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YIDFF 2015 インターナショナル・コンペティション
女たち、彼女たち
フリア・ペッシェ 監督インタビュー

親族を撮るという長く美しいプロセス


Q: 映画に出てくる、ああいう親族の形態はアルゼンチンではよくあるのでしょうか?

JP: 私の親族は、アルゼンチンでも特殊だと思います。私の親族は女性が中心で、男性はいつも外側にいて、中核になることは少なかった。独特のコミュニティができていたのです。だから、私は自分の親族を映画にして、みんなに見てもらうことで、こういう関係もあるということを示したかったのです。

Q: 撮影に5年かかったそうですね?

JP: 私は、自分の親族にカメラを向けて編集を続けていく、この長いプロセスに美しさを感じました。プロフェッショナルな映画作家として、きちんとした作品に仕上げようと決めたポイントは、作品の冒頭のナレーションにあるとおり、自分の大おばが亡くなった時です。大おばが亡くなる以前からも、カメラを廻していましたが、彼女が実際に亡くなった時に、きちんとこの先も撮っていこうと思いました。

Q: どこのポイントで、彼女たちを撮り終えようと思ったのですか?

JP: 私の妹に、私にとっては姪にあたる赤ちゃんが生まれた時です。たぶん、ここが最後のシーンかなと思いながら撮りました。その後、実際にいろんな編集をしてみました。映画の終わりとして、姪が生まれたシーンが自然に感じられたので、そこで撮影を終えました。

 最後の出産シーンは、映画のなかではほんの数分ですが、実際には12時間くらいかかりました。朝10時くらいから、夜中までかかったのです。でも、出産の最初のほうは作品に入れるつもりはありませんでした。後半の印象の強かったところを入れたかった。あのシーンを撮る時に気をつけたことは、観客が出産という一点に集中できるようにすることでした。あまり人物の動きを入れないようにし、カメラを被写体から少し下がったところに置いて、ただ見つめるような感じで撮り続けました。いろんなメッセージのこもった強いシーンになったと思います。

Q: 親族関係がよくわからないのは、意図したものだったのでしょうか?

JP: そうです。映画のなかで親族関係をはっきり示さないと、観客が混乱することは十分想定できました。それでも誰が誰だかはっきりさせないほうが、見ていて面白いのではないかと思ったのです。あのコミュニティで、私のおばは、あるときには母親のように扱われ、あるときには、娘のように扱われています。そういう人間関係の面白さを感じ取ってほしかったのです。

Q: 終盤近くの、親族たちがホームビデオを見るシーンで、彼女らにカメラを向けるあなたの姿が映ります。なぜあのシーンを入れようと考えたのですか?

JP: 私自身も、このコミュニティに属しています。だから、実際に撮影をしている私自身の姿を写すべきかどうかは、作品をつくっている間にいろいろ考えました。無理矢理、そういうシーンをつくって映画に入れたくはなかった。どういう形で入れれば、一番自然になるかを考えていました。

 私のおばは、クリスマスだとか海に出かけるといった親族のイベントを、映像に残すことが好きな人です。撮ったホームビデオを親族みんなで見るのが、恒例となっていました。だから私が映っているホームビデオを、親族が見ているシーンを入れれば、自然に私自身の姿を映画に入れることができると考えました。あのシーンによって、私自身もこのコミュニティにいることを示せたのです。

(採録・構成:山根裕之)

インタビュアー:山根裕之、石沢佳奈/通訳:渡部文香
写真撮影:宇野由希子/ビデオ撮影:木室志穂/2015-10-09