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YIDFF 2011 特別招待作品
まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎
代島治彦 監督、大津幸四郎(出演) インタビュー

人間はどこにいるのか


Q: 企画の発端はどこにあったのでしょうか。

代島治彦(DH): 最初は、2008年の映画美学校ドキュメンタリー高等科とのコラボレーションで、大津さんをはじめとして土本典昭小川紳介黒木和雄東陽一久保田幸雄という錚々たる映画人が集まっていた「青の会」の映画を一本撮るという企画でした。

大津幸四郎(OK): でも「青の会」っていうのはそもそも曖昧模糊としたもので、映画を撮れないでいる欲求不満を抱えた人たちが集まって喧々諤々していたけれど、何か目的があってどこかひとつに向かっている会ではないわけです。実は「会」というようなものではない。それがやってみてわかってきてしまった。

DH: 受講生をサポートしながら編集させていたんですが、完成しなかった。そのとき、大津さんが美学校で講義をしておられて、それがとにかく素晴らしかったんです。そして大津さんの言葉が、それまで撮られた土本典昭のインタビューとシンクロしてきました。だから、「青の会」で始めたんですが、大津幸四郎と土本典昭に焦点を絞って、このふたりが共同作業をしながら「水俣」という金字塔に到達するまでの道のりを描こうと方向転換しました。

OK: 土本の映画の中で僕にとって一番大事なのは『留学生チュア スイ リン(1965)なんです。映画の作り方がとてもおもしろかった。テレビ局から見放されたテーマを、土本が自主的にやるわけね。一銭もないところで。従来の映画の作り方を変えた一番のベースになったのが『チュア スイ リン』です。そこから始まった土本との悪戦苦闘の旅、というまとめ方で映画を作ろうと代島監督が考えてくれたということです。

Q: 地震の後に公開されたことが大きな意味をもったと思いますが、そのことについてはどう感じますか?

OK: テレビの報道キャメラマンも含めて、撮りたい放題、撮っている。何百年に一度という津波だから、見るものすべてが画になる。でも人間がどこにいるんだろう。人間というのは、撮っているほうも含めてね。地震の後でテレビにかじりついて三日間見ていて、憂鬱になって反吐がはきたくなった。

DH: 『まなざしの旅』で伝えたかったのは、被害者をどう撮るか、被写体とどう寄り添っていくか、どう告発するか、ということ。土本さんと大津さんはおそるおそる入っていって、どう寄り添えるかを、住み込んで、生活しながら考えるわけです。いまこれから映画を作る人に感じて欲しいのは、ある哀しみをもった、あるいは怒りをもった人たちにキャメラを向けるときに、覚悟と責任が必要だということです。そういうことを考えに考え抜いて、大津さんたち先人はやってきたわけです。

OK: 告発ということについて補足すると、水俣では、はじめから何かを告発しようと思って映画を作ったわけではなかったんです。あったのは人間なんですよ。人間をじーっと見ていったとき、チッソが何をやったか、近代科学が何をやったのかが浮かびあがってきます。『まなざしの旅』で言いたかったのは、いい画だから撮るということではなく、本当に撮っていいのか、という部分。相手の人間の尊厳というところ。その人間に、私という人間が耐えられるのか。人間はどこにいるのか。一番伝えたかったのはそこです。

(採録・構成:三浦哲哉)

インタビュアー:三浦哲哉、佐藤寛朗
写真撮影:勝又枝理香/ビデオ撮影:小清水恵美/2011-10-11