森岡紀人 監督インタビュー
震災を風化させない
Q: 震災28時間後の映像が登場します。取材始動時の状況はどうだったのですか?
MN: 伊丹から仙台までの空港経由、日本海側を伝う鉄道、車と3つの交通手段を分けた毎日放送のチームが飛び出しました。空路はすぐダメだとわかり、鉄道と自動車のクルーが残ったわけですが、北上が厳しい中、冒頭のがれきに埋まった国道まで地元の方の車でたどりつきました。歩いて山を越えて、携帯電話もつながらないまま、2班が孤立した南三陸町で偶然遭遇し、取材が始まりました。
近くの温泉に宿泊先を確保して通うことになったのですが、ここも被災地で、電気は通っていましたが、お湯も出ないし、後方支援の人たちが持って来た救援物資に頼る状態でした。スタッフは、1クルーが記者とカメラマンと音声の3人で、10日から2週間交代で、GWまで2〜3チームが常駐していました。
Q: 極限状態の報道について、現場でのとまどいや迷いは?
MN: テレビでの報道が被災した人々の役に立っているのか、炊き出しや薪割りをしたほうがいいんじゃないかという若い記者は確かにいました。ただ、南三陸町を1年間定点取材した800時間の映像を再編集で映画にして、去年の9月に最初に町のみなさんにお見せした時、「記録してくれてありがとう」と感謝の言葉をいただいたんです。当事者には何が起こっていたのか、客観的に知ることは難しいものです。やっと、意味があることができたんじゃないかと思えました。
Q: 報道の方針として心がけたことは?
MN: まず安否の確認、町の状況を伝えることが第一です。1カ月後に特番を作ろうとなったときは、津波がどういうふうにきて、人々はどういうふうに逃げたのかという切り口でまとめました。これはプロデューサーの井本里士が、阪神淡路大震災の神戸市長田区の人々の動向を追った番組の経験に基づいたものです。被災地の局は、報道すべきことが多岐にわたります。では被災経験のある我々の局は、町の人々に寄り添って見つめることができないだろうか、と思ったのです。我々の番組を見せて、取材対象者にお願いしますが、南三陸町では断られるということがありませんでした。町の方の優しさと力強さを感じます。こちらも記者が交代する時は、引き継ぎを連絡するようにしています。
ニュースでは、被災半年後の仮設入居の状況は順調だと流していましたが、映像にある通り、小さなトラブルは散見しました。こういった、被災地の人々のリアルな姿を伝えたいと思っています。記者の存在は極力消し、当事者にならず客観的報道をめざしています。特に映画ではナレーションをなくして、風や崩れた重機の揺れる音など、現場の空気が感じられるものを入れました。
Q: 映画化の契機はなんだったんでしょう?
MN: 確か、コンテンツ事業部という他部署からの提案でした。大阪ネットで終わりがちな放送局の枠を超えて、映画にすることでたくさんの人に見てもらい、震災を風化させないことができるのではないかと。公開1年でビデオ化も果たし、やっと収益を南三陸町に届けることができそうです。今は、震災3年目に向けて番組を制作中です。
(採録・構成:室谷とよこ)
インタビュアー:室谷とよこ、飯田有佳子
写真撮影:永田佳奈子/ビデオ撮影:永田佳奈子/2013-10-13