紛争が終わり、すべてが「記憶」となる日まで
Q: 1960年代のコロンビアは、内戦が拡大していた時期だと聞いています。映画を撮り始めた時のことを振り返っていただけますか?
MR: フランスで人類学と映画制作を学び、私が帰国したのは1965年のことです。当時のコロンビアでは、大地主が巨大な農園を経営し、そこに農民たちを縛り付けるという搾取がまかり通っていました。そうした地域を歩き回る中で、『チルカレス』に登場するレンガ工の家族と出会いました。父と母、そして11人の子どもたちがいました。子どもの数が多ければ多いほど、レンガの運び手になると考えられていた時代です。最初はカメラは持っていきませんでしたが、何度も通いつめ、信頼と友情が生まれるようになってから、ようやく「あなたたちの置かれている状況を撮影させてほしい」と伝えました。
Q: 2つの映画は、どちらも苛酷な現実をとらえているにもかかわらず、映像の美しさが目を引きます。『大地、記憶、未来の私たちの声』に挿入される劇映画の要素も魅力的です。演出的な表現の意図は?
MR: 暴力がすべてを支配するような世界ですが、私はそこに、ある種の魔法のようなものを取り入れたかったのです。ほとんどは悲惨だったり、孤独だったりするけれど、そこにも明るい光や幸せはあるんだと。いつもは粗末な服を着た女の子が、真っ白なドレスを着て村を歩くシーン(『チルカレス』)には、この子どもたちにもきれいな服を着る権利はあるんだ、苛酷な状況でも美しさや幸せがあるんだという思いを込めました。恐ろしいマスクをかぶった「悪魔」のシーン(『大地〜』)は、先住民たちが話してくれたアンデス地方の神話をもとにしたものです。演技やマスクの制作は、カリにいた友人たちが引き受けてくれました。彼らが協力してくれたおかげで、困難な状況でも映画をつくりあげることができました。
Q: レンガ工の家族や先住民たちとは、まだ付き合い続けているそうですね。
MR: 私たち、映画人というよそ者が入り込むことで、彼らにも変化が起きるのです。撮影させてもらう代わりに、彼らが病気になったり、困ったりした時は協力する。そうした助け合う関係性はずっと続いています。その中で辛い出来事もあります。レンガ工の家族の場合、その後に激化したゲリラの闘争によって1人、レンガ造りに起因する肺の病気で1人、子どもが亡くなりました。先住民が暮らすカウカという地域でもゲリラが台頭し、武器、麻薬が入ってきました。人々は耐えられなくなっています。今、ようやく政府とゲリラの間で和平協定の対話が行われるようになりました。
Q: 80歳を超え、地球の裏側から初めて日本に来てくれたことに感激しています。今、最も伝えたいことは?
MR: ゲリラがたくさんの地雷を埋めて、子どもたちがその犠牲になっています。紛争になって最も傷つくのは子どもです。私は、誰よりも子どものために映画をつくっているのです。50〜60年間ずっと紛争が続いてきて、その歴史の記憶を保管しようという動きがあります。先住民や農民、移民に関係する資料をすべてアーカイブにして、記憶にとどめるという作業です。これまで、あまりにもたくさんの大切な人たちが亡くなりました。失ったものは大きく、残ったのは惨めさと貧困だけでした。だからこそ、そういう時代を終わらせて、すべてが「記憶」となるようにしてほしい。何よりも平和が訪れてほしいと願っています。
(採録・構成:沼沢善一郎)
インタビュアー:沼沢善一郎、木室志穂/通訳:星野弥生
写真撮影:キャット・シンプソン/ビデオ撮影:宇野由希子/2015-10-13