ジョン・ジャンヴィト 監督インタビュー
歴史を知ることからすべてが始まる
Q: この作品を撮ることになった経緯と監督自身の思いを教えてください。
JG: 1999年のボストン新聞で、世界中にある米軍基地による環境汚染の影響を扱った記事を読み、この問題について初めて知りました。この新聞では特にフィリピンにフォーカスしていて、そこからフィリピンにおける汚染について深く掘りさげたいと思いはじめました。一方、2005年に新しい短編映画を作るにあたって、私は“新しいジャーナリズムの形そのもの”をテーマに挙げていました。当時それはインディペンデントメディアと呼ばれていました。若い活動家たちが政治的、社会的な問題を独自に取材し、文章や写真、映像を既存のマスメディアを通さずウェブサイトにアップし、読者にそのまま届けるという新しいジャーナリズムの動きです。私はそれに興味をもっていたのです。その企画を進めるなかで、調査と原稿制作のために、私はあるグループで約1年間ボランティアをしていました。たくさんの問題のなかで、対象となるテーマを見つける必要がありました。私はそのテーマを、フィリピンにおける米軍基地の環境汚染問題にしようと決めました。はじめは、劇映画を撮ろうと思い、現地に取材をしに行きました。しかし、数日間でたくさんの人に会って話をするなかで、私は彼らから、救済を求めるような何か心に訴えかけてくるものを感じました。この問題は大きすぎて、とてもじゃないがフィクションでは扱えないと感じて、劇映画からドキュメンタリー映画にシフトすることを決心しました。しかし当時は、まさかこの映画に10年も携わることになるとは想像していませんでした。
Q: 映画の中にはキーとなる証言者が登場しますが、彼女を選んだ理由を教えてください。
JG: 証言者を選ぶ際に、私はなるべくスポークスマン(政府や団体の意見などを発表する担当者、また、代弁者)を避けるようにしています。なぜかというと、どちらかの体制に寄っている人は、どうしても意見が客観的にならないからです。そういった意味で、登場する女性はフィリピン側でありながら、アメリカの政府側の状況も理解している貴重な証言者だったので、彼女を起用しました。
Q: 監督が映画を観た観客に期待することは何でしょうか?
JG: 私は映画が観客に与える力を信じています。映画を観た後に自分たちの生活を考え直すきっかけを与えられるような“会話を生み出す映画”、“いま生きる場所をすこしでも良くする映画”を作っていきたいと思っています。その意味で、現在フィリピンでは市民に芸術を届けるのは至難の業で、この映画をどのようにして届けるのかが課題のひとつになっていますが、まずフィリピン人の人たちに映画を届け、映画を通して問題を自分たちの歴史として理解し、今後どう向き合っていくのかを考えて欲しい。そしてこれは同時にすべての人にも当てはまります。現時点ではフィリピンでほとんど上映されていないので、この対応策として、映画をYouTubeにアップするということをしています。ひとりひとりの生活があり情報が行きかうなかで、すべての人が同じレベルで歴史を認識しているとは限りません。フィリピン人の払ってきた犠牲、怒り、苦しみを考えると、まずこの歴史を認識をすることは重要だと思います。
(構成:永山桃)
インタビュアー:吉村達朗、永山桃/通訳:谷元浩之
写真撮影:棈木達也/ビデオ撮影:高橋明日香/2017-10-09