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YIDFF 2005 インターナショナル・コンペティション
インターナショナル・コンペティション審査員長
崔洋一 監督インタビュー

審査を終えて


Q: むしろ優れた劇映画の作家として知られる監督ですが、ドキュメンタリー映画についての思いはどのようなものでしょうか?

SY: 自分自身が積極的に作るかどうかということとは違うのですが、作り手であると同時に受け手としての僕にとって大切なのは、映画という存在にこだわり続けることであって、ドキュメンタリーというジャンル的区分けにこだわることではないのです。子どもの時から、僕にとって、スクリーンに向かう時に大切なことは、僕にとって意味があるかないか、面白いのか面白くないのかという判断でした。ドキュメンタリーだろうと劇映画だろうと、アニメであろうと実写であろうと、そういう差別はなかったと思います。それと、少年期と青年期に、ドキュメンタリーを普通に見るという空気があったと思います。たとえば大島渚が『忘れられた皇軍』(1963)を撮るというようなことが特別なことではなかった。あるいはウィリアム・クラインやゴダールが参加した『ベトナムから遠く離れて』(1967)が新宿の劇場で公開されて、それなりに若い観客の支持を受けるというようなことがありました。だから、ドキュメンタリーを見るということは必ずしも特別な営為ではなかったのです。時代の空気だったのです。世界全体の枠組みに対し疑義を抱き、啓蒙的な意識を持つドキュメンタリーが多くあった中で、自分にとって鼓舞されるもの、自分の中で結論が見えてくるようなものには感情があおられるということがあったのです。小川紳介や土本典昭、あるいはジガ・ヴェルトフ集団の一員であったゴダールの作品が普通に見れた時代だったのです。

Q: 審査員長としてご覧になった今年の映画祭の際立った傾向は何でしょう?

SY: コンペの作品は15本あって、その半分近くは今の世界のあり方に対する意志を持った作品、つまり世界の存在、多くは人類に対するある潮流を作り出しているグローバリゼーションと個人の関わりに対する作家の主体的視点をもつ作品でした。そして、それをある距離感をもって描く、個人が個人を撮ることによって、撮る側自らも対象化されて行くという、カメラの向こう側に行く、鏡の中の自分を撮るような傾向が見られました。

 もうひとつは、非常に静かな変化、静かな空間や時間の変化に対してカメラを向けるという傾向です。ひとつの事象があって、そこに真実があるとしたら、それを作り手が複眼的、多面的に見ているということが、今回の作品の味わいのなかに取り入れられているのではないかということです。長い時間をかけて、取材対象と独特の距離感をとって取材することで、作り手のほうが取材される側に自らも立って思考するような、つまり撮る者が、自分は何ものであるだろうかと問いかけるような映画が多かったと思います。今回の特集であるパーソナル・ドキュメンタリーだけではなく言わば無数の私を撮る私がいるような傾向が見られたと思います。世界のきしみというものが、あらゆる人に影響を与えている、そういう時代なんだと思いますね。

 その世界のきしみを、政治的な構造としてとらえるのではなく、その間に自ら身を置いて、冷静なまなざしと狂熱的な創作欲を混在させつつ撮る作品が多いということです。

Q: コンペの作品をどのような基準で審査されるのですか?

SY: 今回の4人の審査員は、何かあらかじめの基準を設けて作品にのぞんだわけではありません。好きか嫌いかということも含めて、作品が自分にとって意味があるかどうか、ということを基準として審査しました。そういう意味ではバラバラなのですが、不思議なことに、皆さんが選ぶものは、言葉も習慣も違う審査員団であっても、結果としてはある統一性をもつことになったのです。

Q: 映画祭というこのイベントについてのご意見をお願いします。

SY: よく言っているのですが、情熱と感情とを持って、短期間に花開く映画祭を、どう体系化していくかということが、ボランティアを束ねる人たちの使命としてあるでしょう。映画祭をよく知る人たちは、ボランティアを、枠組みに当てはめて、予定調和をはかるということになりがちです。しかし、ボランティアはいわば素人ですから、時にははじめての仕事に向き合わざるをえないのですが、しかしそこでたじろかずに立ち向かうことで自分自身のモチベーションが上がっていくのだと思います。情熱だけでは3日ぐらいしかもちませんから、それを束ねる側が上手に制御しながら、すでにボランティアを経験しているような人をうまく使って進めることが大切だと思います。それと、隔年の開催だからその時だけ参加するというのではなく、間の時間もつなげていく必要があるでしょう。それには、ボランティアではない人たちがその辺の呼吸を心得て調和を目指していく必要がありますし、その真摯な姿勢が、新たな友情や、新たなアイディアを生み出して行くわけです。ただ一時の感情に支えられるだけでなく、ある種の専門性をボランティアの人たちのなかにも培っていく必要があるでしょう。

Q: 将来の映画祭のあり方へのご助言をお願いいたします。

SY: 東京の人間にとって山形に行くことは、出品する、審査員になるというなど、様々な形で関わるだけでなく、一観客として参加することも大きな歓びなのです。ですから、できれば常にこの映画祭に来て映画を見て、映画を語ることが僕自身にとっても重要なことだと思います。すでに世界に冠たる映画祭だから、評価は定まっているのですが、その評価の上にあぐらをかかずに、まだまだできることを考える必要があるでしょう。隔年の映画祭ですが、プレ映画祭だけでなく、内と外の情報交換をさらにおこなう必要があります。質の高い映画祭ほど、あらゆる人がこぞってそこに参加するということが困難になる傾向があります。しかし、だからといって働きかけを止めるべきではないでしょう。人間、どうしても、面白そうなことをやっているな、と思うと反発を感じる場合があるのです。それを放置するのではなく、参加を促す努力を止めてはいけないのです。

 説得の努力を怠ってはいけないし、具体的に言えばワークショップであるとか、映画祭後の青少年や高齢者向けのプログラムなど、映画祭とは別のポピュラーなプログラムを組むことも考えられます。ワークショップだって、プロを養成するということではなく、家庭にあるビデオや8mmなどを使ったワークショップなどをおこなったら良いと思います。作るということ、見るということの永続的なワークショップをおこなうという努力を続けなければならないのだと思います。

 ともあれ、なじみのお客さんもできてきて、地元の高齢の人たちですが、そういう人たち、自分が生きていくうえで、自分の探究心を向上させようとするつもりで来られるというような人たちにお会いすると、ずいぶん映画祭が根付いて来たのだなということを感じます。

(採録・構成:阿部宏慈 山形大学教授

インタビュアー:阿部宏慈
写真撮影:川口肇/ビデオ撮影:大谷紫津/ 2005-10-13

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