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YIDFF 2023 アジア千波万波

ベイルートの失われた心と夢
マーヤ・アブドゥル=マラク 監督インタビュー

聞き手:江利川憲

監督と過去作のこと

江利川憲(以下、江利川):最初に、映画の感想をお伝えします。カメラがあまり動かずに対象を凝視していることが、この映画で扱われている内面・内省を観る者に印象づける効果を上げていると思います。また、映画を観たあとに余韻や情感が残り、非常に好ましく感じました。

マーヤ・アブドゥル=マラク(以下、アブドゥル=マラク):ありがとうございます。

江利川:監督はフランスにお住まいなのですか。

アブドゥル=マラク:レバノンとフランス、ふたつの国の間を行ったり来たりしています。最近はフランスに根を下ろしている感じですが、それでも年に何度もレバノンを訪れます。

江利川:2015年にYIDFFで小川紳介賞を受賞された第2作『たむろする男たち』は拝見したのですが、第1作の『In the Land That Is Like You』(2010年)、これはどんな映画ですか。

アブドゥル=マラク:これは私がレバノンに帰国した時に、いわば自分自身を演出するかたちでつくった映画です。具体的には、私の母、祖母、当時私が愛していた男性という3人の人物との関わりを通して、私自身が忘れかけていた祖国との絆や子ども時代――それはレバノン内戦の時代でもありますが――の記憶を取り戻しながら、自分自身の物語を獲得していくという、非常にプライベートで内密な作品です。

映画の中の「夢」について

江利川:第3作にあたる『ベイルートの失われた心と夢』は、男性ひとりと女性ふたりが、自分の夢について語るナレーションが映像にかぶさっていて、その夢を語る人たちは画面に現れないですね。

アブドゥル=マラク:そうです。そのアイデアは最初からあって、夢を語っている人は画面に現れないけれど、映像に写っている別の人たちとの間に、つまり音声と映像の間に、谺(こだま)というか共鳴関係が生まれて、語られている夢が映像に写っている人の夢であってもおかしくない、という構成になっています。

江利川:語られている夢は、本当にその3人が見た夢なのですか。

アブドゥル=マラク:素直に言いますと、ややフィクションの仕事が入っています。というのは、多くの人から夢を集める一方で、その夢が「死」と関わるものになってほしいという気持ちがあったので、死者(幽霊や亡霊)の見る夢を自分でも脚本として準備しました。最終的にはその脚本は使わなかったのですが、それでもその内容が、私が集めたドキュメンタリー的な要素としての夢に混ぜ込んで再構成されているので、幽霊や亡霊の存在が夢の間にそこはかとなく現れていると思います。

江利川:3人の男女が語っている夢全体の脚本はあったのですか。

アブドゥル=マラク:そう言っていいと思います。2年間ほどかけて、いろんな夢を集め、それをベースにしたわけです。その中から、私が3人の夢を語る人物を創造しました。内戦の中で息子が行方不明になってしまった男性、難民キャンプに住んでいるパレスチナ人女性、そして私と同世代の女性、の3人ですね。

江利川:その夢の内容ですが、頭を撃たれたとか、虐殺、爆撃を受けて死んだ祖母、あるいは自分自身が爆発してしまうなど、悲痛で痛切なものですね。

アブドゥル=マラク:悪夢と言っていいと思います。とはいえ、ベイルート(レバノンの首都)の歴史の一部であるそういった悲痛な記憶に結びついた夢が、優しさと光の中で語られるように私は描きました。そういった悲惨な過去を抱えながら、現在のベイルートは光と命に満ちた街であるからです。

江利川:それらの夢は、レバノン内戦とか、イスラエル軍の侵攻、2020年のベイルート港爆発事故(同年8月4日、ベイルート港に保管されていた2750トンもの硝酸アンモニウムが爆発し、死者220人以上、負傷者7000人以上を出した)などを包含していると考えていいのでしょうか。

アブドゥル=マラク:まったくそのとおりで、夢を通してこの街を語りたかったわけです。この街自体が、激しい内戦だったり、何度も続くイスラエルの攻撃だったりが居着いてしまっている、そういう記憶に住まわれてしまっている街であるので。

江利川:平和に見えるベイルートの街で暮らしている人々の内面に、そういう記憶が拭い難く埋め込まれていると……。

アブドゥル=マラク:しかも今が本当に平和だと言えるのかどうか……。

江利川:そうですね、それが気になったところです。

アブドゥル=マラク:今、レバノン国内では直接的な武力抗争はないにしても、中近東全体ではどこかに争いが起こっていて平和にはならないし、レバノンも大変な経済危機に見舞われています。しかも悲惨な出来事は「繰り返される」ということを言いたかったのです。映画の夢の中で、パレスチナ難民の女性は1982年にイスラエル軍が国境を越えてレバノンに侵攻してきたのを経験しているし、私と同世代の女性の夢の中では、2006年のイスラエルの攻撃が語られています。つまり、同じことが繰り返されるというのが、この映画のテーマのひとつになっていて、それは「今、本当に平和なのか」という問いの答えにもなるかと思います。

登場人物たちに沿って

江利川:細かいことをお訊きしますが、冒頭近くの海のシーンで、体格のいい髭面の男性とフェザー柄のかわいいシャツを着た若い男性が出てきます。あのふたりはどういう関係ですか。

アブドゥル=マラク:映像部分は完全にドキュメンタリーですから、ふたりの関係は分からないのですが、ナレーションとして聞こえてくる声との関連で観てもらえればと思っています。つまり、若いほうの男性は語られている行方不明の息子かもしれないとか、そういう投影が行われていると考えていいと思います。もうひとつは、ベイルートはとても美しい明るい街であると同時に、暗い歴史が常につきまとっているということ。つまり、このシーン自体は明るくて優しいのですが、そこで語られる過去の暗さがあり、ある種の矛盾やコントラストを表現したいと思ったのです。

