遠藤ミチロウ 監督インタビュー
震災を経て、自分の歌がより“リアル”に
Q: 映画には、遠藤さんのライブ風景やご実家に帰る様子、対談などが収められており、ファンにはたまらない作品になっていると感じました。今回、映画を撮ろうと思ったきっかけはなんですか?
EM: 2010年の11月に還暦を迎え、翌年1月からロードムービー的なツアーを始めました。それを撮ろうと思ったのがきっかけです。その年の3月に震災が起き、福島出身のミュージシャンなど、いろいろな人と一緒に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げました。
福島に関わり始めたことで、今まではあまり帰ることのなかった実家に帰るようになり、自分のツアーと帰省を、8月に開催された福島でのライブまでずっと撮り続けていたら、結果的に今回のような映画になりました。
Q: 映画の構成についてお聞かせください。
EM: 一番最初のシーンは、8月15日に福島で行われたフェスティバルの前夜祭です。ストリートで演奏しました。そこから始まって、その年の1月に開催した大阪でのスターリン復活ライブにさかのぼり、8月15日までを順にたどっていきます。実家に帰って母親と話したのは16日なので、そのあたりは構成が少し入り組んでいるのですが。
Q: 遠藤さんの話と、その後流れてくる歌が関連しているように思いました。
EM: 話と関係のある歌を選びました。ソロ以外のライブはすべて8月に福島で開催したもので、そのライブの曲は自分で選曲しました。自分と福島との関係を一番重視したので、特に震災以降との関連性がある歌を選びましたね。
Q: 映画の中で「自分は旅が好きだ」とおっしゃっていましたが、なぜ旅が好きなのでしょうか?
EM: なんででしょうね。その頃、バッグひとつ持って、放浪の旅に出る漫画がはやっていました。それにすごく感動して、ああ、自分はこういうことをやりたいんだな、と思いました。大学に入って最初の夏休みに旅に出ました。それ以来、暖かくなるとヒッチハイクで全国各地を飛び回っていましたね。
Q: 本当に旅がお好きなんですね。
EM: 大学卒業後も2年くらいは山形にいて、その間に歌を歌いだして、歌を歌えば、また旅ができるんだと気づきました。旅が好きだから、今のように歌を歌うようになった、というようなところがあります。普通だと、歌を歌い始めてから旅をしますが、僕はその逆です。旅を続けるために歌を歌っている。
Q: タイトルにもなっている歌、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』についてお聞かせください。
EM: スターリン時代にソロアルバムを出したときの歌です。最初は、ボブ・ディランの『イッツ・オール・ライト・マー』をカバーしようと取り組んでいたのですが、徐々に、原曲と似ても似つかなくなってしまいました。もうこの際、オリジナルでいこう、ということになり、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』ができあがったのです。
Q: 震災を経て、歌に対する気持ちは変わりましたか?
EM: 基本的には変わりません。でも、ひとつだけ変わったことがあります。それは、自分の歌がより“リアル”になったことです。震災前のスターリンの歌は、あくまで僕の想像の上での歌詞だったりメロディだったりしました。それが、震災後は現実に起きた出来事のように感じられて、すごく“リアル”になりました。だからこそ、福島でスターリンをやったのです。
(採録・構成:狩野萌)
インタビュアー:狩野萌、山根裕之
写真撮影:キャット・シンプソン/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2015-10-13