English
YIDFF 2017 アジア千波万波
中国街の思い出
陳君典(チェン・ジュンディェン) 監督インタビュー

生命体としての建築物の最期とそこで生きる人々


Q: 山形国際ドキュメンタリー映画祭で、ご自分の作品をご覧になっていかがですか?

CC: 今回、『中国街の思い出』は、韓国の作品『人として暮らす』と同時上映されました。私はその作品と自分の作品に、都市とそこで生きる貧しい人という共通のテーマを見つけました。でも、アプローチの手法がまったく異なります。韓国の監督はどう感じられたかわかりませんが、映画祭が何か意図を持って、この2作品を一緒の枠に収めたというのは非常に面白いと思いました。

Q: 建築物が廃墟と化す様子を撮影した単なる記録映画ではなく、都市開発の在り方を問題提起しているようにも感じました。

CC: 確かに、私なりの語り方で社会に問題を投げかけるという意図はありました。ただし、私は建築物は生命体だと思っています。だからいつかは自然と滅びるものだと思っています。今回、中国城を有機的な生命体として捉えました。その生命体が廃れていく過程のなかで、私は最期の時に出くわし、その様子を撮影したのです。中国城の取り壊しについては、様々な立場の様々な意見がありました。私は市民でも住民でもないので、中立的な立場で中国城のかつての姿と最期を迎える過程を撮りました。

Q: モノクロの静止画が多用されていましたが、その表現に何か意図はありましたか?

CC: 私は前回の作品で、台北のある民家が取り壊されようとした時に、反対運動を起こした人たちのこと、社会運動が起こった状況を、ビデオカメラを使って普通にドキュメンタリータッチで撮影しました。その時に、普通の手法で撮影すると、自分の意図を盛り込んでいくことが非常に難しくなると感じたのです。だから、今回はその経験を踏まえて、自分の視点やオリジナルな考えを盛り込んでいこうと思いました。そして、かなり抽象的な表現をしながら社会へ投げかけることで、他とは違う映画を目指しました。それが静止画という表現だったのです。

Q: 動物たちは、ビデオで撮影されていましたね?

CC: 動物はビデオで動的に撮影して、人間はスチールで静止画撮影しました。その理由は、動物の場合は中国城がなくなっても誰かに拾われたりどこかで生きていくことができると思うのですが、人間は現状に押しつぶされてとても無力なものだからです。私はその無力な存在を静かな状態で表現したかったのです。

Q: 廃墟の様子を写した静止画の背景に流れる音が、どこか恐怖を覚えるような独特な印象でした。

CC: サウンドデザインには、かなりこだわりました。現場にある音を録音して、それを50倍から100倍のスロー再生にすることで奇妙な音を作りました。そう変化させることによって、まさに今消えようとしている中国城の消え行く時間の概念と、スローな音とをマッチさせ、終わりとなる中国城の運命を表現しました。

 映画というのは、監督の観点をどう表すのかということだと思っています。多くは視覚的に表現することになると思います。限りはあると思いますが、視覚だけではなく五感を使ってどう表現するのかと考えた時、私は、聴覚と視覚で表現することを今回選びました。特に聴覚を強調させることで、監督である私の観点を語ろうと思ったのです。

(構成:佐藤朋子)

インタビュアー:佐藤朋子、永山桃/通訳:樋口裕子
写真撮影:黄木可也子/ビデオ撮影:黄木可也子/2017-10-07