ヘルマン・クラル 監督インタビュー
私自身がピオ・レイバに惹かれてしまったから
Q: ブエノスアイレス出身の監督が、キューバ音楽を焦点とした映画を作ろうと思ったきっかけは何ですか?
GK: 私はブエノスアイレスで、タクシー運転手のドキュメンタリー映画を撮っていました。その時に、尊敬するヴィム・ヴェンダースへ別の用事でメールを送ったんです。そこで彼から、若いミュージシャンたちをフューチャーした映画を作らないかと薦められたのがきっかけです。当初は、純粋なドキュメンタリー映画を撮るつもりでしたが、ピオ・レイバや若いミュージシャンたちに出会い、共に生活をしていく中で、たくさんのアイディアや構想が徐々にできあがっていきました。
Q: なぜ、ピオ・レイバをメインに撮影したのですか?
GK: 私自身がピオ・レイバに惹かれてしまったからですかね。彼は本当に魅力があって、一緒に食事をした時には、朝からビールを飲み、葉巻をふかして、ユーモアのある温かい人柄を感じました。またそれと同時に、若いミュージシャンたちが彼をとても尊敬していて、本当に彼を愛していたんです。そしてピオ・レイバも若いミュージシャンたちにすぐ馴染み、楽しんでいました。というのも、彼は即興の名人として知られ、若いミュージシャンたちとセッションをした時に、本当に彼がノッてしまって、映画の中でもわかるように、即興でラップまで歌いました。私は彼をメインキャラクターにしてを、本当に良かったと思っています。
Q: なぜタクシー運転手をマネージャーとし、案内役に選んだのですか?
GK: 現地でリサーチをしている間、何度もタクシーに乗りました。キューバのタクシーには、2種類のタクシーがあるんです。ひとつは高いタクシーで日本と同じようなもので、もうひとつは安いタクシーで、いろんな人が相乗りしてきます。私はいつも、安いタクシーに乗っていましたが、一緒にリサーチをしていた女性と話をしている時に、たくさんの人が、話の途中で相乗りしてきました。それが私には生き生きとして見えて、とても興味を持ったんですね。それで偶然にピオ・レイバが乗ったタクシーの運転手が、ピオ・レイバに若いミュージシャンたちを紹介し、バンドを組んでツアーをするのはどうかと考えました。
Q: 監督の通っていた映画学校には、ヴィム・ヴェンダースが教師として在籍していたそうですね。
GK: 最初に会った時は、もう興奮し過ぎて全然話すことができませんでした。今でもそれは変わりませんけど……(笑)。実際に彼から授業を受けたのは1994年で、その時一緒に仕事をしたんです。それはドキュメンタリーとフィクションの中間のような作品で、『ベルリンのリュミエール』という映画でした。この作品は実際、1995年の東京国際映画祭に出品されました。ヴィム・ヴェンダースは、本当にクリエイティブな人で、一緒にいると、とても刺激されます。彼がやっていることを見るだけでもとても勉強になり、私は多くのことを彼から学びました。
Q: この映画の日本初上映が、山形映画祭2005になったことについてどう思われますか?
GK: 山形に呼んでいただいたことをとても嬉しく思いますし、この『ミュージック・クバーナ』が山形で日本初上映になったことを心から喜んでいます。YIDFFは世界の他の映画祭に比べても、本当に質が高く、大変素晴らしい映画祭なので、それが長く続くことを心から願っています。
(採録・構成:菅原大輔)
インタビュアー:菅原大輔、中嶋麻美/通訳:斉藤新子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:山口実果/ 2005-10-11