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YIDFF 2023 アジア千波万波

GAMA
小田香 監督インタビュー

聞き手:江利川憲

『GAMA』の成立と『Underground』

江利川憲(以下、江利川):本作『GAMA』は、大阪の豊中市立文化芸術センターの協力もあって出来たようですが、そのあたりの経緯をお聞かせいただけますか。

小田香(以下、小田):「Underground」プロジェクトをこの3年ぐらいやってきて、例えば札幌文化芸術交流センター SCARTSからお声が掛かって「地下」にまつわる4面の映像制作を手掛けたり、豊中市立文化芸術センターからはリサーチ活動助成をいただいて、豊中でリサーチをしていたのですが、私が撮りたい地下が見つからなかったのです。行き詰まっていたところ、豊中市と沖縄市のつながりが意外と深く、「兄弟都市」でもあることを知りました。で、沖縄でリサーチを進めることが許され、沖縄の地下空間である「ガマ」が浮上してきたというわけです。

江利川:『Underground』という映画には、この『GAMA』も収録されるのですか。

小田:全部は入らないと思います。

江利川:その『Underground』には、最初におっしゃった札幌の映像や『GAMA』の映像、その他の場所の映像が使われ、新たに編集されて出来上がるわけですか。

小田:はい、そうです。

江利川:『Underground』完成の目処はどんな具合ですか。

小田:この山形(YIDFF)が終わったら、1日、2日撮影して撮了なんです。年内に編集をして、完成は来年(2024年)でしょうね。長さは90分を超えますが、2時間にはならないと思います。撮影地は札幌・沖縄のほか、夕張・島根・佐賀・兵庫・京都などで、全部地下の映像です。

江利川:楽しみにしています。さて『GAMA』ですが、これはフィルムで撮られたのですね。

小田:16mmフィルムで撮って現像し、それをスキャンして編集はデジタルでやっています。上映もデジタルになります。フィルムで上映できる映画館が少なくなっているので。

江利川:撮影は高野貴子(よしこ)さんですね。これまで小田さんは、ほとんどご自分で撮影してこられたと思いますが、別の方に撮影を任されたのはどうしてですか。

小田:今後の制作体制を考えたのと、自分にとっての新しい試み、大きなチャレンジになるかと思ったので。また、カメラマンは男性でなくてはいけないという固定概念を崩したい、技師陣は女性でかためたいという思いもあって、女性の撮影者を探しました。クルーのひとりから高野さんのお名前が挙がり、私も『国道20号線』(2007/監督:富田克也)は観ていて敬意を抱いていたので、オファーさせていただいたら、受けていただけたのです。『GAMA』では、こんなふうに撮ってほしい、何がイメージに収まってほしいということは伝えましたが、具体的にフレーミングをするなどのことはお任せしました。今、映画づくりに複数の視点や感じ方が入ってくるのは面白いなあと感じています。自分ひとりで撮ることも同時並行で進めていきますが。

特徴的な映像と音

江利川:映画の中に入っていきたいのですが、冒頭、波頭も見えないほど真っ白な海の画面から始まるので驚きました。あの白い海は何か意図があってのことですか。

小田:白さに意味はないのですが、海のシーンから始めよう、何を見ているか分からない状態から始まってほしいとは思っていました。白い画面は、当日の天候や洞窟内から外を撮っていることも影響していると思います。

江利川:これも初めのほうの画面で、暗闇の中で金色の粒子のようなものがザーッと流れたり渦巻いたりしているのですが、あれは何ですか。

小田:ガマの中はすごく湿度が高くて、チリやホコリも多いのです。それは普通では分からないのですが、懐中電灯の光を当て、少し風を起こして、ピントをずらして撮影すると、あんな映像になります。

江利川:なるほど。いかにも小田さんらしい映像だと感じました(笑)。あと、ガマの中に金属音のような音が響いているのですが、あれは何の音ですか。

小田:あれは、サンゴの化石を打ち合わせてつくった音です。ガマの中で実際に聞こえる音ではありません。

江利川:音楽も使われていませんね。

小田:映像をつくるうえで、音楽を使うという考え方をあまりしたことがないです。実際にあった音を再構成して使うということはありましたが。でも、『Underground』では音楽をつくってみようと思っています。

松永光雄さん、青い服の女性

江利川:この映画、松永光雄さんが主人公と言ってもいいと思いますが、松永さんとの出会いはどんなところからですか。

小田:沖縄で、しかもガマを撮ることになって、やはりガイドの人がいるほうが、お話も聞けるし安全だしということで、ガイドの方をご紹介いただいたり、自分でもネットで探したりしました。その中で見つけたのが松永さんのホームページだったのです。遺骨収集の活動をされていることも分かり、私たちが「Underground」プロジェクトでやっていることって、人間が生きた跡を記録する、痕跡をたどるということなので、遺骨がそれに当たるかどうか確信はなかったのですが、地下空間にあるものという意味で、ひとつのスタートポイントになるかなと思って、コンタクトを取り、ガイドをお願いしました。

江利川:画面からも、その人柄が伝わってくるのですが、松永さんの人柄に触れた、あるいは魅力を感じたのはどのあたりからですか。

小田:最初に会った時から松永さんは松永さんで、とても大事なことをおっしゃるし、どうあるべきか伝えてくださる一方で、彼の存在が地に足がついているというか、それがいいなと思いました。パフォーマンスじゃない、というところが。

