネス:よくわかります(笑)。

井上:ですので、この映画にとって安井さんの神戸映画資料館と国立映画アーカイブは二大協力機関です。

ノーネス:映像の中のカメラも安井さんのところからですか。

井上:映像の後ろにはカメラがあってキャメラマンがいて、カメラの前にはレンズがある。そういう物理的なことから始めたいと。あの時代のカメラのことを調べたら白井茂はユニバーサル200フィートのマガジンのカメラを使ったことがわかりました。ユニバーサルカメラはこの映画の象徴ですので、探しました。国立アーカイブや日芸資料館(日本大学芸術学部芸術資料館)も持っていますが、持ち出したりはできません。そこで安井さんにお願いしました。送ってもらったカメラの箱の中には書き置きがあり、そこでそのカメラは本当に震災の時に持ち込んだものであることがわかったわけです。当時大阪にあった映画会社が震災を聞きつけて、上京して撮影したわけです。

ノーネス:それを見た時にすごくびっくりしたでしょう。

井上:すごく驚いて、これはやらなければならないと。この映画はいろいろな縁でできている映画だなと思います。そのどの縁も「お前が作らなければダメだと」と言われているような気がしました。

ノーネス:先ほどレンズやフィルム、カメラが映像の後ろにあるということを言っていましたが、そのカメラが『キャメラを持った男たち』のバックにあったわけですね。

井上:そうです、そうです(笑)。

 アーカイブの映像というのは資料映像であり、この映画の大事な視点は、その資料が作られるまでの映画なのです。映像の背景にあるものを映画にしようと思ったわけです。

映っていない映像に想いを巡らす

井上:今回の映画でひとつわかったことは、我々の先輩たちはキャメラ、キャメラと言うわけです。キャメラという言葉より前の言葉があったんです。それは何かというと「機械」と言うんです。すごい即物的ですよね。クランクハンドルで歯車で、100年前は映画を撮るということは工業的なものに近かった。フィルムの規格は変わっていないから、今でも撮影できる。映画と工業は身近なものであり、自明のこととして当時の人は捉えていたのだなと。なので重いカメラと三脚を持って撮りに行くというのはもう『モダン・タイムス』(1936)の世界というか。

ノーネス:カメラマンが逃げないで震災を撮りにいくというのはすごいことです。映像のひとつの驚きは人が逃げていないで、冷静に火事を見ている。でもカメラマンは結構危険なところに行った。

井上:特に岩岡巽は震災日の9月1日に撮影をしている。彼はかなり火の近いところで撮影をしていると思います。私は火事の現場にいた時がありますが、火事って家一軒が燃えてるだけでも熱くて近寄れません。それがストリートの両側でぼんぼん燃えているところに突っ込んで行く。火事場の馬鹿力というような気分だったのではないかな。彼らのモチベーションの裏付けはありませんが、ガッツは映っていますね。

ノーネス:それは映画によくでていますね。カメラマンたちは警察や役人とかとのトラブルはなかったのでしょうか。

井上:あったと思います。文部省の『関東大震大火實況』(1923)、一番有名な記録はいわゆる震災後にまとめられました。それを仔細にみると主に9月2日以降のものです。半分以上は復興に力点が置かれています。復興というのは国自体が取り組む必要があって、特に文部省がそのような記録を残した場合、なおさらでしょう。ただ、天災の時は必ず人災も起こるわけです。例えば盗難や差別、虐殺があったりとか。それに関してはノータッチです。

ノーネス:記録からPRへですね。

井上:そもそもプロパガンダの視点で作られているので、当然そうなります。映画というのはベクトルを持って作られるわけで、何をテーマにし、どんな視点で、どのような効果があるのか。震災の映画には2つの方向があっただろうと。ひとつは国のプロパガンダとしての復興映画。もうひとつはセンセーショナルな映像の見せ物的映画。

 方向性を持った映画というのは得てしてフェアなものではなくなる。学術資料の映像としては映画が軽んじられている背景にはあの関東大震災の映画がどう見られたか、どう消費されたのか、ということはなしに考えることができないなと。

ノーネス:白井茂の本で『南京』(1938)についての箇所で、虐殺を目撃したが撮影をしないようにしたと。この方が2つの虐殺を体験したことは信じ難いことです。

 カメラマンは特にフィルムの場合は何を撮影するかをいつも選択しなければならない。フィルムに限りがあるし、倫理の問題や危険もあるし。カメラマンは暴力や虐殺を撮影しなかったのでしょうか。

井上:虐殺の映像を探したのですが、残っていませんね。殺された遺体なども映っていないです。あまりにも不自然に残っていません。あの時は非常に暴力的な空気が蔓延していたわけです。白井茂も証言しているし、他の記事や有名な竹久夢二の絵、宮武外骨の記事、夢野久作の本、今和次郎の記事など、いっぱいでてきます。で映像は? となるとないわけです。その場にいなかったというのがひとつ。もうひとつは先ほどおっしゃったように自分の倫理でこれは撮らないと。あるいは撮ったけど、没収されたかもしれない。火事に巻き込まれて戻れなかったのかもしれない。

 我々はないことの意味を考えてしまいます。この作品はないことを考える映画であるとも言えます。撮影というのは何を撮ったかというよりは何を撮らなかったかの方が多いわけです。我々はどうカメラを置いて、画角を決めて、そのものをどのように捉えるかを考えます。その背後にはフレームの外側、シャッターが落ちている間の時間とかそういったものを考える豊かな想像力がある。

