金徳哲(キム・ドッチョル)監督インタビュー
映画作りが教育の場でもあったのです
Q: 主人公の高校生たちと知り合った経緯を教えてください。
KD: 共同監督の森康行さんが以前、「幡多高校生ゼミナール」のメンバーと一緒に『ビキニの海は忘れない』(1990)という映画を撮っていたんですね。何年か後、ゼミの後輩にあたる高校生たちが地元の高知で強制連行があったことを知って、朝鮮問題に取り組んでたんです。森さんはもう一度彼らと映画を撮りたいと考えていたのですが、朝鮮問題となると、十分に知識や自信が無かったようで、「一緒にやらないか」という話があったんです。それで高校生たちと会ってみると、非常に元気が良くてね。在日の高校生に会ってみたいし、できれば韓国・北朝鮮にも行ってみたいと。熱心にやってまして、これは良い映画になるのではないかと思って、一緒にやることにしたんです。
Q: 初めから共同監督というお話しだったのでしょうか?
KD: この作品を本当に責任を持ってやるには、両方の視点で、対等な立場でやらなければならないと思いました。日本人が在日を描いて、それでなるほど日本人には納得できるかもしれないけれども、在日、あるいはコリアンから見れば十分ではないという映画がありますよね。僕が参加する以上は、やっぱり両方が納得する良い映画、感動する映画を作りたいと思ったんですね。特にこのドキュメンタリーの場合、更に南北の問題が入りますからね。北に行くわけじゃないんですが、在日の朝鮮高校生が出るということで、事情は複雑になるわけです。表現のニュアンスとか、取材の仕方とか、対象を選ぶやり方とか、そういうことは森さんも十分にはわからないと思ったんですね。そうなった場合に色々と問題が生じたり、上映がうまくいかなかったりという可能性はあり得ますね。僕はそのことは知っていたので、ふたりで話し合った結果、最後まで両監督が責任を持って作品を作っていこうということに決まりました。
Q: 作品を作る上で、高校生たちに働きかけもなさったのですか?
KD: 彼らは韓国はもちろん、北朝鮮にも行ってみたかったけど、国交もないし、それは非常に難しかったわけですよね。そんな時、ある在日の朝鮮高校生がNHKの「青春メッセージ」で最優秀賞を受賞するんですね。僕はちょうどテレビで見てたんです。非常に素晴らしいメッセージでしたね。「お会いしましょう」と言ってるわけですからね。タイミングも良かったし、彼女と会うことを高校生たちに勧めたんです。両方に「会いたい」という接点はありましたから。これが韓国籍の高校生だったら、という場合もあるわけで、それも在日は在日ですけど、北朝鮮籍の高校生が出ることは北と南の問題が話し合えるということで、より良かったと思います。
ただ待っているだけでは、高校生のできる範囲というのは決まってますよね。そこで、初めて慰安婦として名乗りを上げて証言した金学順(キム・ハクスン)さんと会ったり、あるいは広島で在日韓国朝鮮の被爆者代表に会って話を聞くことを、僕と森さんとで彼らに提案したんです。最終的にあくまで高校生が決めるという自主性は重んじてね。彼らは映画を作ることによって、普通の高校生の3倍から4倍くらいの体験ができたんじゃないかと思うんですね。それはある意味教育であり、その過程に僕も森さんも一緒に参加しながら学んで、共に作っていったということはあると思うんですよね。
(採録・構成:加藤孝信)
インタビュアー:加藤孝信、加藤初代
写真撮影:佐久間春美/ビデオ撮影:佐藤朱理/ 2005-10-12