江利川:ガイドの仕事は、何年ぐらいされているのですか。

小田:1988年からですから、もう35年ですか。その期間、ずっとされていたわけではないと思いますが。

江利川:お話しぶりが、ひとつの「芸」になっているようにも思いますね。

小田:節(ふし)がありますよね(笑)。

江利川:松永さんが被っているヘルメットに赤いテープが巻いてあって、映像的に良い効果を上げているなと思ったのですが、あれは仕込んだものではないのですか。

小田:あれは元々です。でも私もいいなあと思っていました。

江利川:その赤に対して、青い服を着た女性の存在が、この映画では大きいと思います。場面によっては幽霊のようにも見えるし、ガマの中を這いずり回っている戦時中の人、あるいは松永さんの話を聴いているツアーの参加者、沖縄の街を歩く旅行者などにも見えます。彼女の存在をどう捉えればいいのかという戸惑いも感じたのですが、どうでしょうか。

小田:そのすべてであり得る、というのが私の狙いというか、彼女になってほしいことで、だから「影」と呼んでいるのですが。違う言い方をするなら、集合的無意識とか集団的な記憶とも呼べると私は思っています。生き物として、もしくは人類として、自分たちの中に、根底のほうでは共有するものがあるんじゃないか、というテーマが『セノーテ』(2019、YIDFF 2019)の時から私の中にずっとあるのです。だから、そういうものを体現する役割が、吉開菜央(よしがいなお)さんになっていただいている「影」なのかなと。これから『Underground』の編集なので、どんなプロセスで思考が変わるか分からないですけど、とりあえず『GAMA』の撮影中は、そういう役割を担っていただきました。

江利川:青い服の女性を「創造」したことが、この映画のキモではないかと思うのですが、そこに至るまでに、ずいぶん悩んだり考えたりされましたか。

小田:最初の関心が、沖縄戦のことを知りたいとか、沖縄の問題に取り組みたいとかであれば、おそらく吉開さんのようなキャラクターは登場しなかったと思いますが、『GAMA』はあくまでも地下空間の記憶を「影」が巡っていくという物語なので、ちゃんと記録したいという気持ちとともに、沖縄だけに引っ張られたら「Underground」プロジェクトとしては何か矛盾するものが出てくるぞとは思っていました。

江利川:すると、割と初めのほうから、吉開さんに「影」の役をやってもらうというアイデアがあったのですか。

小田:いや、まず松永さんに出会い、いろんなガマを紹介していただき、語りを聴いて、松永さんを撮影させてもらいたいとなった段階で、それがどういう作品になるかと考えだしたのです。松永さんおひとりが登場してお話しされたら、「Underground」プロジェクトとしては成立しないかなと考え、それじゃあ吉開さんにもちゃんと登場していただこう、という流れです。

江利川:映画の後半、遺骨収集の話になっていき、その中に「遺骨にも人権がある」という言葉が出てきます。これについて少し教えていただけますか。

小田:この言葉を松永さんにおっしゃったのは、具志八重(ぐしやえ)さんだと思います。松永さんが遺骨収集を始めるきっかけになった方です。言葉の意味は推測するほかないのですが、戦争で亡くなった方の遺骨がご遺族の元に帰るのは、その方の人権だということかと思います。一方で、地中にはもっと古い時代の遺骨もあるわけで、むやみに掘り返してはいけないという意見もあります。

江利川:青い服の女性が砂浜でサンゴの化石を打ち合わせているシーンが、やはり後半に出てきます。そのサンゴが、それまでのシーンで収集していた人骨のようにも見えたのですが、あれは意図してのことですか。

小田:意図しています。戦死者の遺骨がないので、サンゴの化石を遺骨に見立てて遺族に送ったという事実も知っていましたので。実際に見ても、骨っぽく見えるんです。

沖縄の現実

江利川:同じシーンの中で、突然ジェット機の爆音が侵入してきますが、あれは偶然だったそうですね。

小田:偶然です。画面には映っていませんが、撮影している私たちの上を飛んでいきました。吉開さんもびっくりされたと思います。

江利川:そのシーンのあと、松永さんが運転する車の窓の外に、米軍基地のフェンスが延々と続いているシーンが来ます。サンゴを鳴らす小さな音をかき消す爆音、延々と続く米軍のフェンス、そして最後に美しい海を撮っているところにもジェット機の音が入ってくる。そこに、戦後も続く沖縄の人たちの苦しみが表れているなと思ったのですが、それ以後は何かを告発することもなく映画は終わります。そういうのは本作のテーマとは違う、と考えられたからでしょうか。

小田:私たちが撮ったものは、全部松永さんのガイドの下で撮ったもので、私たちが体験したもの、見させてもらったものを、私たちの事実として提示するというのが『GAMA』でやりたかったことなのです。ただ、遺骨が含まれている土で基地を造ろうとしている事実もあって、地下の記憶を扱っていても、それは今につながっているのだなとは思います。

江利川:最後に、『GAMA』についてこれだけは言っておきたい、ということはありますか。

小田:松永さんに出会えたからつくれた、というのは大きいですね。

江利川:納得です。ありがとうございました。

採録・構成:江利川憲

写真:梅木重信/ビデオ:佐藤寛朗/2023-10-08

江利川憲 Erikawa Ken
編集者・映画館役員。フィルムアート社に勤務後、フリーランスに転身。著書に『大阪哀歓スクラップ』(エディション・カイエ、1989年)。「映画新聞」編集スタッフを十数年務めたのち、1997年市民映画館「シネ・ヌーヴォ」の立ち上げに参画、2005ー2016年まで「大阪アジアン映画祭」に携わる。第1回、2回山形国際ドキュメンタリー映画祭「デイリー・ニュース」編集デスク、2019年は「アジア千波万波」の審査員を務める。