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YIDFF 2017 アジア千波万波
自画像:47KMに生まれて
章梦奇(ジャン・モンチー) 監督インタビュー

コミュニケーションとしての映画表現


Q: 村のおばあさんと若い女性という、世代の異なるふたりの女性に焦点を当てる本作で、出産の経験に着目された理由は何ですか?

ZM: 中国の大飢餓の問題や、文化大革命などに関わる記憶を扱うメモリー・プロジェクトの一環として、これまでに村で行ってきた数々のインタビューを通して私が強く感じたのが、男性と女性の語り方の違いです。男性は政治に関わる大きな枠組みで語る傾向がある一方、女性は自分がいかに飢餓を経験し、いかに子どもを産み育ててきたかという、自分の体験に焦点を当てることが多くあります。また、私は村での取材を始めて7年になりますが、取材に行くたびに、村が活気を失い死に向かっているような感覚を持ちました。しかし目を凝らして見ると、その中にも生命力があります。たとえば、作中のおばあさんは高齢ではありますが、自活しています。また、村にも新たな生命が生まれています。こうした理由から、今作で私は出産を主題にしました。

Q: 前半部では村の女性たちの語りに注目し、後半部でパフォーマンスや歌など表現の要素を挿入するという構成にされた意図は?

ZM: これまで、村の人々との交流の手段として、ダンスやパフォーマンスを用いた様々な活動をしてきました。かつての自分だったら、そうした行動を主題として作品に取り入れたと思います。その行動が少しでも村に変化をもたらすのではないかと考えていたからです。しかし、死に直面する村にいると、私の力が非常に微々たるものだと感じるようになりました。それでも取材を続ける中で、村の人々とコミュニケーションをとることそのものが大事だと考えるようになりました。彼女たちが自身でダンスをしたり、私がおばあさんと話をしたりしているときに、これこそが私が村で成し遂げた大きな成果なのだと感じるようになったのです。

Q: 第7作に当たる今作も含め、「自画像」というテーマにこだわる理由は何でしょう?

ZM: 自画像という主題を撮り続けているのは、私が創作者としてどうあるべきかという問いと結びついています。私は自分自身の表現を探し続けてきました。まず自分自身から始まって、家族、そして村というふうに主題が広がっていく過程は、自分と自分を取り巻く環境との関係性を見る過程でもあります。完璧なものではなくとも、私は毎年1本ずつ映画を作ってきました。それは何年もかけて完成された作品を作るのとはまったく違っていて、作品のひとつひとつが自分の成長記録としての足跡になる、そういう作り方だと思います。

Q: おばあさんの手に監督の手が重ねられるシーンが印象的でした。こうした演出を行われた意図は?

ZM: そのシーンを撮ったきっかけは、シンプルなものです。彼女は自分の不遇な人生について語ってくれましたが、話せば話すほど怒りがわいてくるようでした。もし、話すことが彼女の感情を鎮めることにならないのならば、話さないほうがいいかもしれないと思いました。そして、彼女の手をくるむように触ったのですが、それは魔法のようなことが起きた時間だと感じました。最初、彼女は拒絶の反応をしつつも、同時にずっとそうしたことを求めてきたような感じが伝わってきました。それは、彼女への新たな理解――これまで彼女が過ごしてきた時間や彼女との関わりの意味――を非常に濃密に感じた瞬間でした。今でもそのことを思い出すと泣いてしまうくらい、私にとっても魔法のような瞬間だったのです。

(構成:中根若恵)

インタビュアー:中根若恵、佐藤寛朗/通訳:秋山珠子
写真撮影:鳥羽梨緒/ビデオ撮影:黄木可也子/2017-10-09