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YIDFF 2013 インターナショナル・コンペティション
家族のかけら
ディエゴ・グティエレス 監督インタビュー

〈私〉と家族をつなぐもの


Q: これまで撮りためてきたというご両親の記録を、発表するに至った決め手はどういったことだったのでしょうか?

DG: 実は、当初からこの映画を作ろうという構想があった訳ではありませんでした。はじめは、父の執筆した本に関する映画を撮るために、撮影していたのですが、自分と本のことしか話さない父に、母はうんざりしているようでした。私が父の映画を撮っていることを知ると、母はますます機嫌を悪くしていました。映画のなかに母が登場していなかったので、母へインタビューしたものを撮影しました。アムステルダムへ戻り、父と母へのインタビュー映像を見た時に、ふたりの関係を描く映画を撮ろうと思い、3年以上に及ぶ撮影がはじまりました。

Q: ご両親の冷ややかな関係を見るのは辛かったと思いますが、監督と息子というふたつの立場の間で、板挟みになることはありませんでしたか?

DG: 撮影当初から、監督と息子というふたつの立場を無理に演じ分けようという気はありませんでした。カメラの向こう側から、彼らは私に話しかけ、私も彼らに息子として話しかける、そういう私と彼らの関係性を隠さずにそのまま映画にしたいと思いました。ふたりは、同じ極の磁石が反発しあっているような関係でしたが、まだそこにはふたりを再び繋ぎ合わせる可能性が残っていると思います。どんな関係でもそうですが、たとえ深い溝があっても、ほんのちょっと何かに気づければ、その溝は埋められると思います。ただ、それができない状態が続いているというわけです。映画の終盤に、私はふたりの親密な人間関係が消えていく場面を撮影しました。しかし映画ができた後、父から、「映画の中では独りで死にたいと言ったけれど、今ではそれを後悔している」と告げられました。母は母で、今年の2月に心臓発作で倒れて、夜眠れなかった時に、父を呼んだそうです。どちらの出来事も、公式カタログに載せる文章を書き終えてからのことです。

Q: ご両親は、撮られることを自然に受け入れているようでしたが、自分たちの関係を撮られることに抵抗はなかったのでしょうか?

DG: たとえ今は「冷ややかな関係」であっても、根底ではお互いがお互いを愛していて、カメラのこちら側と向こう側とに強い信頼関係があったからこそ、そういう関係をあるがままに撮ることができたのだと思います。

Q: この映画を通して、ご自身の家族への理解はより深まりましたか?

DG: なによりも私自身をより深く理解するために、この映画を撮りました。私がドキュメンタリー映画を撮るのは、私自身への理解を深めたいからです。今回は自分の家族をテーマに撮りましたが、自分を理解するために、そういう親しい間柄ばかりを被写体に選んでいるわけではありません。全然知らない他人や自分とつながりのない人を撮ったからといって、自分という存在を棚上げにすることはできません。どんな関係の人を被写体にしようと、彼らは、撮っている〈私〉を映し出す鏡であると思います。まずは、自分自身をよく知ること。そして、自分を通して世界を見る。そのために、私はドキュメンタリーを撮っています。

(採録・構成:山口将邦)

インタビュアー:山口将邦、宮田真理子/通訳:川口隆夫
写真撮影:野上貴/ビデオ撮影:野上貴/2013-10-14