江利川:その海のシーンの後に、狭い入り組んだ路地のシーンになります。

アブドゥル=マラク:虐殺事件のあったシャティーラですね(サブラ・シャティーラ事件)。

江利川:その路地に、人物のポスターがたくさん貼られているのですが、あれはどういう人たちですか。

アブドゥル=マラク:もちろん、アラファトのがありますね。あるいは難民キャンプで亡くなった人のポスターなどです。

江利川:映画の後半のほうでは、人物の顔のデッサンが壁にずらっと並んでいますが、あれはどういう人たちですか。

アブドゥル=マラク:あれは2020年の港の爆発事故で亡くなった人たちです。ベイルートの中心の広場に、ああいうかたちで追悼しているのです。いま挙げられたふたつの例は、直接には関係ないのですが、それを結びつけて話されたことがとても興味深く、つまりこの街には、そこらじゅうに亡くなった人たちの顔のイメージがあるのです。ですから、ベイルートに住んでいると、誰が生きていて誰が死んでいるのか分からなくなることがあります。

江利川:その死者たちのデッサンの前を行ったり来たりする男性がいますが、あれはどういう人ですか。

アブドゥル=マラク:実は、あの人は警備員なんです。あれもドキュメンタリーの幸運のようなもので、あの壁を撮りに行ったら、たまたまあの人がいたので撮影させてもらいました。その時は、夢のナレーションにあんなにイメージが合うなんて、自分でも分からなかったのです。

江利川:とても味わいのある顔をされていて、遺族の方が物思いにふけりながら歩いているような印象を受けました。

アブドゥル=マラク:そのとおりで、編集中には「死者の守り人」と私たちは呼んでいました。

江利川:この映画、各シーンのナレーションと映像が見事に呼応していて、ずいぶんカメラを回されたのではと思いましたが。

アブドゥル=マラク:準備には何年もかけましたが、撮影したのは4日間ぐらいです。そんなふうに感じていただけたのなら、編集の賜物でしょうね。撮影が全部済んでから、夢のテキストを朗読してもらって録音し、それを映像に合わせていったわけですから。

江利川:編集には監督も参加されたのですか。

アブドゥル=マラク:もちろん。編集のアドリアン・フォシュと相談しながらですが。

江利川:あとふたり、気になっている人がいまして(笑)。実に平和そうな海岸で水タバコを吸っている年配の女性がいますが、あの人もたまたまそこにいた人ですか。

アブドゥル=マラク:あの人の場合は、ちょっと演出が入っていまして、最初に海岸へ行った時にあの人がいて、「撮影する日にも来てもらえますか」とお願いして来てもらったのです。あとの人たちは全部、撮影日に偶然そこに居合わせた人です。

江利川:そして私がいちばん好きな場面なのですが、みんなが踊っているパーティーのシーンで、最後にフォーカスされる若い女性がいます。笑顔がとっても素敵で、女優さんのようにも見えたのですが、あの女性も“仕込み”ではないのですか。

アブドゥル=マラク:あのシーンも、パーティーの主催者に許可をもらって撮っただけですから、そこに来ていた人たちは、一度も会ったことのない人ばかりです。

江利川:それまでの登場人物に、ほとんど笑顔がなかったので、彼女の笑顔が本当に美しく感動的で、ああこの笑顔がいつまでも続いてほしいと願わずにはいられませんでした。

アブドゥル=マラク:それが伝われば嬉しいです。生きる喜びや楽しさが爆発しているシーンですね。

ラストシーンの衝撃

江利川:ついにラストシーンですが、風船売りが遠くから来て、去っていって、最後にベイルートの夜景が広がる……。最初に申し上げたように、余韻・抒情が残って、見事な終わり方だなと思いました。

アブドゥル=マラク:映画全体が、夢みたいに終わってくれたらいいなと直感的に思ったのです。そして、一日が終わるように、夜で終わろうと。

江利川:風船からピコピコと電子音が鳴っているのは、初めて聞きましたが。

アブドゥル=マラク:あれは、音響編集でつくった音です。

江利川:えっ、そうなんですか! 

アブドゥル=マラク:この映画、実は音をものすごく凝ってつくっているのです。バスの中の音やラジオの音なども。

江利川:それはまったく気づきませんでした。

アブドゥル=マラク:音響編集のジョセフィーナ・ロドリゲスやエマニュエル・クロセにとって、その言葉は最高の褒め言葉になると思います。

江利川:最後に、何か監督からメッセージがありましたら。

アブドゥル=マラク:私にとって大事なのは、この映画はレバノンやベイルートのことを知っている人に分かってもらいたいという作品ではない、ということです。

江利川:無知な私にも刺さりましたから、その点は大丈夫だと思います。素晴らしい映画でした。ありがとうございました。

採録・構成:江利川憲

写真:佐藤寛朗/ビデオ:楠瀬かおり/通訳:藤原敏史/2023-10-06

江利川憲 Erikawa Ken
編集者・映画館役員。フィルムアート社に勤務後、フリーランスに転身。著書に『大阪哀歓スクラップ』(エディション・カイエ、1989年)。「映画新聞」編集スタッフを十数年務めたのち、1997年市民映画館「シネ・ヌーヴォ」の立ち上げに参画、2005ー2016年まで「大阪アジアン映画祭」に携わる。第1回、2回山形国際ドキュメンタリー映画祭「デイリー・ニュース」編集デスク、2019年は「アジア千波万波」の審査員を務める。