ノーネス:虐殺を扱うにあたり、どう入れるのか、調整することが必要でしたね。難しかったですか。

井上:比較的そうでもなかったです。というのは、ないことはわかっていましたから。ですが、ないの一点で映像としては弱くなるわけです。そこで、朝鮮人の慰霊碑の前で鎮魂の舞を踊るシーンを撮影し、虐殺がないと主張する人たちには異議を申し立てる。映像を残すことを許されなかった彼らに対して私たちは、あったというスタンスで入れようと。ただそれを声高に入れるのは控えました。この映画の趣旨と離れてしまうからです。

3つの大震災の映像を比較して

ノーネス:日本は近代史に3つの大震災があり、映像の時代に入っていたので、映像が残っています。関東大震災、阪神大震災、311の映像を比較しましたか。どういう分析がありましたか。

井上:関東大震災の映像は100年後の我々が振り返った時に、あの被災地を撮影に行ったキャメラマンに想いがいたるぐらいの画の力がある。その当時に撮れていないものにまで想いがいたる。

 阪神大震災は今から28年前ですので、ビデオが普及していました。アナログビデオテープで、片手で撮る時代でした。ただ、みんなが持っているわけでもなく、撮るという状況がありふれたものでもなかった。

 一方、311はスマホで撮ることがあたりまえになっていたので、膨大なフッテージがあるわけです。このようなことは技術の進歩と無関係ではない。我々は容易く撮ることができる分、記録を残す際の心構えとか映った映像に対する責任とかが100年前のキャメラマンや28年前の阪神淡路を撮った人たちに比べると少し疑問が残ります。

 それとデジタルは加工ができます。爆破で解体された十二階の映像を関東大震災の映像と思った自分がいたように、加工された映像を何十年後に見た時にこんなタンカーが釜石の奥の方まできていたのだという人が出てくるかもしれない。そのようなことを憂いています。

ノーネス:井上さんの映画を見ていると映画学の用語を思い出します。それは「magnitude」です。震度の他に、もっと象徴的な意味もある。カメラマンは、あの震災のマグネチュート、重さ、スケールをどのように観客に見せることができるかを考えなればならない。それがカメラマンの使命だと思います。

 関東大震災と311を比べると違う戦略を使ったというような気がします。ひとつの例は白井さんたちはパンをよく使いました。311のカメラマンは移動カメラを使いました。三脚を使っている人はほとんどいません。そこが技術的に違うところ。もうひとつは死体です。見せるか見せないかという問題です。

井上:技術が進歩したことで撮影や表現の広がりなどは間違いなく100年前より進歩しています。関東大震災のときのような木造家屋は今は耐震加工された建築物なので、あのようなことはもう起こらない。

 映画の最後に311のカメラマンの映像を取り上げたのですが、あれはあの映像だったから入れたんですね。彼は津波を撮らないで後ろで泣いている子どもや慌てているお母さんとか、人を撮っているんです。もう狼狽しながら撮っている。整然とロボットのように撮れる人もいるかもしれませんが、彼はあの場所で生まれて、避難している人たちを知っているわけです。

 災害報道って、少し特色があって、災害が起こったらすぐに被災地に行く必要があるので、近い人が行くわけです。ということは自身も被災者であるということが多い。自分の仕事なので撮りに行くことは彼の日常です。ですが、撮っているものが非日常なわけです。日常と非日常がすごい近いところにあるのが災害で、日常と非日常のせめぎ合いの中で苦しむのがカメラマンであったり、録音マンだったり、監督であったりするわけです。どちらかに振り切ってやらなければなりません。日常の方に振り切るのだったら、撮影はやめてみんなを助けようということになるだろうし、非日常に振り切れば……もう振り切られてしまったのでしょうね。あそこで夢中に撮っている時に彼のかけがいのない日常、彼の家やお母さんが撮っているその波にさらわれているわけです。

 我々が生きている時間の貌、テンスというか、そういうものが、せめぎ合う状況でカメラマンたちはどうするのかというのは関東大震災も311も共通した問いを持っているのではないでしょうか。100年前の彼らも単に綺麗事でやっているわけではなく、売れるとか今の言葉を使えばネタになるとか、そういうこともあると思います。その限りでは彼らの日常なんですね。ところが出来事って非日常のことが多いのですね。そこでいろいろ悩むわけです。そういった彼らの葛藤に共感してほしいなと。目の前に暴力がある、これを撮るのか撮らないのか。人が何かを選ぶ時、口から内臓がでてくるような悩みはみんな持っているので、そんな感覚にコミットできるといいなと。

採録・構成:小野聖子

写真:木下菜月/ビデオ:加藤孝信/2023-10-07

マーク・ノーネス Markus Nornes
ミシガン大学教授。単著に『Japanese Documentary Film: The Meiji Era through Hiroshima』(ミシガン大学出版、2003年)、『Forest of Pressure: Ogawa Shinsuke and Postwar Japanese Documentary』(ミシガン大学出版、2006年)など。共著に『日本映画研究へのガイドブック』(ゆまに書房、2016年)、『日本戦前映画論集――映画理論の再発見』(ゆまに書房、2018年)。共同監督に『ザ・ビッグハウス』(2018/想田和弘監督ほか)。