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YIDFF 2005 日本に生きるということ――境界からの視線
2つの名前を持つ男 キャメラマン金学成・金井成一の足跡(日本/2005/日本語、韓国語/カラー/ビデオ/81分)
田中文人 監督インタビュー

もうひとつの映画史――金学成の物語


Q: 金学成(キム・ハクソン)氏の親友で、撮影監督の岡崎宏三氏をインタビューできなかったことは残念でしたね

TF: 岡崎さんとは、私が初めて映画の現場に入った時にお会いしました。岡崎さんから「新興キネマ時代に金井成一(=金学成)という撮影助手がいてね」という話はよく聞いていました。それ以前、川喜多記念映画文化財団で資料整理のアルバイトをしていた時、偶然に戦前の朝鮮映画の資料を段ボール1箱分見つけたんです。それは60年間誰も触った事がなかったらしいんですね。「これはエライものを見つけてしまった」と思いました。当時、戦前の朝鮮映画に関しては誰も言及していませんでしたし、これはいつか貴重なものになるだろうという意識はあったんです。岡崎さんの話を聞いて、ふとその資料の事を思い出し、久しぶりに見たら『家なき天使』の撮影が金井成一だと書いてありました。これには驚いて「いつかこの話を形にしよう」と思いました。でも、すぐ作品を撮り始めても、当時の自分の力ではうまく行かないだろうと寝かせておいたのです。

 昨年、岡崎さんに「そろそろ形にしようと思います」と相談して、写真などを提供してもらって準備を進めているうちに、岡崎さんの体調が急激に悪くなったんです。知人の長田勇市さんに相談して、この映画の撮影を引き受けてもらいました。岡崎さんの体調も日増しに悪くなっていましたし、大急ぎで撮影の準備をしていたんですが、残念ながら今年の1月に亡くなってしまったんです。

Q: 『家なき天使』が発見されたのは撮影中だったのですね?

TF: 今年の4月末、ソウルでの撮影中に、失われていたプリントが中国で見つかったと聞かされました。一方、私が日本から持って行った資料は、韓国の研究者達にとって初めて見るものでした。『家なき天使』をこの映画の中で引用することは非常に重要だったので、プリントを発見した韓国映像資料院との間に協力関係を築いていくことにしたのです。『家なき天使』の出演者のひとりである宋桓昌(ソン・ファンチャン)さんと接触できたことは大きかったですね。宋さんは『家なき天使』が発見されたことを朝日新聞の記事で知り、自分はその映画の出演者だと、記事の執筆者である四方田犬彦氏に手紙を出したんです。それがきっかけでした。

Q: 金学成さんと似たような経歴を持つ方は、他にもいらっしゃいますか?

TF: 日本で映画を学び、帰国して活躍された映画人は何人もいるはずですが、日本名がわからないので、誰かを特定する事は難しいのです。1960年代に代表的な良い仕事をされた方達は、日本の撮影所で勉強していると兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督にうかがいました。彼の代表作『誤発弾』(1961)の照明技師であり製作の金聖春(キム・ソンチュン)もそうしたひとりでした。

 今回驚いたのが、皆さんがお話ししてくれた金学成像が、あまりにも岡崎さんとそっくりなんですよ。ただきれいな画を撮るだけじゃなく「内容を撮る」のが真のキャメラマンだということです。男と女が道ならぬ恋に溺れていく時、後ろの川は揺れていますよ。ざわめいているんです。そういう撮り方をする人です。被写体の心が画面になっているんです。分かっているだけで金学成が撮影した劇映画は21本ですが、現存するのは7本のみで、そのほとんどが不完全です。本当は良い仕事をもっと残して然るべきだったと思いますし、1968年に55歳で引退されたのは残念です。

(採録・構成:加藤孝信)

インタビュアー:加藤孝信、佐藤寛朗
写真撮影:加藤初代/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2005-09-24 東京にて