岡達也 監督インタビュー
淡々と撮ることで、透けてくるもの
Q: 様々な立場の人々が、震災後どのように生きているかが、描かれている作品でしたが、特に幼稚園の砂場で園児が遊んでいる後ろに、放射線量を示すメータが見える場面が印象に残っています。あの場面は意図的に撮影したのですか?
OT: この作品を撮ろうと考えたのは、南相馬市を取りあげた報道に対する違和感を、ずっと持ち続けていたからです。テレビで見る南相馬市は、まるで悲劇の町のように報道されていますが、生活の様子や風景など、表面的にみると実は山形市と何も変わりません。ですから、本当の南相馬市の姿を撮りたいと思い、この作品を撮り始めました。
Q: 作品を作るにあたって、心掛けたことはありますか?
OT: ナレーションや音楽を入れず、説明描写も控えめで、自分の考えをなるべく排すなど、客観的に作ろうと心掛けていました。震災映画には正解というものがありません。これまで、様々な震災映画が撮られてきたと思います。たとえば、放射能が危ない、という人が撮った映画は、「放射能は危険だ」というようにしかカメラは向きません。反対に、被災者の苦しみや希望を撮るのであれば、放射能の危険性などには目が向きにくくなると思います。私は、それは危険なことだと考えました。今回、私はそういった考えを除いた震災映画を撮りたいと思いました。フェルナンド・ペレスの『永遠のハバナ』のように、淡々と撮った日常を通して、観てくれた人に何か伝わるような作品になればいいと思っています。
Q: 登場する人物がとても魅力的でした。どのようにして出会ったのですか?
OT: 幼稚園は、私の出身園で知っている先生がまだ数人いたので、震災後どのような状態であるのか気になり、撮ろうと思いました。撮影は半年近くに及び、はじめの頃は、子どもたちがカメラに群がったり、悪戯をしたりもしていました。長期的に撮影することでカメラを次第に意識しなくなり、自然なものが撮れたと思っています。
市議会議員の大山弘一さんは、南相馬市の放射能による影響は深刻であると考える、市内でも少数派の人物です。そこに興味を持ち撮影を依頼しました。永井夫婦は、私の遠い親戚にあたります。飯舘村から避難してきた、ご夫婦なので、撮影を依頼しました。おばあさんが、横になって数独をするおじいさんに向かって「おじいさん、目が悪くなりますよ」と気遣うやり取りなど、気に入っています。他に撮影した人もいますが、子ども、大人、老人という立場の違う三者によって作品を表現しようと考え、この三者をメインに取りあげています。
Q: 今後も震災映画を撮り続けますか?
OT: いつも、撮りますとは言っているのですが、本音を言うと辛いです。震災映画を撮り続けるというのは、やはり精神的に辛いことがあります。ですが、撮らなければならないだろうという気はしています。震災というと、原発や津波の被害などに焦点を当ててしまいがちですが、3.11という現象によって心境の変化のあった方もたくさんいると思います。その、表面上はわからない心境の変化を、撮りたいとは考えています。
(採録・構成:野上貴)
インタビュアー:野上貴、井上早彩
写真撮影:斎藤里沙/ビデオ撮影:高橋茉里/2013-09-18 山形にて