キン・マウン・チョウ 監督インタビュー
美しい海が抱える人々の尽きることのない不満
Q: 全編を通して、漁をしている人々は魅力的に、そして海そのものはとても美しく撮られていると感じました。監督は、どのような心境でカメラを廻しはじめたのでしょうか?
KMK: 私の撮影スタンスは、被写体になる相手の気持ちを第一に考えて、彼らのことをまずはよく理解するように努め、そしてじっと観察し、なるべく丁寧に被写体の人々の自然な姿を映す、というものです。決して、こちらから何かを被写体に強いることはありません。私のやるべきことは、その場で起きたことを映す、これに尽きます。撮影地であるあの村とは、16歳であった10年前に遊びに行ったときに出会いました。あの村の自然の美しさに感動して、大人になっても忘れられずに心に残っていました。映画人となった今、浜辺の形がとても美しく印象的な、この浜辺にある村をカメラにおさめておきたい、と思ったのです。
彼らは、たとえ悪天候で海が荒れていても漁に出なければいけません。彼らが人生を懸けて海と向き合っていることを、撮影しているなかで痛切に感じました。作中で登場する家族とは、撮影する前に何回か下見をしているなかで出会いました。彼らと話しているうちに、彼らには何か内に秘めているストーリーがあり、映画にできると感じてカメラを廻しはじめたのです。あの土地にいる人々はみんな、仕事にとても不満をもっていて、借金との断ち切ることのできない悪循環の中にいます。決して、好きで漁をしているわけではないのです。村の人みんなが、解消できない不満を抱えているのです。それを映画にしたいと考えていました。
Q: 紙一枚で漁業停止が通達される最後のシーンが、それまでの人々の生活を映していたシーンと対照的でインパクトがあったのですが、あの映像の並びにしたのには、監督の何か意図するものがあったのでしょうか?
KMK: 約2週間の撮影のなかで、本当にいろいろな事が起きました。最後のシーンにあるあの手紙も、私が密着して撮影している終わり頃に、実際に届いたものです。毎日毎日、欠かすことなく彼らに密着し、なにか少しでもいつもと違うことが起きればカメラを廻すように、私は彼らと共に生活していました。私も実際に漁を体験して、水に濡れながら、必死に彼らの傍にいて、あれらの映像が撮れたのです。
Q: この村での生活に住民たちは不満を抱いている、とのことでしたが、そのような感情を抱く住民の方々は撮影に対して好意的でしたか?
KMK: 完成した映画を村の人たちに見せたら、すごく喜んでいました。なぜなら彼らには、自分たちが政府から禁漁されても反対する手立てはなにも持っておらず、その事実が世間に知られることもありません。だからこそ、このように映像になり作品になることで、記録されること自体が彼らにとってはとても喜ぶべきことなのです。村人たちは私を本当によく歓迎してくれました。
しかし現実は、政府が変わらない限り、この状況が変化することはないでしょう。この現状に、村の人々はみんな無力感を抱いています。この村にあった家を売り、タイに出稼ぎに行く人も少なくありません。私は、あの村は近い未来になくなってしまうと考えています。村人に完成した映画をみせる上映会の時点で、作中では住んでいたけれど、既にいなくなっている家族もいたのです。現在進行形であの村から人がいなくなっていることも事実なのです。
(採録・構成:平井萌菜)
インタビュアー:平井萌菜、原島愛子/通訳:吉丸カイン
写真撮影:稲垣晴夏/ビデオ撮影:宇野由希子/2015-10-12