メルヴィ・ユンッコネン 監督インタビュー
父から受け継いだもの
Q: 監督のお父さんは、8mmで農場の変遷を撮影していたそうですが、映画を撮りはじめたのは、お父さんの影響だったのですか?
MJ: 確かに、子どもの頃から家にカメラやフィルムがあったので、きっかけにはなったと思うのですが、それを仕事にしようとは思っていませんでした。でも、この映画を作りながら、確かに父親の影響を受けていたんだな、と気づきました。編集を終えてみて、私は農場は継がなかったけれど、彼から引き継いでいるものがあって、それを誇りに思うことができるんだ、とわかって嬉しかったです。
Q: どういう理由で、この映画を撮り始めたのですか?
MJ: EU加盟で規制が変わってしまって、フィンランドの小規模農家は、採算が合わない苦しい状況に追い込まれていきました。私は、その状況を見て悲しかったのです。田舎の農場出身だということもあって、この状況の中で、何かしなければ、と思いました。映画学校を出て、ビデオも持っていたので、私にできることは映画を作ることでした。それまでにも農場についての映画は作られていたのですが、それは外側から見た農場、という印象だったので、私ならば農場の中から、農場の立場から声を届けられる、と思ったんです。それで、最初は3つの農場を撮っていましたが、私の家でいろんな出来事が起きたので、自分の家族に絞って撮ることにしました。全部で1年半撮影しましたね。
Q: 「自分自身にまつわる映画はやはり困難が伴う」と公式カタログの中でおっしゃっていますが、それはどんな困難でしたか?
MJ: もちろん、大変なことはいっぱいありました。どんな状況であれ、身近な人を映画にするのは難しいと思います。
家族を撮る時には、映画を撮るだけの価値があるのか、を考えないといけないですね。実際に家族と一緒に感じて、それを味わいたいのか、それとも彼らの感情から一歩離れていたいのか、という選択をしなければならないのです。私はカメラを廻していたので、カメラの後ろに隠れることもできてしまうのです。これはたとえば、カメラマンが戦場での惨事を撮影できるのは、カメラがあるからこそなんだ、ということとも関連していますね。この作品を撮ってみてわかったのですが、カメラが外の世界、たとえば戦争との距離を作ってくれるんでしょう。
この映画の中で私は、妹が病気になるなど、家族が大変な状況にいるような時でも、カメラマンとして、一歩引いて感情を表に出さないで、仕事に集中しなければなりませんでした。でも私は、家族には「私も同じように悲しみ、心配していた」と感じていて欲しかったのです。編集と仕上げの段階でやっと、感情をさらして泣けたんです。
この映画を撮ってみて、私が他の人を撮る時にも、撮られている人が、どう感じるのかがわかるようになりました。自分で経験してわかるようになったというのは、とても大きかったです。
Q: とても興味深い話をありがとうございます。次回作の計画はありますか?
MJ: まだ初期段階ですが、移民に興味があります。というのは、最近フィンランドからスウェーデンへ引っ越したからなのです。私は、ドキュメンタリーでもどんな芸術でも、作り手の中から湧き出てくるものだと思っています。今何を感じていて、何に興味があるか。出発点は自分自身にありますね。
(採録・構成:曳野渚)
インタビュアー:曳野渚、桝谷頌子/通訳:斉藤新子
写真撮影:村山秀明/ビデオ撮影:小山大輔/ 2005-10-09