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YIDFF 2013 インターナショナル・コンペティション
我々のものではない世界
マハディ・フレフェル 監督インタビュー

私とパレスティナと愛する人たち


Q: 完全な当事者でもなく、第三者でもないという立場が鮮明で、監督自身のアイデンティティを探す旅のような印象を受けました。家族も登場する中で、友人のアブ・イヤドを主人公的な位置づけにしたのはなぜですか?

MF: 実は、当初ドキュメンタリーは頭に無く、リサーチのために撮っていて、フィクションフィルムにしようと思っていました。その際、現地の協力者だったのが友人のアブ・イヤドです。しかし、彼にはカリスマ的な部分や魅力的な部分があるから、カメラに自然と入ることが多かった。そのうち、彼にカメラを向けるようになったのがこの作品の始まりです。彼は、とても魅力的な人物だったでしょう? まるで、パレスティナのロバート・デ・ニーロのような存在でした。

Q: 監督の家族も登場しますが、どのような気持ちからカメラを向けたのですか?

MF: 徐々に撮影する中でドキュメンタリーになるかもしれないと思い始めた時、被写体として撮ろうというものではなくて、自分の家族についても理解しようと思いました。例えば、叔父のサイードは、彼の兄が亡くなってから変わってしまいましたが、子供の頃の僕にとってヒーロー的な存在で、同時に映画に連れてってくれる兄のような存在でした。一方、祖父は心を閉ざしてしまっていました。静かに暮らしたい祖父にとって、わずか1平方キロに7万人がひしめくパレスティナでの生活はフラストレーションばかりで、大声で怒鳴るシーンはその表れだったと思います。それでも長い時間をかけて理解したい、一緒にいたいと思いカメラを向けていました。

 彼らを理解することを、私はとても大切に考えていました。彼らがキャンプで一番近い場所にいたからこそ、私はまたここに戻ってきたいと思えているのだから。でも、レンズを通すことによって見方は変わりました。家族でもなく、被写体としてでもなく、ひとりの人間として、生きていく中での悩みや夢を理解したい好奇心に変わりました。

Q: 抵抗組織であるファタハの支部に転居する前のアブ・イヤドが、『我々のものではない世界』という解放闘争の本を投げ捨てるシーンが非常に印象的でした。

MF: 私は、アブ・イヤドのとる行動をパレスティナの人々の気持ちの代表と位置づけています。彼のとった行動は、パレスティナやイスラエル、レバノン、国籍などは関係なくて、もう自分には居場所が無いという気持ち、世界中のどこに行ってもはじき出されてしまうという絶望感が素直に表れているシーンだったと思います。僕も故郷と思える場所がどこにもないし、その点は彼と似ている立場だけど、僕は恵まれた難民であって、国籍もパスポートも持っているし、あえて言うならロンドンという居場所もある。僕と彼とは違いますが、同じ境遇を知っているからアブ・イヤドの苛立ちも苦しみも理解できるのです。

Q: アブ・イヤドはその後どうなったのですか?

MF: 上映のためにいろんな映画祭に行く中で、プロデューサーと一緒に、彼をゲストとして招待するべくいろいろな取り組みをしました。そして、ベルリンの映画祭の時、ベルリンが支援してくれて、彼も参加することができました。その縁で、ドイツへと政治的亡命を行うことができ、現在はドイツにいます。ただ、彼にとっては最高のエンディングになったのですが、依然としてキャンプは良いエンディングを迎えていないのです。

(採録・構成:野村征宏)

インタビュアー:野村征宏、井上早彩/通訳:木下裕美子
写真撮影:小滝侑希恵/ビデオ撮影:木室志穂/2013-10-15