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YIDFF 2015 ネットワーク企画上映
風の波紋
小林茂 監督インタビュー

たどり着いたみんなの映画


Q: 登場する人物、動物、植物、里山の風景、暮らしの描かれているシーンが変わっていくのが、まるで絵本のページをめくるようで心躍る映画でした。どのようにこの映画を作っていったのですか?

KS: 木暮さんは写真を通した仲間で、1996年に私が開催したウガンダの子どもたちの写真展で出会いました。彼は以前、世界中を回るカメラマンでした。ある活動で何度も新潟に通う途中、たまたま車で迷い込んだ村が松之山で、夕方、黄金に輝く棚田と茅葺き屋根の民家を見て、「日本にこんなすごい景色があるのか」と驚いたそうです。偶然が重なって、その集落の民家を譲り受けて住んでいました。

 私は2002年に脳梗塞で倒れて透析を受けるようになり、2007年には共に映画を作り続けてきた佐藤真さんが急逝し、ものすごい喪失感に襲われました。もう映画をつくることができないと諦めていたなか、大阪の友人と木暮さんのうちに泊まりに行ったんです。7月の朝陽が草木についていた夜露を照らし、そのキラキラした輝きを目にした瞬間に、「ああ、ここでなら映画を作れるかもしれない」と思ったんです。それからの5年間は、「この映画を完成させるまでは死んでたまるか」と、この映画があったおかげで乗り越えられてきた気がします。

 毎日薪を焚いて風呂を沸かしてご飯を作って食べて、生活するって本当はみんな手間のかかることです。この映画を作っているうちに、子どものころに田んぼを手伝った感覚が呼び起こされてきました。自分の父親母親含めて、みんなそうやって生きてきて、その中で自分も生きてきたんだと思いました。そのことを今も、木暮さんたちは実践している。映画作りの後半には、生きるということは手間のかかることであるけれど、そのことが生き甲斐につながっていて、それでいいんだ、という感覚になりました。今は生活するということが全部簡単になって、学歴や業績で、他人や自分を評価している。そうではなくて、生きていること、それだけですごいことなんだよと、この映画で伝えたいんです。

 触覚をたよりに作ってきたので、ジグソーパズルの1ピースだけを見ても何の絵なのかわからないように、撮影している時は、どのような映画になるのかわかりませんでした。でも撮影後、客観的な視点で編集や音響など、スタッフそれぞれが自分のパートを主張して作り上げていくうちに、ピースが組み合わさっていきました。そうやって、みんなの映画にたどり着いたのです。監督はあくまで作品の代表者。スタッフはきっとみんな「私の映画です」と胸を張って言うと思います。

Q: 最後の女性が歌っているシーンがとてもすてきだと思いました。

KS: 天野さんはたまたま知り合いの娘さんで、村に移住し、廃校を活用した美術館で働いています。知人の映画上映会に行った時ゲストで彼女が歌っていて、それが素晴らしくて、この映画のためにオリジナルの歌を作ってほしいとお願いしました。最初に聴いた時、これはすごい歌ができたと、もうびっくりしました。

Q: 子どもたちによる月の晩の狐の幻灯会や劇中劇のシーンが印象的でした。

KS: 「しみわたり」と新潟では言うのですが、積もった雪の表面がその上を歩けるくらい固まって、月の光でブルーの世界になるんです。それを見た時、宮沢賢治の『雪渡り』の狐の幻灯会を連想しました。それを再現したいと思い、地元の子どもたちや劇団の協力を得て、このシーンを撮りました。

(採録・構成:黄木可也子)

インタビュアー:黄木可也子、桝谷頌子
写真撮影:山根裕之/ビデオ撮影:平井萌菜/2015-10-08