池谷薫 監督インタビュー
彼の“狂気”を撮りたかった
Q: この映画を撮ろうと思った経緯を教えてください。
IK: 奥村さんと初めて会った時、まずその“顔”に惚れました。主役の顔だと思いましたよ。日本軍山西省残留問題の事実を知り、奥村さんたちの中で戦争が今も続いていることを知り、知らなかった自分を恥じ、映画を撮ろうと思いました。
そしてその思いが決定的になったのが、残留時に訓練の一環として、中国人刺殺が行われたという話が出た時です。奥村さん自身もそれをやったと言うのです。そこで私が、「その現場へ行ってみませんか」と提案しました。すると奥村さんは「行かなければならない場所だと思っています」と答えたんです。その一言で私は、なんとしてでもこの映画を完成させなければならないなと思いました。
Q: 効果音がかなり印象的なものでしたが?
IK: 私が音に期待するものはドラマ感なんです。ドキュメンタリーと言っても、そこにカメラがある限りはフィクションでしかないと思うんです。その虚と現実の間の揺れ動きこそがドキュメンタリーのおもしろさだとも思っています。ですから、私にとって音楽は武器です。奥村和一の息づかい、心臓の鼓動をより伝えるための武器です。私は確信犯として、こうやってドキュメンタリーに音を入れているんです。
Q: 映画のところどころで主人公奥村さんの“狂気”が垣間見られますが、それとどのように向き合って撮影を続けましたか?
IK: 私は、撮らせてもらっているうちは映画にはならないと思っているんです。映画はあくまで出演者と一緒に創っていくもので、出演者自身が「良い映画にしよう」と思わなければいけないんです。撮影に入る前から彼の静かな“狂気”を感じていました。そしていつか“異常”が出てくるだろうと思っていました。ドキュメンタリーの仕事とは、“異常”を目覚めさせるところから始まると思っています。ここまで戦争と向き合い続ける人間の中に眠る“異常”こそが、「戦争と人間」というテーマにとって重要だとも思いました。
だから私は奥村さんの中にあった、戦後の長い時間によって編集されてきた“思い込み”を、排除させなくてはならないと思い、奥村さんには厳しくぶつかりました。それは残酷な話です。スタッフまでもが目を背けたくなるような辛いことでした。しかし、それを一番やり遂げたいと望み、逃げないで向き合おうとしてくれたのは、奥村さん本人だったんです。この映画を完成まで撮り続けることができたのは、奥村さんに“狂気の精神力”と、それに伴った“撮られる覚悟”があったからだと思います。
Q: この映画を撮ることになった時に、監督、または奥村さんの中に、この映画がこれからの裁判の結果を動かしてくれるだろうという期待はありましたか?
IK: 私は映画と言うものは、政治や教育からは距離をおかなければならないものだと思っています。映画監督はジャーナリストではなく、あくまで表現者でなくてはなりません。だから私はこの映画を「反戦映画」とは呼ばせたくないんです。これは60年前の日本を描いた映画ではなく、今の日本を描いた映画であり、「戦争って本当は何なのよ」ということを描いた映画です。そして、私が強く言いたいのは、残留兵一人ひとりに、それぞれにドラマがあったんだということなんです。奥村さんもきっと「知ってもらいたい」という純粋な思いから、この映画に参加してくれたのだと思います。
(採録・構成:高田あゆみ)
インタビュアー:高田あゆみ、横山沙羅
写真撮影:西岡弘子/ビデオ撮影:広谷基子/2007-09-22 東京にて