徐辛(シュー・シン) 監督インタビュー
山水画のように
Q: 作品を観て、広大な長江の静かな流れと、旅をしているような感覚でした。全編モノクロ作品ですが、どのような意図があるのでしょうか?
XX: 以前撮影した短編映画をきっかけに、その後ずっとモノクロで撮影しています。そもそも映画は誕生したころはすべてモノクロだったわけで、映画の本質を表すのには適していると思います。私はもともと伝統的な中国絵画を勉強していました。日本画もそうですが巻物というスタイルがありますよね。中国の山水画においても代表的なスタイルです。私は長江をひとつの巻物のように描きたかったのです。また、自ら移動しながら撮影しているシーンはひとつもありません。私の原点は絵画ですので、撮影のテクニックをあえて使わず直接的で簡単なやり方で原点に立ち返った撮影を行いました。この映画には地平線や水平線が多く出てきますが、画面の中央に置く構図を選んでいます。もしかしたら過去にたくさん観た日本映画のカメラマンの影響を受けているかもしれません。
Q: 発展した中国の街並みとは対照的に、映されている貧しい人々の表情が印象的ですが?
XX: 私は1966年生まれですが、子どものころ、長江は愛国の象徴であったり、我々にとっての母なる川のように言われてきました。しかし、現実の長江は病に蝕まれ、死に直面しているという状況であると考えています。そういったものの比喩的表現として、撮影しています。私は、中国の南方の出身です。まさに、長江の川沿いで生まれ育ったので、思い入れが深いです。
Q: なぜ、中国各地の暗いニュースや出来事を、字幕挿入しようと思ったのですか?
XX: たとえば、上海のネオンがキラキラした街並みは、観光客が行くと喜ぶかもしれませんが、私はその場所に行ったとき、かつて起こった事件や事故を思い出します。特に、長江で船が沈んで大勢の人が亡くなった事故があったのですが、事故現場を通るたびに過去の出来事を思い出すのです。はじめは、当時の映像を挿入して事故・事件が思い出されるような手法を考えましたが、全体の映画の印象を壊したくなかったので、字幕を入れるという手法にしました。
Q: チベット自治区の寺院のシーンは、厳かな気持ちになりました。このシーンへの思いは?
XX: 私自身に信仰心はありませんが、チベットの宗教的な考えや、彼らの信仰にはある程度の影響を受けています。私は、この作品の最後に希望を残しておこうという気持ちがあり、長江の源流にあたる山並みを希望の象徴として表しました。最後のシーンでは、チベットのある有名な寺院の行事の中で演奏された音楽を、録音したものを使っています。チベットに対して、ある程度の理解がある方であれば、私がどうしてこのエンディングにしたのかを、理解していただけると思います。
(構成:奥山心一朗)
インタビュアー:奥山心一朗、楠瀬かおり/通訳:中山大樹
写真撮影:永山桃/ビデオ撮影:鳥羽梨緒/2017-10-06