Part 6
沖縄ディアスポラ/「出沖縄」の軌跡
沖縄は多くの移民を輩出したところで知られる。戦前は「蘇鉄地獄」と呼ばれた経済的苦境からの脱出と残された家族の救済のために、戦後はアメリカ軍の強制的な土地接収による離散から、多くの人たちが海を渡った。これらの人々が移民地に書き込んだのは、決してサクセスストーリだけではなかった。「日本人」である前に、「沖縄県人」である異国に生きる人々は、逆に自らアイデンティティをより強く意識したのである。沖縄エグザイルたちが生きた近代と現代、光と影、望郷と海。「出沖縄」の軌跡を見る。
船出 沖縄編
Leaving Port: Okinawa- 1972/カラー/ビデオ/25分
演出:池松俊雄 撮影:高畑恒夫
制作会社、提供:日本テレビ
放映日:1972年1月16日
1971年2月15日、仲尾次政長さんとその家族11人は、他11家族64人とともに、戦後再開されたブラジル移民として、本土復帰直前の沖縄を後にし、ブラジル・サンパウロへ向かった。仲尾次一家の沖縄出発直前から船出までのそれぞれの別れと旅立ちを追う。「沖縄編」のほか、移住直後の生活を追う「ブラジル編」、移住15年後の沖縄一時帰国を追う「ある帰国編」の三部作で一家の15年の軌跡をたどった。
おきなうえんせ ラテンアメリカに生きる沖縄県人〈ボリビア編〉
Okinauense: Okinawans Living in Latin America <In Bolivia>- 1977/カラー/ビデオ/25分
おきなうえんせ ラテンアメリカに生きる沖縄県人〈ペルー編〉
Okinauense: Okinawans Living in Latin America <In Peru>-
1977/カラー/ビデオ/25分
構成、ナレーター:稲福健藏
制作会社、提供:琉球放送
ラテンアメリカでは沖縄人のことを「おきなうえんせ」と呼んだ。このシリーズの特徴は、「おきなうえんせ」たちの、サクセスストーリだけではない破れた夢や移民史の影の領域へのこだわりである。創立20周年を記念して琉球放送がはじめて長期海外取材を敢行して制作したシリーズの3作目が〈ボリビア編〉。1954年8月アメリカ占領下の沖縄からボリビア移民第1陣269人が入植したのはリオグランデ川の南のウルマ高地。そこに苦闘の末、第1から第3までの「コロニア沖縄」を築く。作品は、そこに生きる移民たちの過去と現在、生と死をドキュメントする。〈ペルー編〉では、長い苦労の末、ひっそりと身を寄せる養老院や志半ばにして倒れた人たちの墓地に注がれるカメラワークからシリーズの特徴が強く伝わってくる。
ヒア・サ・サ ― ハイ・ヤ!
Hia Sá Sá--Hai Yah!- ブラジル/1985/ポルトガル語、日本語/カラー/ビデオ/27分
監督、脚本:オルガ・フテンマ 撮影:セザール・シャルローネ
編集:サラ・ヤクニ 音楽:カリン・ストゥッケンシュミット
製作会社、提供:モンテヴィデオ&タピリ・シネマトグラフィカ
沖縄系ブラジル人二世の映像作家が、サンパウロの沖縄移民社会をめぐる「芸術的マニフェスト」として製作した、短編ビデオ・ドキュメンタリー。いくつもの大洋を渡り、彼方の土地へと流れ着いた、流浪する“シマ”の人びとの声。故郷へつながる海と河の風景、異郷の都市で生きる芸能の世界を舞台とし、移民の老女から少女へと受けつがれ、変奏される夢と記憶が、詩的な語りと寓意的イメージを通して描かれる。
裏切りの記憶
Memories of Betrayal- 1988/カラー/ビデオ/25分
ディレクター:土江真樹子
撮影:笠間博之、船越義人、陣内幸一、中西朋暁
編集:笠間博之 プロデューサー:平良尚正
制作会社、提供:琉球朝日放送
太平洋戦争当時、アメリカ政府から南米の日系人までが“戦争犯罪人”とレッテルを貼られ、アメリカへ強制連行され収容所に入れられていた。1988年まで明らかになることがなかった南米日系人の強制連行と収容。なぜ、南米から日系人が連行されたのか。そこには“日本の友”と親しまれたひとりのアメリカ人外交官、ジョン・エマーソンの姿があった。当時アメリカ政府が作成した文書や関係者、そして沖縄に戻って戦後を過ごしている南米日系人の証言を通し、“強制連行と収容”の実態に迫る。