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YIDFF 2009 インターナショナル・コンペティション
オート*メート
マルチン・マレチェク 監督インタビュー

「変えてゆきたい」が形になって


Q: まず、オート*メートという組織を、映画という形にしたきっかけは何だったのでしょうか?

MM: この作品は、ふたつの作品のプロジェクトの2番目にあたります。まず、2004年から2005年に『Source』という作品を撮りました。これは、アゼルバイジャンというカスピ海沿岸にある石油産出国についての作品ですが、この国では、石油からの収入はすべて、政府とそれに協力する人々に独占され、国民は、非常に貧しい生活を強いられているという現実があります。こういった状況を知り、私は何かしなければならないと感じました。『オート*メート』は、何かを変えたいと望むなら、それが可能であるならば、我々は何かをしなければならない、ということを記録した作品です。政治家の話や都市化、車といったことに集中して映画を作ってもよかったのですが、私はひとつの組織を作るということを通して、実際に今の状況を改善できるのではないかと考え、こういった組織の歴史を見せたいと思ったのです。

Q: オート*メートの活動に関わる中で、監督が自分の中で支えにしているもの、信じているものは何なのでしょうか?

MM: まず、一番大きな支えは家族です。6年前からはじまった、このオート*メートという組織が私の最大の目的であって、映画制作ではありませんでした。何かをやらなければ、何かをしたいと考える中で、もう映画はやめようと思うこともありました。でも、この作品ができたということは、私の何かしなければならないという考え、そしてオート*メートという組織を、やはりサポートしていきたいとの思いがあったからだと思います。私がこの組織において個人的にやりたかったこと、考えていたことは達成できたと思っています。

Q: ひとつの組織の活動を、映画という形で人々に広めたという点で、あなたが映画というものに大きな力を感じているのでは、と考えたのですが?

MM: 映画は私たちの頭の中で、ある一種の空間を作るものだと思っています。ですから監督というのは建築家と同じで、公共の空間を作るわけです。その中で人々が意見を交換したり、何か問題について語り合うものだと私は考えています。映画によって、その空間というものは異なっていきます。たとえば人々は公園を作り上げることもできるし、それが図書館であるかもしれない。感情の監獄というものを作ることもできる。その中で、問題を取り上げて議論をする、そういう場が映画であると考えています。

Q: 作品の中で、ユーモアというものが非常に大切にされていると感じました。

MM: 私にとって、映画の中のユーモアというものは基本的な要素です。ユーモアを通すことで私たちは悲しく、苦しい状況をより良く理解することができるからです。たとえば、非常にストレスの多い映画を観るよりも、ユーモアの多い映画を観るほうが、映画を観る側と作る側の心の交流を見出すことができます。同時にユーモアは、人々の心を開きます。楽しい場面、おかしな場面で心を開くことで、先ほど言いました映画の作り出す空間がより大きくなり、より様々な考え方を受け入れられるようになります。この映画はプラハでも上映されているのですが、観客によって笑うところが違います。観客によって映画館の雰囲気も違うところが、非常に興味深いです。観る側の空間作りというものも、それぞれの人によって違うのだなと思います。

(採録・構成:広谷基子)

インタビュアー:広谷基子、津本真理/通訳:平野加奈江
写真撮影:ローラ・ターリー/ビデオ撮影:工藤瑠美子/2009-10-12