呉康豪(ノーヴァ・ゴー) 監督インタビュー
革命という美しい夢
Q: この映画は、ご自身のお母さんや叔母さんから社会的な方へと広がっていきます。そうした方法についてお聞かせください。
NG: 歴史的な事件を扱うときには、ふたつのアプローチの方法があります。ひとつは事件の中心からはじめる方法、もうひとつは事件に関わった人々からはじめる方法です。私の方法は自分自身の親しい人間からはじめ、だんだんと事件の方へ近づいていく後者の方法でした。映画が題材としている時期は、台湾や日本でも左翼の活動が活発な時期でした。母自身は関わりはありませんでしたが、叔母たちが深く政治の世界へ入っていきました。母は物語の中心的な存在ではなかったのですが、母からスタートしたのは、彼女がいなければ私がこの映画を撮るということもなかったからなのです。
Q: 映画にはゆるやかな「古いもの」というテーマがあるように思いました。ひとつには、華人のコミュニティの伝統や家族のつながりが描かれ、もう一方で、かつてのコミューンに対する懐かしさがあると感じましたが、伝統とゲリラのコミューンにはどういった関係がありますか?
NG: 当時は、中国の文化大革命など社会主義的な運動が活発な時期でした。文化大革命は、伝統的なものを否定しました。けれど、本国では否定されたものが東南アジアの華僑たちの中では保たれているのです。故郷を離れているからこそ、民族の伝統を守りたい思いが強かったからでしょう。たとえば、春節の舞踏のコンクールが毎年世界中の華僑のなかで行われています。また、映画に出てくるように、祭りなどの行事もマレーシアの華僑のコミュニティでは保たれています。それらは、私が撮影した2008年当時、マレーシアの華人たちの間では、生活の中に存在しているものだったのです。
現在の共産主義ゲリラたちの関係は、それぞれが個別の道を歩み、すでに共産主義によって結ばれているという関係ではありません。しかし、彼らの間柄はとても親しく、それはかつてのゲリラの時代への懐旧の念からくるといってよいと思います。苦難を共に戦い、理想を追い求め、ジャングルで暮らした同士でした。 様々なエピソードが映画にも出てきます。ゲリラたちは靴を履かずにジャングルを歩かなければなりませんでした。彼らの独特の信頼感、一体感というものは、 私のような若い世代のものには理解できないものがあります。
Q: 最後のシーンに重ねられた字幕にはどういった意図があるのでしょうか?
NG: 言葉は毛沢東語録からとられたものです。あの言葉のなかには大きな夢があり、夢がために文化大革命が起き、キューバでも革命が起きました。しかし、理想と現実の間には大きなギャップがあり、目指していた美しい理想世界には到達できませんでした。それでも人類は革命を続けていきます。毛沢東の時代へまた戻るという話ではなく、あの言葉は夢の原点だと思うのです。夢そのものは間違っていなかった。結末がどうであれ、間違ってはいなかったと思います。ですから、結果がどうであっても夢を追いかける人は応援したい、夢を追いかけることだけは間違っていないのだ、というメッセージがあの言葉には含まれています。
(採録・構成:慶野優太郎)
インタビュアー:慶野優太郎、木室志穂/通訳:樋口裕子
写真撮影:大沼文香/ビデオ撮影:堀川啓太/2011-10-10