ハジュージ・クーカ 監督インタビュー
自分自身のアイデンティティを音楽とダンスでつなぎとめる
Q: スーダンの複雑な政治状況を描きながら、現地の人々が奏でる音楽やダンスが、全編にわたって印象的でした。音楽を取りあげた理由はなんでしょうか?
HK: この映画のテーマは、アイデンティティの問題に深く関わっています。何らかのイメージを通して、そのことを伝えたいと思っていました。そこで映画のメインキャラクターとして音楽とダンスを据えました。すでに、皆さんの中にスーダンに対する多様な見方があると思いますが、この映画で描いたような見方も持ってもらいたい。スーダンの人々が音楽を奏で、ダンスをする姿が、観客の中に残ってほしいと思いました。
Q: 日本にいる私たちにとって、スーダンといえば紛争地帯という印象があるのが本音です。そのことについてどのように思っていますか?
HK: 戦争を肯定的に描くことは、どうしても避けたかったのです。映画を観てもらえば分かるように、戦闘状況の映像はそれほど入っていません。映画の中で女の子たちが「ブーツも服も大きすぎる。少年たちが戦争に行かされ、危険な目に遭っている」と歌う場面があります。戦争の実情を歌に託して表現しようと考えて、あえて組み込んだシーンです。
Q: いっぽうで、戦闘の最前線で撮影したシーンもありますが、危険がともなうなか、どんな思いで撮影したのですか?
HK: 私が描きたかったのは、私の戦争の経験です。最前線では、どこから銃弾が飛んでくるか分かりません。私の近くで兵士が撃たれるシーンもあります。驚くことに、同じスーダン国内でも、首都に住む人々は戦争の実態をそれほどよく知りません。だから、映像を通し、内戦が継続していることを伝えたかったというのはあります。
Q: 2011年に南スーダンが独立し、以降も混乱が続いています。映画では、そこに生きる人々のアイデンティティを問うていますが、監督は自身のアイデンティティをどう捉えていますか?
HK: 国が分かれる前には「スーダン人としてのアイデンティティ」をつくろうという動きがありましたが、すべてが変わってしまいました。今の状況では、自分が何者なのかを自分自身で決める自由も、どんなものを歌い、書くかという自由もありません。今も私はスーダンに住んでいますが、自分をスーダン人だとは思いません。私のような少数民族出身の人間にとっては、自分のアイデンティティを説明するためのボキャブラリーが少なすぎるのです。新しい言葉をつくらなければ、マイノリティのアイデンティティは見つかりにくいままです。
Q: 監督は現地で活動を続けているそうですが?
HK: 戦争被害をこうむっている人々に関する情報発信に携わっています。2016年には、政府側からの爆撃で学校が破壊され、子どもたちが亡くなりました。その状況を撮影し、世界へ発信しました。それがひとつのきっかけとなり、停戦状態が続いています。若い人たちと一緒に、さまざまなプロジェクトも始めています。ユースセンターを立ち上げ、スポーツをしたり、短編映画をつくったり。これが、今の自分のモチベーションになっています。
Q: 『アントノフのビート』というタイトルには、どのような意味が込められているのですか?
HK:「Beat」という言葉によって、ふたつの意味で戦争を描いています。ひとつは、戦争によって殺されるということ。もうひとつは、音楽の力です。音楽によって、生きのびる、闘うということです。どんな闘いかというと、自分たちの文化を守る、心を癒す、生活そのものを祝福する。それらすべての意味が込められています。
(構成:沼沢善一郎)
インタビュアー:沼沢善一郎、吉村達朗/通訳:キャット・シンプソン
写真撮影:安部静香/ビデオ撮影:棈木達也/2017-10-08