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YIDFF 2015 アジア千波万波
銅山の村
ディペシュ・カレル 監督インタビュー

失われゆく知識を記録する


Q: この作品では、銅の採掘から精錬までの一連の流れを記録していますが、同時に、人々の生活や文化についても、生き生きと描かれていたのが魅力的でした。この村を撮ろうと思った理由は何だったのでしょうか?

DK: 村のことは、文化人類学者のニルス教授から聞いて知りました。彼は、この村で20年以上調査をしており、村の人からも信頼を得ていたのです。村では35年前に銅の生産を止め、今では少数の老人たちしか伝統的な銅の製法を知りません。私は映像作家として、また1人のネパール人として、この貴重な知識を映像として記録し、将来の世代に伝えることに対する責任を感じました。

 グローバル化の影響で、銅産業だけでなく、伝統的な言葉や文化も失われつつあります。その一方で、国外に働きに出た人が新しい知識や考えを村に持ち帰ることで、カースト制による差別が減るなど良い変化も起きています。そういう様々な要素が混在することで、映画が面白くなるのではないかと思いました。

Q: 映像人類学のアプローチで映画を制作したとお聞きしました。その具体的な方法を教えていただけますか?

DK: ドキュメンタリーの制作には2つの方法があります。ひとつは、TVのドキュメンタリーでよく使われる手法ですが、作り手の考えに沿って物語をつくるもの。事前に話の筋が決まっていたり、特定のメッセージを発したりすることもあります。映像人類学の手法では、登場人物を主体にし、彼らの生活や文化に影響を受けて作ります。より現実に根ざした作品となり、観る人が自由に意味を見出すことができる、開かれた映画になると思います。

 最初におこなったのは村に滞在し、観察することです。私は3カ月間、村の人と飲食を共にし、村の一員として仕事に参加することで、彼らの文化を学びました。そうして集めた記録を編集し、村に戻って人々に見せることも、大事なサイクルの一部です。私はラフカットの段階でほぼすべてのシーンを村の人に見せ、描かれていることが本当かどうかを確認しながら制作しました。たとえば、山羊の皮からふいごを作る場面は、昔の技法とは少し違うところもありますが、今映像に収めることができて幸運でした。

 同時に、私は観る人ともコミュニケーションをとる必要があります。仲介者として、村の人たちの現実を伝えることに留意しながら、観ている人にそれをいかに理解しやすいように伝えるかを考えました。

Q: 村の人たちが信仰について語るとき、うれしそうな顔をしていたのが印象的でした。動物を生贄に捧げるシーンがありますが、子どもたちも楽しそうに参加していましたね?

DK: ダサイン祭りはネパールで一番大きな祭りです。この時期には外国や都会に出て行った若者たちも村に帰ってきます。昔はもっと華やかでしたが、新しい服を着て、十分な肉を食べられる年1回の機会ですから、人々は今も祭りを楽しんでいます。ヒンドゥー教では、神の象徴である牛は生贄には使いませんが、水牛は食べることができます。ほかに使うのは山羊や鶏など。生贄に捧げる動物は村によって違いますが、銅山では鶏を使うことが多いです。村の人たちは、銅山をマハデブ神という一番偉い神様であるとみなしています。自分たちの生活ができるのは銅山があるからという考えが根底にあるのです。

(採録・構成:宇野由希子)

インタビュアー:宇野由希子、高橋明日香/通訳:渡部文香
写真撮影:鈴木規子/ビデオ撮影:狩野萌/2015-10-10