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YIDFF 2011 アジア千波万波
草庵の村
孟小為(モン・シャオウェイ) 監督インタビュー

環境とその対価


Q: 映画制作時期の監督の様子と映画制作の経緯について教えてください。

MX: 私は、上海に住んでいて、写真や絵画をやっていました。その素材を求めて、故郷への旅の途中にこの村に行きました。こういう世界があるのかと思って、上海に戻ったときにカメラを買い、この村を撮ることにしました。ただ、3〜4年のブランクがあり、村の様子が変わり、人々のエネルギーも衰退していたように感じました。当時上海に住んでいたので、まとまった時間を村で過ごすことができませんでした。大黄の収穫を、春夏秋冬を通して映したかったのですが、それに3年かかりました。

Q: タイトルを『去兮去兮』から『草庵の村』に変更した理由は何ですか?

MX: 最初のタイトルには、去りたいし、去りがたいという意味が含まれています。村人が、この村に来て、状況を変えようと20年奮闘してきましたが、結局はほとんど変わっていないのです。単純に去りたいということではなく、そのような状況の中に取り込まれているものを表わしたタイトルでした。しかしそれでは、その持つ意味が狭すぎるのではないかと考え直し、もっと大きなものを含むタイトルにしたいと思い、現在のタイトルに至りました。このタイトルには、単に去るかどうかだけではなく、村の環境というものも含んでいます。私は村の環境についてずっと考えてきたのです。ちなみに、草庵というのは、大黄を保存しておく小屋のことです。収穫後放置しておくと、大黄は腐ってしまうので、小屋の中で保存しなければならず、翌年になってやっと薬剤として商品となるのです。そのような時間も手間もかけなければならない状況も、私が考えている環境全体と重なってくると思います。

Q: 監督は、環境を村人の生活も含めて考えているわけですね?

MX: 彼らは一種の運命共同体であり、おのずと同じ目的があります。この作品を見ると、社会全体を含んだ環境とわかってもらえるかもしれません。とりわけ、社会に対する批判を強く感じる人もいるかもしれません。そのひとつが、政治がこの村に対して行っていることへの不満だと思います。村人たちは経済的な価値を求めて、このような作物を栽培しています。しかし、それに対して正当な対価が支払われていないのが現状です。もっと彼らの労働を認め、合理的な対価が支払われるべきだと感じています。また、西洋医学とある種呪術的な民間療法、両方のシーンを提示することで、一方では、西洋医学に頼ろうとしつつも、伝統的な民間のまじないのようなものも捨て去ることができないという渾然一体の状態を描けたとも思っています。

Q: 去るべきか、去らざるべきか、ということに関して、監督はどのように感じましたか?

MX: その問題については、私自身も考えたことがあります。しかし、結局この問題をどう解決するのかは、まずは村人たち自身が、そして政府が取り組むべき問題だと思います。彼らは、もともと限られた土地と資源を使って、生活の豊かさを得ようとしています。少しでも生活水準を向上させたいと願っているのです。これについては、もはや私個人がどうこうできる問題ではありません。政府と政治が取り組まなければならない問題だと考えています。

(採録・構成:土田修平)

インタビュアー:土田修平、花岡梓/通訳:秋山珠子
写真撮影:大沼文香/ビデオ撮影:田中美穂/2011-10-08